第五話―② 変化



「あ、あの……あささん」

「ひゃいっ!?」


 びび、びっくりしたぁ! ななな、なに!? 誰!?

 声のした方へと顔を向ける。いつの間にか、私のすぐ横に一人の女子生徒が立っていた。

 私よりも頭一つ分は小さいだろうか。落ち着かなさそうに体を揺する様は、どことなく、子犬みたいな雰囲気があった。同じ小柄な体型でも、東海林しようじさんとはまた違うタイプの『可愛かわいい』女の子だ。


「えっと、確か……じまさん?」

「う、うん。そうだよ」


 記憶の片隅から、その名前を引っ張り出す。えっと……そうだ。じまさんだ。うん、間違いない。ほとんど付き合いもなかったから、忘れかけてた。

 そう、クラスメイトとはいえ、彼女とはあんまり話したこともない。

 ななさんのグループとも距離を取っているようで、私へちょっかいを出してくる事さえなかったのに……どうしたんだろう。


「あの、私に何か用ですか?」


 さては、七瀬さん達に何か言われたか。そう思い、彼女達の方を見ようとして──

 あれ、いない。

 お手洗いにでも行ったのか、いつの間にか、七瀬グループは教室の外へと出て行ってしまったようだった。じゃあ、何で矢島さんがここにいるの?

 戸惑う私をよそに、彼女はおずおずと話し始めた。


「その、朝比奈さんはつらくないの? 『あの』いるくんと付き合うように言われて……」

「──っ!」


 矢島さんの言葉に、先ほどの怒りがぶり返しそうになる。

 けれど、私が何か言うよりも先に、彼女の瞳がじわりと潤む。見る見るうちに涙がこぼれ、ちっちゃなほっぺを流れ落ちていく──って、なんで!?

 ギョッとする私に向けて、矢島さんがいきなり頭を下げてきた!


「ご、ごめ、ごめんな、さ……!」

「ちょっ、ど、どうしたの!?」


 慌てて、ハンカチを差し出す。

 矢島さんはそれを不思議そうに見た後、怖々とした手つきで受け取り、目を拭った。


「何だかわからないけど、落ち着いて、ね?」


 子供のころ、よくふたにしてあげたように、背中をでてあげる。

 じまさんは、嗚咽おえつを繰り返しながら、途切れ途切れではあるけれど、話し始めてくれた。

 私は彼女が言葉に詰まるたびに慰め、なだめ、先を促し……そうすることで、何とかその断片を拾い上げてゆく。うん、言いたい事は大体わかった。

 どうやら、彼女自身はこの『ゲーム』に乗り気ではなかったらしい。

 ただ、クラスの雰囲気からしてめろとも言い出せず、自己嫌悪に陥っていたそうだ。


「さ、さっきのあささん、とっても怖い顔、してた……! じ、自殺でもしたらどうしようって、わた……私! こ、怖くなっちゃって……!」


 ……私の様子が日に日におかしくなるのを見て、ついに精神を病んだのかと思ったようだ。そっか、それで心配して声をかけてくれたんだ。


「なるほど……」


 私、そんなに怖い顔をしてたのかな……?

 矢島さんの様子を見る限り、親しくもない彼女が心配してくれるくらい、ヤバ気な雰囲気を漂わせていたみたいだけど。もしかして、自分が気が付かなかっただけで、今までもそういうことがあった、とか? え、え?

 ……はるくんの前では出さないように、気を付けなきゃ!


「私は、なしなの……ほんとはあの時、それは違う、そんなの駄目だ!って言わなきゃいけなかったのに。ごめんなさい……!」

「え、いや、あの……?」


 そう言われても、こっちも困ってしまう。

 無意識のうちに矢島さんから目をらすと……クラスの様子が、目に入った。

 私達の会話が気になるのか、何人もの生徒達がこちらをうかがっているようだ。

 その中には普段、ななさんの言葉に追従している人たちも多い。

 私の視線に気が付き、皆、気まずそうに目を逸らしてしまう。

 それは、実に不思議な光景であり……同時に、ああ、と納得がいくものでもあった。

 誰だって、私みたいな目に遭いたくはない。一つ間違えば、クラスでいじめられ、こんなゲームを押し付けられる。だから、他の大多数に迎合するのだ。

 矢島さんも、その一人なんだろう。ただ、他のクラスメイト達よりも、ほんの少しだけ優しかった。だから、勇気を振り絞って話し掛けてくれたのだ。それだけの、こと。

 以前までの私なら、彼女に悪感情を抱いたかもしれない。肝心な時に何も言わず、良い子ぶるだけの偽善者と。そう、心の中で罵倒したに違いない。

 でも、か今の私はそう思えない。むしろ、こんなにも気をつかわせちゃって、逆に申し訳ないくらいだ。


「矢島さん、顔をあげてください」

「……え?」

「私は、大丈夫ですから。気にしてない、とまでは言いませんけど……そんなに心配しなくても、平気ですよ?」

「で、でも……でもっ」


 私はじまさんの耳元にそっと口を寄せ、ささやいた。


いるくんは、とっても優しい人よ。うわさなんて、当てにならないくらいにね」

「──え?」

「あなたがもしも、申し訳ないと思ってくれるなら……お願い。彼の事は悪く言わないで。それだけで、私は十分だから」

「ま、まさかあささん! 入間くんの事を……!?」


 あれ? か彼女は口元を手で覆い、驚いたように目をまたたかせている。

 なにやらモゴモゴとつぶやいているようだけど、何が言いたいんだろう?

 しかし、私がそれを問いただそうとした時、聞き覚えのある声が廊下から響いてきた。

 ななさんと、その取り巻き達だ。


「さ、席に戻ってください。一緒にいるところを見つかったら、厄介ですからね」

「朝比奈さん、本当にごめんなさい……!」


 涙をこぼしながら立ち去る彼女を見送り……私は、自分の心がやけに落ち着いている事に驚いた。矢島さんは大丈夫かと、心配する余裕さえある。いつから、私はこんな風に思えるようになったのだろうか。

 その原因を考えようとして──不意に、『彼』の顔が、思い浮かぶ。

 心臓の音が激しくなり、ため息にさえ熱がこもる。

 ああ、本当に私はどうしちゃったんだろう?

 私は、彼を──どう、思っているんだろうか……。


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