第五話―① 爽快な朝



「うーん、今日も良い天気! 絶好の登校日和びよりだなあ」


 晴れ渡った青空は、見ているだけで気持ちがいい。やっぱり、朝はこうでなくっちゃ。

 窓から差し込む日差しに目を細め、よしっと気合を入れ直す。


ふた、もう行くよ? ほら、早く早く」

「わわ、待ってよ、お姉ちゃん!」


 転びそうになりながら、双葉が後を付いて来る。


「お母さん、行ってきまーす!」

「い、行ってきまーす!」


 よぉし、急がなきゃ! ああ、もう。靴を履く時間さえ、もったいない!


「それじゃあ、また後でね。車に気を付けるのよ!」


 肩越しに妹へ声を掛けた──のだけれど、あれ? 返事が返ってこない。

 もしかして、まだ玄関で手こずってるのかな? そう思って振り向くと、双葉は何やら不思議そうな顔をしながら、こちらをじっと見つめていた。


「最近、お姉ちゃん変わったね」

「そ、そうかな?」

「うん、なーんか、話し方とか、口調とか。少し、柔らかくなった気がする」

「え……?」

「うん、私、今のお姉ちゃんの方が好きだな!」


 そう言って、双葉はニコニコ笑っている。か、妹はとてもうれしそうだ。

 えっと、どういう意味だろう。私の話し方が、柔らかくなった……?

 うーん? 私は普通にしているつもりなんだけど。自分では全くわからないや。


「じゃあ、お姉ちゃん! また後でねー!」


 妹が反対方向に歩き出して行くのを確認し、私は再び走り出す。

 スマホを取り出し、時刻を確認する。七時十五分。少し前の私なら、まだベッドの中にいる時間だ。そう考えると、何だか不思議な気分になる。

 ──うん、このペースなら、絶対はるくんよりも先に着ける!

 やがて、いつもの分かれ道が見えてくる。ゴールはもうすぐそこだ。

 息を弾ませながら、足を前へ前へと動かす。よぉし、今日は私の勝ち──


「あ──っ?」


 私は、思わず声をあげてしまった。

 トップランナーの気分でやってきたというのに、勝利者はすでにいたのだ。

 分かれ道の前に立っているのは、いつも見慣れた、まん丸頭さん。言わずと知れた私の彼氏、いるはるくんである。

 ──しまった! また今日も先を越されちゃうなんて!

 悔しくて悔しくて、地団太を踏みそうになる。


「あ、わかさーん! おはよう!」


 すると、彼が私に気付いたか、大きな声で手を振ってくれた。

 なによその、無駄にドヤッた笑顔は。くー、憎らしいったらありゃしない!

 私は、ねたように口をとがらせた。


「うー、今日こそはイケルと思ったのに! 一体、いつからここにいるの!?」

「ふふふ、まだまだ、修業が足りん。この晴斗をめたらあかんぜよ!」


 く、悔しい……! もう、いい気になっちゃって!


「明日を見てなさい! 次こそは私が一番乗りしますからね!」

「ひょっひょっひょ……それはどうかなあ? 明日も同じセリフをはくと予言しよう」


 彼の軽口に、ふくれっつらを返して見せる。でも、決して嫌な気分じゃない。


「もう……っそんな事ばっかり言って! どーせ私はノロマですよ」

「あれれ、拗ねちゃった?」


 横目でチラッとこちらをうかがう仕草が腹立たしくも、微笑ほほえましい。


「拗ねてなんかいません! 子どもじゃないんだから、もう! ああ、それとですね!」

「それと?」


 そうだ、これだけは言っておかなければなるまい! 私は息を大きく吸って──


「……言い忘れていました。おはよう、晴斗くん」


 とびっきりの笑顔で、彼に微笑んだ。


「う、うおう……! ふ、不意打ちはずるいな!」

「やーい、引っ掛かりましたね♪」


 下の名前で呼び合うようになってから、はや、一週間。

 最初はやっぱり恥ずかしくて、どうも呼びづらかったけど……今ではほら、この通り。

 人間って慣れるものだなあ、うんうん。

 先ほどのお返しとばかりに、ドヤ顔を向けると、彼は慌ててそっぽを向いてしまう。

 顔を赤くしてドギマギする晴斗くんは、何だかとっても可愛かわいらしかった。


「ふふ、お返しですよ。さあ、そろそろ学校に行きましょ?」

「やれやれ、女の子にはかなわんなあ」


 彼と並んで歩き出す。かつて感じていた抵抗感は、今はまったくない。

 なのに、どうしてだろう。ときどき、ひどく気恥ずかしくなる事があった。

 胸が温かくなり、ほおが熱を持つ。この感情が、このおもいが何なのか……

 私は自分で自分がわからなくなる。


「今朝は、大変だったの。お父さんがお母さんに、まーた叱られて……」


 ──何気ない会話が、楽しい。


わかさんは、家族の話が本当に好きなんだね。毎朝毎朝、感心しちゃうなあ」


 ──彼の笑顔を見れるのが、うれしい。

 うん、そうだ。だから、これだけは自信を持って言える。

 はるくんと過ごす日々はとても楽しく、胸が弾むものである、と。





 昼休み。私達は、空になったお弁当箱を手に下げて、一年一組へと向かっていた。


「ふふ、今日も良い食べっぷりでしたね」

「いやあ、若葉さんのご飯なら、いくらでも入っちゃうよ!」


 あいの無いおしゃべりをしながら、教室の扉を開く。


「あら、あささん。今日もご苦労様。つらい、苦行だったでしょうに……」

「嫌な時は嫌だと言うのも勇気だよ?」


 入り口付近に居たいいづかさんと、その隣に居る、ポニーテールの女の子──じようかなみさんが私に笑顔を向けてくれた。


「オメーら……人聞きの悪い事を言わんで欲しいな」

「ま、やっかみと受け取っておきなって。彼女と二人で昼メシとか、羨ましいにも程があるっつの。なあ、兄貴?」

「同意する。見ろ、このグラフを。ここのところ、クラス内のヒエラルキーが著しく偏り始めた。無責任にイチャつく男の影に、泣く者たちもいるという事を覚えておくのだな」

「ああ。主に俺達とかな」


 タブレットを片手に、兄弟がニヒルな笑みを浮かべた。


「あはは、しょうがない人たちですね。じゃあ、晴斗くん、また放課後に……皆さん、お騒がせしました!」

「りょうかーい!」


 晴斗くんが笑顔で手を振ると、何人かの生徒達が同じように挨拶を返してくれる。

 気分はすっきり、晴れやかだ。ふんふふん、と鼻歌まで口ずさんでしまう。

 けど、それも自分の教室に戻るまで。席に着くと、さっきまでの爽快気分が途端にしぼみ、消えてしまう。あーあ、もう昼休みが終わりかあ。

 これから、放課後までの数時間が退屈で退屈で仕方ないや。

 すると、それを見計らったかのようにななさんが話しかけてきた。


「あんた、中々がんばってるみたいじゃない? ようやく、マジになってくれたのね」

「……へ?」


 一瞬、彼女が何を言っているのか、理解できなかった。


「お弁当の差し入れまでやってるそうじゃないの。くすくす、アンタもよくやるわ。ゲームのためとはいえ、あんなブタまんじゆう相手によくやるわ。私にはできそうにな──」


 ──今、何て言ったの?


「ぶた、饅頭……?」


 彼の事を侮辱され、思わずななさんをにらみ付けてしまう。


「は? な、何よ。あんた変な顔をしちゃって……ああ、そんなに嫌々やってるわけか」


 私の態度を誤解したか、七瀬さんはうんうん、と一人勝手にうなずいている。


「最近『お人形遊び』をしてなかったし、アンタのその顔、新鮮ね。まあ、せいぜい頑張りなさいよ。根暗女とキモオタのカップルっていうのも見ものだわ」


 言いたい放題言うだけ言って、彼女は自分の席へと帰っていった。

 私は彼女を睨み付けたまま、机の下で拳を強く、握りしめていた。

 ……そうしていないと、自分が何をしてしまうかわからなかったのだ。

 あれほどはるくんに嫌悪感を抱いていた自分が、こんな風に思うようになるなんて。

 私自身、意外だったけれど──とにもかくにも、腹が立つ事には変わりない。


 そんな風に、憤っていると……




「あ、あの……あささん」

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