第四話―③ 泥だらけの男の子



「大丈夫かな? ハルトにいちゃん、しんじゃったりしない!?」



 ──な!?


 い、今なんて! 今、何て言ったの!?

 その言葉の意味を頭で理解するよりも先に。


「どど、どういう事なんですか!? 彼に、いるくんに何かあったんですか!?」


 反射的に、私は彼らの元に駆け寄っていた。


「君は、確かあの時の……! ああ、良い所で会った!」

「ねえちゃん、ハルトにいちゃんが、おれの、おれのせいで……」


 可愛かわいらしい顔をぐしゃぐしゃにして、いちくんが涙ながらに訴えてくる。


 一体、何があったの!?


「落ち着け、太一! ……ごめんね。今日もデートだったんだろ? なのにこんな……」


 泣き出してしまった太一くんをなだめつつ、お父さんがこちらに向き直る。


「実はね、さっき──」


 太一くんのお父さんが語るところによると、こうだった。

 お父さんと太一くんは、新設されたテーマパーク目当てに、親子二人で遊びに来ていたらしい。私も、その場所のうわさは聞いている。立体型のゲームが楽しめるとかで、特に若い子たちに人気が出ているとか、なんとか。混み具合によっては、デートの途中で立ち寄ろうか、と入間くんと話し合ったことを思い出す。


「……その途中でね、本当に偶然だったんだけど、学生時代の友人と再会してしまって」


 趣味で自作のアクセサリーや小物類を路上販売しているという『友人』。

 お父さんも、彼と会うのは久しぶりだったらしく、太一くんそっちのけで、話が弾む弾む。夢中でおしやべりを続けていて……気が付いたら、隣にいたはずの息子の姿が、どこにも見当たらない。

 なんでも、退屈した太一くんが、宣伝のぬいぐるみに付いていってしまい、気が付いたらお父さんとはぐれてしまった、らしい。

 見知らぬ街に、ただ一人。周りに知っている人間は誰もいない。

 泣きじゃくる太一くんの前に通りがかったのが……そう、入間くんだった。

 事情を知った入間くんは、太一くんをく宥め、一緒にお父さんを探そうとしてくれたというのだから、彼らしいと思う。

 けれど、テーマパーク目当てだろうか、折しも快晴だった事も災いし、どこを見ても人、人、人ばかりで、なかなか見つける事ができなかったようだ。


「おまわりさん、交番にいなかったんだ。おれ、とーちゃんの電話番号のメモ、わすれちゃって……れんらくも、できなかったんだ」


 いちくんが、そう言ってうつむく。

 かわいそうに。そんな状況じゃあ、この子も不安だったに違いない。

 それでもいるくんは諦めず、不安がる太一くんを慰めながら、あちらこちらを探し回ったらしい。そしてついに、苦労が実って、お父さんを見つけた、らしいんだけど……。


「こいつが、横断歩道の向こうにいる僕を見て、一目散に駆け出しちゃってね。信号が赤だというのに、それを気にもせずに……」


 お父さんを見つけて、よっぽどうれしかったのだろう。脇目も振らずに走り出した結果、

 その横合いから、スピードを出したトラックが突っ込んできて──


はる君がとつに飛び出して、この子をかばってくれたんだ。おかげで、太一はもせずに済んだんだけど……彼は、思いきり転んだ挙句に、みずまりに体をたたきつけられて──」

「な、そんな……!」

「全身、泥だらけで、怪我をしたかどうかもわからない状態だった。慌てて駆け寄って、体の具合を確かめようとしたんだけど、急に彼が慌てだしてね。いま何時なのか、僕に確かめてきたんだよ」

「そ、それで?」

「大遅刻したとか、あせり出しちゃって。それで、いきなり『あささん、ごめんなさぃぃぃ!』って叫びながら走り出して行っちゃったんだ。あつに取られてそれを見送ったのが失敗だったよ。我に返って追いかけたんだけど、その時にはもう遅かった。全然見当たらなくて……どうしようかと」


 ……あまりの事に、私は言葉も出なかった。まさか、そんな事になってたなんて!


「もしも、彼に連絡が付いたのなら、教えてくれないかい? 息子の恩人だ。お礼もしたいし……何より、彼の体が心配だ! 頭でも打っていたら、その場は平気でも時間がってから取り返しの付かない事にだってなりうるからね!」


 戸惑う私に太一くんのお父さんが名刺を差し出し、そう告げた。

 その後、どんな会話をしたのかはおぼろげで、よく覚えていない。

 わかっているのは、差し出された名刺を受け取り、連絡を約束したくらいだ。


 ──気が付いたら私は、駅の方へと足を向けていた。

 入間くんは、この駅を利用していたはず。あれから時間は経ったけど、もしかしたら……


「──あ!」


 いた、見つけた! あの特徴的な後姿は、間違いない!


「入間く──」


 そのまま、彼の元に駆け寄ろうとして──言葉を、失った。

 彼の姿は、はたに見ても恐ろしく無残なものだった。

 太一くんのお父さんの話にあったように、頭から泥をかぶったらしく、てっぺんから爪先までぐっしょりと汚れ……滴が地面に点々とこぼれ落ちている。

 元は良い値段であったろう服はあちこちが破れ、泥にまみれ……ボロ布と化していた。

 パッと見た所、血などは流れていなさそうだったが、それでも思わず目を背けたくなるほどに、その姿は痛々しかった。


「何あのブサイク! やだー汚い! ホームレスかなんか?」

「うわ、気持ち悪……っ おい、目を合わせんなよ」


 周囲から、彼を嘲笑する言葉が聞こえてくる。

 いるくんは、そんな嘲り声を背に受けながら、力無く、歩いていた。

 泥にまみれた体を拭おうともせず、とぼとぼと、とぼとぼと……

 そして、そんな彼の様子を見て、うま達は更に声を上げてはやし立てた。

 そればかりか、スマホで写真を撮っている人さえいる。


「──ッ!」


 瞬間、私の心に燃え上ったのは、たとえようのない怒りだった!

 彼が、どれほどの事をしたのか知りもしない癖に、よくも、そんな──!

 これ程の怒りを感じたのは、生まれて初めてだった。

 感情の赴くままに、周囲の野次馬達を怒鳴りつけてやろうと口を開いた、その時。


「どうしたの、はる君!?」

「おい、何やってんだお前!」


 突然聞こえてきた声に出鼻をくじかれて、私はとつに物陰へ身を引っ込めてしまった。


「あれは…‥ぜんくんに、なみかわくん?」


 名物トリオの残り二人が、入間くんのところに駆け寄っていく。


しゆん、それにりよういち……? 二人とも、どうしてここにいるんだ?」

「それはこっちの台詞せりふだっ! お前、あさとデートしてたんじゃないのかよ!?」

「亮一君の言う通りだよ! それに、その姿は一体どうしたのさ!?」

「こ、これは、そのぅ……」

「ああ、ちょっと待て」


 備前くんがぐるり、と周りを見渡し、野次馬達をにらみつけた。その目は血走り、異様な迫力が込められているのがわかる。先ほどまで憤っていた私でさえ、背筋が凍り付いてしまう程に。


「おい、見せもんじゃねえぞ……せな!」


 備前くんの一喝を受け、周囲の野次馬達がの子を散らすようにして逃げ去ってゆく。

 私もまた腰が引け、思わず尻もちをついてしまいそうになる。

 こちらに向けられたわけでもないのに、聴いただけで全身の毛が逆立つようだ。


「さて、うるせえのはいなくなったみたいだ。チラホラ遠巻きで見てるのはもう放っておくぞ。写真でも撮りやがったら、ぶん殴りにいくが」

「事件になるから、穏便にね。それはそうと、はる君。一体、何があったんだい?」

「えっと、これは、そのぅ……」


 迷うようなそぶりを見せた後、いるくんが恥ずかしそうに頭をいた。


「こ、転んじゃってさ! いやあ、俺ってばドジで仕方ねえよなあ!」


 え、彼は、何を言って……


「馬鹿抜かせ! どこの世界にただ転んだだけでそんな風になるやつがいるんだよ!」

「そうだよ、幾らなんでもそんなわけ……」

「いや、うそじゃないさ。本当に、そうなんだ」

「晴斗君……」

「てめえ、まだそんな事を──!」


 確かに、そんな言い訳が信じられるわけがない。私だってそうだよ。

 けれど、憤って詰め寄るぜんくんのその肩を、なみかわくんがつかんでとどめた。


「そっか。まったく、君は昔からドジだよね」

「おい、しゆん!?」

りよういち君。彼自身がそう言ってるんだよ。なら、それでいいじゃない」


 二人の視線が絡んでぶつかり合う。見えない火花が散ったようにさえ見えた。

 しかし、それも一瞬の事。先に目をらしたのは、備前くんだった。


「……チッ。わーったよ」

「悪いな。ありがとう、二人とも」


 お礼を言う入間くんからそっぽを向き、備前くんはねたように腕を組んだ。


「でも、その様子だと。今日のデートは……」

「……急用ができたって言って、断ってきたよ」

「お前……」


 入間くんはがっくりと肩を落とし、力無くうつむいた。




「……こんな姿で話しかけたらさ、あささんが恥をかいちゃうだろ?」




 ──え?




「俺はいいんだよ。どんなに笑われたって、罵倒されたって。慣れてるし、何とも無い。けどさ、けど……俺の事を好きだって言ってくれた女の子が、笑い者にされるのだけは耐えらんねえよ……」


 ぽた、と。彼の目から、泥の滴とは違う液体が落ちるのが見えた。

 よろり、と私の足がふらつく。目の前が揺れ、立っている事さえむずかしくて、へたり込むようにして地面に尻もちをついてしまった。

 ──それほどに、彼の言い放った言葉は衝撃的だった。


「ごめん! せっかくみんなにも励ましてもらったのに! あささんをこの寒い中、一時間以上も待たせちゃったよ……ああ、俺ってやつは本当に駄目だなあ」

「……まったく、そのズレっぷりがはる君らしいね。僕らの励ましがどうの、なんて気にしなくていいのに」

「でも……朝比奈さんが」

「まあ、彼女に連絡もせず、待ちぼうけさせちゃったのは確かに良くないけどね。でも、それだって取り返しのつくことでしょ? 絶交を言い渡されたわけでもないんだからさ」

「そうだ、んな事で一々悩んでんじゃねーぞ、鬱陶しい! 朝比奈には明日、ちゃんと謝ればいいだろ?」

「……ああ、そうするよ。サンキュ、二人とも」


 なみかわくんが差し出したハンカチで顔を拭い、いるくんが照れ臭そうに笑った。


「とりあえず、そのかつこうをどうにかするぞ! このまま帰ったら、あのクソ女はともかく、お前のお袋さんが心配するだろうが」

「そうだね。服はこちらで用意しておくからさ。とりあえず、その辺のスパ銭で体を洗ってきなよ。それと、一応病院にも行こうね。どこか打ってないか見てもらわなきゃ」

「うう、友情が目に染みるなあ。こ、これは汗なんだからねっ」

「キメエ」「キモイね」


 そうして、彼らはその場を立ち去って行った。私は、情けない事に一歩も動けず……

 三人の背中を、そっと見送ることしかできなかった。




『俺の事を好きだって言ってくれた女の子が、笑い者にされるのだけは耐えらんねえよ』




 耳に、先ほどの彼の言葉がずっとだましている。

 ざわめく胸をそっと押さえ──私も、その場から立ち去った。


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