第二話―① 『ゲーム』の始まり


    


「何だか、今日は変だな……」


 チャイムが鳴り響き、一時限目が終わる。いつもなら、先生が出て行ったタイミングを見計らって、この辺でクラスメイト達の『ちょっかい』が始まるのに……

 思い返せば、今日は朝からクラスの雰囲気がおかしかった。挨拶代わりにからかってくる子たちも、今朝は近寄ってすらこない。

 それどころか、あのななさんが、私に『おはよう』と声をかけてきたのだ!

 夢でも見ているみたいで、逆に気持ちが悪い。本来ならば、喜ぶべきだと、そう思うのだけど……素直にそれを歓迎できないのは、私がひねくれているせいなんだろうか。


「へえ、これがそうなの?」

「わあ、素敵!」


 わっ!? なに、なに!?

 急に教室中に歓声が響き渡る。驚いて、そちらの方に目を移すと──


「七瀬さん?」


 大勢のクラスメイトに囲まれた、七瀬いくさんの姿がそこにあった。

 彼女の手には、れいな装飾に彩られた小物が握られている。どうやら、それを周囲に見せびらかしているようだった。

 七瀬さんの手の中で、きらり、と鏡面のようなものが光を反射して輝いている。コンパクトか何かだろうか?

 皆、ため息をきながらその小物に見入っているようだった。

 ここからではよく見えないが、きっと良い物なんだろう。

 ちょっと興味はあったけれど、私には関係のない話だ。また目を付けられる前に、顔をらしておいた方がいいかな。

 ──そう、思った矢先であった。


あさ、あんたもこっちに来なさいよ。特別に、見せてあげるからさ」

「……え?」


 いつになく穏やかな声で、七瀬さんが私にそう言ったのだ。

 正直、聞き間違えたかと思った。

 だって、彼女が私にそんな言葉を掛けてくれるなんて……あり得るはずがないのに。


「ほらほら、見てみなさいって。遠慮する事ないのよ」


 にこやかに微笑ほほえみながら、こちらに手を振る七瀬さん。


「あ、は……はい!」


 実を言えば、少しだけ……ううん、すごくうれしかった。

 もしかしたら、彼女に、クラスの皆に受け入れてもらえたかと思ったのだ。


「ほら、これなんだけどさ」

「へえ、可愛かわいいですね。コンパクト、ですか?」


 手のひらにすっぽり収まり切る大きさのそれは、近くで見ると中々に素敵なデザインのものだった。薄い桃色を基調として、全体に花びらのような装飾が施されており、それなりに高級そうな物のように見えた。


「でしょ、ほら手に取ってみてよ。これね、お父さんからもらったの。有名なブランドの物なんだってさ」

「え、そうなんですか?」


 そう言われると少し尻込みしてしまう。壊したりしたら、どうしよう。


「遠慮しないで、ほら。どうぞどうぞ」


 そう言われると、ダメだ。断り切れない。それに、正直……興味もあった。

 結局、ななさんの勢いに押されるようにして、私は手を差しだしてしまった。


「はい、どうぞ」

「わあ、すて────キャッ!?」


 コンパクトを受け取った瞬間、背中に強い衝撃が走る!


「あっ」


 その瞬間は、まるでスローモーションのように見えた。

 七瀬さんの手元から離れたコンパクトが、私の手のひらを滑り落ち、勢いよく床にたたきつけられ──甲高い音が、響く。

 まるで、花弁が散るように……桃色の破片が周囲にはじんだ。


「きゃあっ何してんのよ、アンタ!」

「やだ、信じられない!」


 周りにいたクラスメイト達が、口々に騒ぎ出す。


「ち、違……っ!」


 今、確かに背中を押されて……! 慌てて後ろを振り向くが、そこには誰もいない。


「何やってんのよ、このバカ!」

「ご、ごめんなさい!」


 誰かが背中を押したの! だから、手がすべって……!

 そう言いたかった。言えれば、良かったのに。

 けど、出てきたのは情けない謝罪の言葉だけ。


「このコンパクト、誕生日のプレゼントなのよ! 何万円もする高価なものなのに……どうしてくれるのよ!」

「そ、そんなに……!?」


 ななさんの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちてゆく。

 あ、え。ど、どうしよう……どうしよう……!

 思わぬ事態にがくぜんとしていると、追い打ちをかけるように、周囲から罵声が飛び交った。


「うわ、どんくさいやつ!」「七瀬さん、カワイソー!」「あさの奴、日頃の恨みを晴らそうってワケ? 最低ね。どんだけ陰険なの?」


 もう、言い訳なんてできる状況じゃない。

 罵声を受け、ひたすら縮こまる私の、その肩を……七瀬さんが、つかんだ。

 肉にいこむ爪の痛さに、思わずうめいてしまう。


「アンタの親にも言うからね! 弁償しなさいよ!」

「あ、うう……」


 その叫びに乗っかるようにして、周囲の罵倒は更にヒートアップしていく。

 もう、どうしたら良いかわからなかった。

 私はただただ震えて立ち尽くす事しかできない。

 やがて少し落ち着いたのか、七瀬さんが肩をゆらしながら、無表情な顔でこちらを見た。


「まあ、アンタもわざとやったわけじゃないんでしょうし、許してあげてもいいわ」


「ほ、本当ですか!?」

「ええ、条件によるけどね」


 何でもいい、私でできることなら、何でもします!

 私が必死に頭を下げながら、そう告げると────


「言ったわね?」


 彼女は唇の端をり上げながら、不気味に笑った。


「じゃあ……罰として、ゲームをしてもらうわ!」

「ゲ、ゲーム、ですか?」

「そうよ、とっても簡単なゲームだから心配しなくても大丈夫よ」

「な、何をすれば良いんですか?」

「あんたさあ、一組のいるって知ってる?」


 脳裏に、先日の光景が浮かぶ。


「は、はい名前だけなら……一年一組の入間はるくん、ですよね?」

「そう。馬鹿でスケベでメタボ。年中気持ち悪い話ばっかりしてる、あのキモオタ野郎よ」

「私達も困ってるんですよねえ。あの存在が目に入るだけでもウザったいのに」


 七瀬さんの後ろから、東海林しようじさんがひょっこりと顔を出した。


「最近ね、特に調子に乗ってるようでして。本当に小憎らしいと思いません?」

「は、はあ……?」

「でさあ、懲らしめてやりたいわけよ。この辺りで一発ガツン!とやっておかないと、私達の精神衛生的にも良くないし」


 ななさん達は、何が言いたいんだろう? 話が、まるで見えない。


「だからそこでね、くひゅひゅひゅ……ゲームをするんですよぉ!」


 得意そうに東海林しようじさんが指を立てる。え、なに、それ?

 混乱する私を見かねたか、七瀬さんが、ぽん、と肩をたたいてきた。




「あんたさあ、いるに告白してきてよ。それでアイツと付き合っちゃいなさい」




「──は?」


『ちょっとコンビニまで行って来て』それくらいの気安さと気軽さで、彼女はそう言った。


「わ、わけがわかりません! 何で、何で、そんな……!」

「全く、頭が悪いわね。いい、アイツは今まで彼女の一人もできた事のないくらいのキモオタデブでしょ? そんな時に、アンタみたいに顔だけはそこそこ良い女に告白されたら、どう思う?」


 どうって……まさか!


「サルみたいに、がっついて来ると思わない?」


 七瀬さんが、ひどく冷たい笑みを浮かべた。思わず、背筋がぞっとする。


「そして、あなたとお付き合いを始めて、散々関係が進み、これ以上ないくらいのカップルとなったと思わせた所で──全部がヤラセだったとバラすんですよ」


 な、何? 何を言ってるの、この人達は?


「いかにゴキブリ並みにタフそうなあの男でも、早々には立ち直れなくなるでしょう。後は、精々残りの学園生活を静かぁに送っていただくだけ。自分の身の程を知ってもらって、ね」


 東海林さんが、ニッコリと微笑ほほえむ。天使のように愛らしく、清らかなその笑顔。怖いくらいに、表情は穏やかで……私は、自分の体が震え出すのを、止める事ができなかった。


「そんな、それはあんまりです!」

「はぁ? 拒否権なんてあると思ってんの? この件、あんたの親にバラしてもいいのよ?」


 それに、と七瀬さんが手を振った。


「何でもするって、言ったじゃない。アンタ、うそまでくの? あんな事をしでかしておいて、さ」


 ────められた! さっきまでのは、全部演技だったのだ。

 今更、気付くなんて……自分のニブさと頭の悪さが恨めしい……!


「それは……」


 ハッキリ言って、断りたい。特に恨みの無い人をだます罪悪感ももちろんあるが、何よりも、自分の彼氏くらい自分で選びたかった。自分の意志で、告白したかった。

 それが、よりにもよって、学園一の嫌われ者の彼女になれ、だなんて!

 けれど、拒めない。拒めるはずもない。ここで断れば、待っているのは更なるいじめと、何万円もの大金の弁償だ。選択肢はどちらにせよ、一つしかなかった。


「う、ううう……」


 そして、私は──


「────わかり、ました」


 自分可愛かわいさのあまり、最悪の選択をしてしまうのだった。



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