第一話―② 学園一の嫌われ者


 四限目の授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。私は、お弁当箱をつかむと、先生が教室を出た瞬間を見計らい、逃げるようにして教室を飛び出した。

 目指すは校舎裏。薄暗く、誰も立ち寄らない日陰の場所だ。肌寒いこの季節に、わざわざこんな場所で昼食を取ろうとする生徒はいない。そう、私以外には。

 前は、私もクラスでご飯を食べていた。けれど、何度も何度もお弁当に悪戯いたずらされる事が続き、教室でご飯を食べるのをめてしまった。

 それでなくてもいじめられるのだ。せめてお昼くらい、静かに食べたい。


「よし、誰もいない。今のうちにご飯を──っと、わあ! 今日もおいしそう……」


 卵焼きに野菜の煮つけ、とりにくえ……お弁当箱を開けると、色とりどりのおかずが目に入る。それを見るだけで、顔がほころんでしまう。

 ご飯を食べるこの時間だけが、学校での唯一の楽しみだった。お母さんが、家族が。そばにいてくれるような気がするから。

 ……本当は、もう学校になんて行きたくない。でも、事情を話せばきっと両親や妹は心配するだろう。何より、私がこんな目に遭っているなんて、皆には知られたくない。

 あと、四ヵ月もすれば進級し、クラスも変わる。そうすれば少しはマシになるはず。

 お箸をかすかに震わせながら、ゆっくりとおかずをつまみ、口に運んでいく。

 そうして、母の作ったお弁当をたんのうしていた、その時だった。


「ブヒャヒャヒャヒャ! お前、ぜんっぜんわかってないのな! やっぱりりよういちじゃあその程度か! ブハハハハハ!」


 ビクリ、と体が震える。なに、今の大声は!?

 物陰から顔を出し、恐る恐る様子をうかがってみると、男子生徒が何人か集まり、なにやらにぎやかに騒ぎ立てているのが見えた。

 思わず、あっ、と声を上げそうになる。彼らの顔には見覚えがあったのだ。


「んだと、てめえはる! もういっぺん、言ってみやがれ!」

「何度でも言ってやろうではないか、ンン? お前にはギャルゲーの真価がまるで見えていないのさ。上辺だけの属性にとらわれて、その目を曇らせる……ふっ、愚かなやつよのう」

「くそ、ゆいの奴に勧められたゲームの感想を言っただけで、なんでこんな侮辱を受けにゃならねえんだ! ていうかおい、『このメガネ女、メガネを取った方が美人じゃねえの?』って言っただけじゃねえか!」

「それを取ったら戦争だろうが……!」

「何でだよ!?」


 ……いけない。訳の分からないくちげんを耳にして、意識が飛びかけちゃった。

 どうやら、浅黒い肌の少年と、ぽっちゃりとしたもう一人の少年が、激しく言い争っているようだ。彼ら二人の話から察するに、テレビゲームか何かの話だろうか?

 あまりにも無益な論争にへきえきしたのか、沈黙を保っていた三人目の男子生徒が、大きなため息をくのが見えた。彼はおつくうそうに首を振りながら、醜い罵り合いの中に割って入って行く。


「全く、落ち着きなよ二人とも。いつもの事なんだから、りよういちくんもいちいち反応しちゃダメだし、はるくんも、無駄にあおらないの」


 眼鏡めがねをかけた、穏やかそうなその男の子は確か、なみかわしゆんくんだ。学園きっての秀才と名高く、試験の成績は常に学年トップ。それどころか、全国模試でも上位に食い込んでいるらしく、彼一人でこの学校の偏差値を大きく引き上げているとかいう怪しげなウワサまで流れていた。とにかく、すごい人。


「これが落ち着いていられるかよ! 俺様が侮辱されたんだぞ、マジ許せん! 来い、晴斗! 今日という今日はそのエロゲ根性をたたき直してヤラぁ!」


 顔を真っ赤にして怒り狂う長髪の男子生徒は、ぜんりよういちくん。群を抜いた運動能力の持ち主らしく、まだ一年生、それも入部して半年足らずでサッカー部のレギュラーの座を獲得したらしい。おまけに自分付きのメイドさんをそばにはべらせているようで、大金持ちの御曹司じゃないか、なんてうわさもあるとか。こっちも、別の意味で凄い人。

 ……そして、問題なのが、最後の一人。


「へん、何を言うか、この筋肉ダルマ! ダダ甘に甘やかされてるお坊ちゃまがよく言うぜ。どっからでもかかってこいや! この腹はじゃないって所を見せてやる!」


 ふくよかなおなかをぽぽん、と叩いてふんぞり返る、その少年。

 真っ白な肌と、五分刈り頭。締りの無い唇と、垂れた目。メタボ一歩手前のその姿は、お世辞にも整っているとは言い難い。これは確かに女の子受けするはずはないだろう。少なくとも、その見た目は『噂』で聞いた通りのそのまんまだ。


いる、晴斗……くん」


 デブ・オタ・キモイという三重苦を背負った、学園きっての嫌われ者。

 入学式の最中にえっちなゲームの談義で盛り上がり、そのまま強制退場をらったという、この学校の長い歴史の中でも、かつてない伝説を築き上げた少年だ。

 その特異な容貌から『白まんじゆう』だの『れんとう学園の大福もち』だの呼ばれているとか。

 私は参加させてもらえなかったけれど、女子コミュニティの間では、彼氏にしたくないキモオタランキングで堂々一位を飾った、と小耳にはさんだ事がある。

 こちらはもう、何と言うかスゴイ人だ。お近づきになりたくない、という意味で。


「やっぱあれだ! ゲームは健全なのが一番だ! 格ゲーやれや、格ゲー!」

「バッカオメエ! エロの無い人生に何の意味があるんだよ! この童貞ストライカー! いや、格ゲーもそれはそれでいやらしくて大変ごそう様ですけどネ!」

「そんなキモイ事ばっか言ってっからもてねえんだよ、お前は!」

「この身は二次元にささげてるんですぅ! 三次元なんぞ興味ないっての!」


 ますますヒートアップしていく馬鹿騒ぎ。ぜんくんがついにキックを繰り出し始め、いるくんがそれをおなかで受け止める。なみかわくんは、やれやれ、と。肩をすくめているようだ。

 学園でも有名な三人組。こうして間近で見るのは初めてだったが、何というか、圧倒的なインパクトがある。これは名物トリオ呼ばわりされるわけだと、納得した。

 ……それにしても、うるさい。これじゃあ、静かなランチタイムが台無しだ。

 ──入間くんは、皆から嫌われているはずなのに。なのに、どうして。

 どうして、あんなにも楽しそうにはしゃいでいられるんだろう。

 私はこの学校に来て、まだ一度も心から笑った事さえないのに。

 これは、嫉妬だ。たとえようもない、身勝手で醜い感情。

 水で流し込むようにして食事を済まし、校舎裏を足早に立ち去る。

 言い知れぬ、モヤモヤとした思いを胸に残して──




 放課後の帰り道。私の足取りは朝よりはずっと軽い。ようやく全てから解放された気分だから、だろうか。早く、一分でも早く、家に着きたい。

 真新しいコンビニの角を曲がれば、近道だ。

 くようにして足を速めていくと、コンビニの入り口に、見知った顔があった。


ふた……?」


 思わぬ幸運に、顔がほころんでいくのがわかる。妹は私とは違い、部活に入っている。それも剣道部だというのだからすごい。練習は夜まで続く事も多く、帰りが一緒になる事なんてほぼあり得ないと言うのに。こんな所であの子に会えるだなんて。

 憂鬱な気分が一気に吹き飛んだ。自然と、足取りも軽くなってゆく。

 せっかくだから、おしやべりしながら帰ろう。そう思い、駆け出そうとして……

 ────寸前で、思いとどまった。


「何だか、急に寒くなって来ましたね」

「ああ、ゆかりもそう思う? そろそろ秋も終わりかなあ。セーターとか出さなくっちゃ」

「この間まで夏だと思ってたのに、もう十一月かあ。何だかここの所、月日がつのが早いや。ボクも年かねえ」

「あっはっは! もー、ちなっちゃんたら、老いるの早すぎぃ! あは、あははははは、げほ、げほん! ぐほっ!」

「ちょ、双葉!? そんなにツボにはまったわけ? 何もむせるまで笑わんでも……」


 友達らしい三人の少女に囲まれ、妹は朗らかに笑っていた。

 ああ、そうだった。あんな風に双葉にはいつも、沢山の友人達がいたのを忘れてた。

 本当に、私とは大違いだ。同じ、双子なのに……どうして。なんで、こんなにも。

 ──いけない。私はこんなにひがみっぽかっただろうか。

 大切な妹に嫉妬するだなんて、おかしいよ。

 首を振り、きびすを返す。声を掛ける事はできそうもなかった。

 回り道をして、家に帰る。玄関を開けると、双葉の靴はそこにない。

 随分とかいしたと思ったけれど、それでも妹より先に家に着いてしまったらしい。

 にじんで来る涙を手で拭い払うと、精一杯の笑顔を作る。


「────ただいま!」

「あらあら、お帰りなさい。今日も元気が良いですね」


 私の声を聞きつけて、お母さんが出迎えてくれる。

 その、おっとりとした微笑ほほえみを見るだけで、心がいやされた。

 ようやく安心できる場所に、おうちに帰って来れたのだと、心からそう思えたから。


「はい! 私はいつも元気いっぱいですよ?」


 それは、うそじゃない。私は、家族の前なら笑顔でいられるのだ。

 だから、私は今日という日が終わるのがいつも怖い。

 幸せな時間は短い。あっというまに過ぎ去ってしまうものだと、知っているから。


「今日は、おやつにケーキを作ってみました。手を洗ってから召し上がれ」

「わあ! お母さんのケーキ、大好き!」


 家に帰ってくるたび、母の優しげな声を聞くたびに、学校での決意が鈍りそうになる。

 あと、ほんの半年足らず……しかし、半年という期間は十二分に長かった。


「夕食は、昨日の残りで悪いのですけど、明日は貴女あなたの好きなパスタをでますからね。ふふ、明日を楽しみにしていてくださいな」


 ────ああ……


「はい! お母さん。たの、楽しみにしてますね!」


 ────明日なんて、来なければいいのに。



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