朝比奈若葉と〇〇な彼氏

間孝史/MF文庫J編集部

第一話―① 憂鬱な幕開け



 ──私は、朝が来るのが怖い。

 ううん、正確に言えば『明日』が来るのが怖いのだ。

 ずっと布団の中で微睡まどろんでいたい。せめて、幸せな夢の中に浸っていたい。

 ──けれど、現実はだって残酷だ。


「ん……うん……?」


 けたたましいアラームの音が鳴り響き、私を夢から呼び起こす。

 今日も、一日が始まるのだと、そう告げている……

 起きたくない。けれど、起きなくちゃいけない。

 両親に、妹に……私の大切な家族に、心配だけはかけたくないから。

 一、二、三……と布団の中で、数を数える。自己暗示みたいなものだけど、効果はある。

 さあ、十まで数えた。起きよう、起きなきゃ。目を、開けて────


「……ふふ、朝、かあ」


 乾いた笑みが、顔に貼り付くのがわかる。


「顔、洗ってこよう……」


 憂鬱な気分のまま、洗面所に向かう。

 蛇口をひねり、冷水を手にすくうと、思い切り顔面にたたきつける。

 せめて、気分だけでもスッキリさせたかった。

 ──どこまで効果があるのか、自分でもわからないけど。


「……アハ、ハハハ。本当に、ひどい顔。皆には、見せられないや」


 鏡の中には、私──あさわかの、青ざめた顔が映りこんでいる。

 唇をそっとむと、沸き上がる不安を振り払うように、再び冷水をすくい取った。



 ダイニングに入ると、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。みんな、もう席に着いているようだ。どうやら私が最後、ビリッケツみたい。それがちょっぴり、さみしい。


「──おはよう、みんな!」


 胸のモヤモヤを吹き飛ばすように、私は声を大きく張り上げる。すると、食卓を囲む三つの顔が、一斉にこちらを振り向いた。


「ああ、おはよう若葉。今日も元気が良いねえ」


「ふふ、その割にはお寝坊さんだこと。こんなにいお天気なのだから、たまには早起きしたらどうですか?」


 新聞を片手にお父さんが、穏やかに微笑ほほえんだ。その隣ではお母さんが、やんわりと私の寝坊助をたしなめつつ、手に持ったちやわんにご飯をよそってくれる。

 そういえば。先週までは雨が続いていたため、洗濯物が干せないと困っていたっけ。

 母が喜んでくれるなら、何よりだ。私も自分のことみたいにうれしくなる。

 それは、両親の対面に座る、私の双子の妹も同じだったようで。


「おはよ、お姉ちゃん。先週までは雨ばっかりだったから、これだけ晴れていると、何だか嬉しくなってくるね!」


 ぶん、ぶんと腕を振り回し、ふたが元気いっぱいの笑顔を見せてくれる。

 つられて右に左にたなびく、ツインテールの髪が抜群に可愛かわいらしくて微笑ましい。私も、見ているだけでほおが緩んでしまう。

 髪型以外、私とほぼ同じ顔なのに……妹の笑顔は、どうしてこんなにも、きらめいて見えるのかな。

 双葉のはしゃぎっぷりにられて、窓の方へと顔を向けた。まばゆい光がガラスに反射して、キラキラと輝いている。すがすがしい朝の日差し。

 なるほど。これは確かに、すてきな光景だ。この子が喜ぶ気持ちも、よくわかる。

 ニコニコと微笑む妹に向け、私もまた笑顔を返す。


「ふふ、ほんと。晴れていて気持ちがいですねぇ」

「そうそう、その通り。全く、先週は本当に参ったよな」


 私の言葉に、お父さんが反応した。うん、うん、と。同意するようにうなずいている。


「そろそろ肌寒くなってくるってのに、雨に降られちゃたまんないよ」


 ぶるる、と口をすぼめて肩をすくめる父を見て、姉妹そろって吹き出してしまう。


「ほらほら、笑っていないで、早く食べなさい。学校に遅れちゃいますよ」


 ──学校。母のその言葉が耳を通り、胸に重くのしかかる。


「あ……は、はい! 遅刻したら大変ですもんね」


 まずい。思わず、言葉に詰まってしまった。変に、思われなかったかな。

 横目でチラリと見ると、ふたげんそうに眉をひそめている。

 双子ならではの以心伝心だろうか。昔から双葉は、妙に勘がいのだ。


「そ、そういえば! お父さん、昨日もまた何か買ってきたんですか?」

「ああ、掘り出し物が見つかったんだぞぉ!」


 すように話を向けると、お父さんはうれしそうに頷いた。


「あなたったら、いい年して、またマンダムのプラモデルを買ってきたんですか?」

「マンダムじゃなくて、バンダムだよ、バ・ン・ダ・ム! そんなアンニュイな名前じゃないっていつも言ってるだろ。連合の白いやつが、昼下がりの奥さまになっちまう!」

「似たようなもんじゃないの? 大差ないっしょ」

「違う、まるで違う! くそう、何度言ってもこれだ! うちの連中ときたら、男のまんを全く理解してくれん! 寒い時代だ……!」

「あはは……わ、私はよくわからないけど、そのバンダム?のプラモはかついと思いますよ。名前の響きも良いですよね。その、強そうで」

わかは本当に良い子だなあ……よし、今度秘蔵の赤ジャクをプレゼントしよう」


 味方してくれた事がよっぽど嬉しかったんだろうか。にこやかに自分の趣味をおすすめしてくる。困った。正直、そっちには興味がない。

 どう断ろうか悩んでいると、双葉があっと声をあげた。


「お姉ちゃん! もうこんな時間だよ!」


 いけない、話に夢中になりすぎちゃった!


「行ってきまーす!」

「行ってきまーす!」


 急いでご飯を片付けると、かばんを片手に玄関から飛び出す。

 外は快晴も快晴。朝の日差しが白く輝き、目をくらませてくる。


「んじゃあ、また後でね!」


 双葉が手をひらひらと振りながら、私とは逆方向に走り出してゆく。

 妹とは学校が違う。自宅近辺の高校を選んだ私とは逆に、ふたは三駅離れた所に通っているのだ。だというのに、『一緒に行ってきますを言いたいから』と、朝が苦手な私にいつも合わせてくれるから、本当にありがたく、うしろめたい。

 なら、私が幸せな気持ちでいられるのは、ここまでだから。

 後に待っているのは、まぎれもなく──


 ──地獄、だ。






「ねえねえ、昨日のメッセ見たっしょ? 既読付いてんだから反応してよ」

「ごめんごめん、寝落ちしちゃった!」


 朝っぱらから、教室の中は活気に満ちていた。

 ホームルーム前のわずかな時間を惜しむように、誰もが皆、楽しそうなおしやべりにいそしんでいる。──私を、除いて。

 クラスの輪の中に入っていく事はできないし、その気にもなれない。

 私が話し掛けても、まともな返事は返ってこないとわかっているからだ。


「でさ……って。プッ、見てよあさやつ!」


 その声が耳に入った瞬間、私の体がぎくりとこわる。


「アハハ、何アイツ。朝からゆーとーせーしちゃってさ」

「教科書だけがお友達って奴じゃねーですかぁ? クク、かっわいそう!」

「そう言ってやんなって。いつもの事じゃん。今更変わらなくね?」


 きぃん、と耳が痛む。彼女達の声が三重奏となって胸に響き、心をき乱してゆく。


「つうかさあ、よく学校来れるよね。すごつらの皮だこと。わたしなら耐えらんなーい!」

「くひゅひゅひゅひゅ、ななさんと違ってMなんでしょーよ、朝比奈さんは。ねえ、とりまきさんもそう思うでしょう?」

「はは、確かに! じゃあ、アタシは良い事してるって事じゃん。わかちゃんはいじめられて喜ぶ変態なんだからさ! ……でも、それはそうと、その笑い方はどうにかなんねえの? 耳にさわるんだけど」


 三つの視線が、こちらに刺さるのを感じる。それが誰のものか、確認するまでもない。

 入学してから半年ちょっとの間に、そのハキハキとした性格から、クラスの中心人物の位置へと見事に収まった、七瀬いくさんと、その取り巻き二人。

 頭が良く、成績は学年二位の座を常にキープしている不思議系の少女、東海林しようじ莉愛さん。それに、皮肉屋の取巻さんだ。

 彼女達は、何が気にわないのか、事あるごとに私をからかい、イビリ出す。

 ……どうして、こうなってしまったんだろう。

 思えば、昔から人と話すのは苦手な方であった。親しげに接する事ができるのは家族や、気心の知れた人間だけ。だから、友人も少なかった。

 高校に入れば、何かが変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱き、最初はクラスメイトに話し掛けようと努力はした。でも……いつの間にか、『こう』なっていたのだ。

 この半年のあいだ、毎日のように受けるぼう中傷に、嘲りの笑い声。

 私が想像していた学園ライフは、もっと明るく楽しいものだったはずなのに。

 ちがう、こんなのはちがう。こんな現実、望んでなかった!


「ちょっと、あさぁ!? 無視してんじゃないわよ!」

「──ヒッ!?」


 どん、と目の前で机がたたかれる。ハッとして顔を上げると、いつの間にか、私の正面にななさんが立っていた。


「あ、七瀬……さん。な、なにか……?」


 声が震えているのが、自分でも良くわかる。体が勝手に委縮してしまう。


「ホント、辛気臭いのよアンタ。どうにかなんないの、ソレ!」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 上からにらみ付けるような視線に耐え切れず、スッと目をらしてしまった。


「何? その目つき。何か文句あるわけ? だったら言ってみなさいよ、ほら早く!」

「な、何もないです……」

「無口で陰気で、不愛想。ちょっと見ためが良いからってお高くとまってんでしょ?」


 私の容姿は、若い頃の母にそっくりらしく、子供の頃から将来は美人になる、れいになる、と周りからよく言われていた。それが良い事なのか、私にはわからない。

 そもそも、男の子と接すること自体が得意ではない。苦手意識すらあった。

 男嫌い、というのではなく、ちょっとした仕草や言葉づかいが……そう、あえて言うなら性の違いからくる違和感、というものなんだろうか? 特に理由があるわけではないのだけれど、彼らの前に出ると、どうにも緊張してしまう。

 そんな様子が、奥ゆかしい、可愛かわいらしい、とか男子のあいだでは評判になり、中学時代は何度か告白された事もある。けれど、男の子に対する苦手感は、なくなるどころか、緊張と混乱のせいか、さらに増すばかり。どうしようかと悩み、返事を先延ばしにしているうちに、『お高い女』などとうわさを流されてしまった。

 大好きなお母さんから受け継いだ容姿だ。だから、それを鼻にかけたりなんて、するわけがない! それだけは、断固として否定したいのに。

 けれど、昔も、そして今この時も。反論の言葉は出てはこない。何か言い返されたらどうしよう、と思うだけで体がすくみ、唇も震えて動かなくなってしまう。

 結局、私は黙ったままうつむき、首を横に振り続ける事しかできなかった……。

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