3章 動き出す闇
17話 この街の今(1)
「坊ちゃんは悪い子ですねぇ・・・」
女はそう言って、私をベッドに導いた。
年上のメイドは様々な事を、私に教えてくれた。
「今朝なんか、カーラーの巻き方が悪いって、1時間も叱られたんですよ。あたしには他にも仕事があるって事を分かっててしてるんですよ。そういう人なんです」
寝物語は彼女の主人、つまりは私の母の愚痴だった。
「夜の女だったくせに」
それは必ずこの言葉で締めくくられる。
母に関しての何かを語られる時、たいがいの者が付ける言葉だった。
母は・・・母はいつも化粧の匂いがしていた。
白い顔、真っ赤な唇。
いつも化粧台の前に座っていた。
だから私の母の記憶は、いつも後姿だ。
母はケラケラとよく笑う。
そして言うのだ。
「だってケイン、あんたはあの人の子供じゃないもの」
私は・・・母が・・・大嫌いだった。
ハッと目を開く。
部屋はまだ夜の
ふいに自分の
誰もいない。
ひとりで寝ていた事を思い出して、ケイン=ウィルトンは深い息を吐いた。
「・・・ああ、そうだ。今だ・・・」
目が慣れてくるのと同時に、頭の中がはっきりしてくる。
ケインはベッドから起き上がって、窓に下がっている厚いカーテンを少し開けた。
池の水面に、月が冴え冴えと映っている。
端の方で数羽の水鳥が、まとまって羽根を休めているのが見えた。
物音ひとつ聞こえない、静かな夜だ。
池屋敷。
屋敷の裏手に大きな池を引いたウィルトン家の別邸は、内外の者たちからそう呼び称されている。
今は亡き先代当主ジャック=ウィルトンの後妻、リンダが住まいとしていた屋敷で、その息子であるケインが、生まれ育った所だった。
父ジャックの死後、ケインは街の中心にあるウィルトン家本邸に居を移していたが、この屋敷が経営する紡績工場に近い事もあり、ケインは今でもここで寝泊りする事が多かった。
ケインは水差しの水を、グラスに注ぐ。
昔の事を夢に見るのなど、めったに無いのだが・・・。
昨日アメルハウスで、顔を合わせたく者たちに会ってしまったせいかもしれない。
グラスの水を飲み干して、息をつく。
まだ朝になるまでには間があるが、ベッドに戻ったところで眠れそうもない。
ケインが寝酒用のブランデーに手を伸ばしたその時、一陣の風が閉じていた窓を開き、カーテンを舞い上げた。
月明かりが届かない夜の闇に、朱色の光がふたつ並んで浮かんでいた。
翌日、街の警察署では、バートが書類の山に埋もれていた。
「ううー」
今日何度目かの唸り声を上げる。
自分の机に突っ伏して、ペンのお尻でバリバリと頭を掻いた。
昨夜遅く、また若い娘の遺体が発見された。
これで連続変死事件の被害者は5人となってしまったのだ。
当然、バートの元にも知らせが来て、すぐに現場へ向かった。
昨日という日は、昼間っから眼鏡の小娘になじられるわ、夜にはいけ好かないケイン=ウィルトンまで現れるわで、散々だった。
ベッドに入ってもなかなか眠れず、ようやく寝入った頃に死体発見で叩き起こされた。
テレンスの野郎がまた夜遊びに出たと思っていたが、警察の遣いが来た時には帰っていたのがせめてもの救いで、どうにかアメルを夜更けにひとり置いて行く事も無く、出動できた訳なのだが・・・。
それにしてもまったく、何て一日だったんだ。
唸りながら、バートは必死でペンを動かす。
書いても書いても積まれるばかりで、一向に減って行かない。
すぐにでも事件の聞き込みに廻りたいのだが、いい加減この山を何とかしなければ。
これも給料の内であるとは分かっていても、どうにも尻が落ち着かない。
昨夜の娘は、花売りだという調べがついている。
娘を働かせていた男が証言した。
売っていたのは花は花でも・・・という事も。
何せその男も日陰に生きる
警察に対して口は重かったが、連続殺人の嫌疑がかかるとちょいと脅してやったら、ツルツルと舌が滑り出した。
男は花売りの元締めの手下で、娘の初仕事を監視するのが務めだった。
少し離れた場所から、娘の動向を見ていたらしい。
最後に娘を買ったのは、背の低い冴えない男だったそうだ。
赤い髪で年の頃は30くらいに見えたが、もう少し若いかもしれないという。
さまざまな証言を照らし合わせ、娘が客とホテルに入ってから、裏通りで遺体になって発見されるまで、30分ほどしか経っていないと推察された。
娘と客が入った部屋は、3階の角。
部屋からは娘の着衣や持ち物が発見されていて、それは間違いない。
そこから遺体が発見された裏通りは2ブロック先にある。
大人の遺体を担いで移動するだけでも、よほど慣れた者でなければ30分で成し遂げるのは難しい。
遺体を担ぐというのは、生きた人間を担ぐよりも困難なのだ。
しかもその間、裏通りとはいえそれなりに人通りのある場所で、誰にも気づかれなかったとなると、よほど運が良かったとしか言えなくなる・・・。
バートは身体を起こして、椅子の背もたれに寄りかかった。
「ヴァンパイアの犯行だ」というのは、小娘の
バートは密かそうに思っている。
公表されてはいないが、これまでに亡くなった4人の娘たちも、街角で男客を引いていた節があった。
いわゆる街娼というやつだ。
先の被害者である4人の娘たちの親元は、ひとかどの商家や、実業家、貴族の家系まであり、いずれも令嬢と呼ばれるにふさわしい身の上だった。
親は娘の商売を「知らなかった」と口を揃える。
そして、どの親も「この事は内密に」と頭を下げ、中には幾ばくかの口止め料を差し出した家もあった。
いずれの家も経営が危ないだの、借金があるだのという噂がある。
だが、噂の域を越えておらず、やはりどの家も内情を明かそうとしない。
捜査の進展がはかばかしく無いのは、こうした背景も大きいのだが・・・。
花売り娘に付いていた男は言う。
「娼館と違って借金のカタじゃ無えから、身元も何も聞かないんでね。料金は前払いで、こっちの取り分さえ貰っちまえば、それきりでも構わ無ぇって訳で」と。
ふいっと背後の窓に目を向ける。
そこには見慣れた街並があった。
生まれ育ったこの街で警官となって20年余が過ぎた。
街も、自分が子供だった時分よりも、随分と大きく賑やかになった。
だが・・・それが良かった事なのか・・・。
「さて、昼飯にするかな」
うんっと、バートはひとつ伸びをして、席を立った。
To be continued.
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