18話 この街の今(2)
「さて、昼飯にするかな」
うんっと、バートはひとつ伸びをして、席を立った。
警察署の外に出ると、昼の太陽が眩しくて目を細める。
明後日に迫った五月祭に向けて、大通りでは街灯に花飾りを付ける作業が始まっていた。
「号外!号外でーす!・・・あ、こんにちはバートさん」
通りの端で新聞を配っていた少年が、笑顔を向ける。
「おう、ご苦労さん。飯は食ったのか?」
「これ配り終わってからでないとね」
少年は抱えた新聞の束をバートに見せて、肩をすくめた。
「そうか、頑張れよ」
1枚受け取って、少年に小銭を握らせる。
「あ、号外だからタダだよ」
歩き出したバートの背に、少年の声が掛かる。
「そうだったかな?払っちまったもんは仕方無ぇ。取っといてくんな」
振り向かずに軽く手を上げて、そのまま先へ進んで行く。
一拍遅れて「ありがとう!」と、少年の元気な声が背中に聞こえた。
号外には「猟奇殺人」の文字が大きく踊っている。
昨夜の5人目の被害者の事が載っていたが、「気の毒な花売り」とだけあって、男客とホテルに居た事などは書かれてはいなかった。
新聞社とて、娘たちの本当の事情くらいは掴んでいるはずだ。
こちらも親たちの口止めにあったか。
それとも、この方が読者の同情をひけるという
けどな・・・と、バートは無造作に新聞をコートのポケットに突っ込んだ。
実は、この連続殺人事件が起きる以前から、若い娘たちが人知れず行方不明になっていた。
その娘たちとは、娼館で働く若い娼婦たちだ。
娼婦が客ごと姿を消してしまうという事件が、ここ2年で10件ほど起きている。
行方不明となった娼婦たちは、客の希望で娼館の外へ連れ出された者ばかりだった。
客と娼婦が示し合わせて逃亡する事は、時々ある。
なのでこうした要望には、必ず店の者を一緒に行かせる店が多い。
しかし今回は、同道させた者も、その後に追跡に出した者も一切が帰らないのだ。
行方はようとして知れず、死体ですら戻らない。
さすがに困った店主たちが、何軒かでまとまって訴え出たという訳だ。
そもそも娼館と警察は何かと
連れ出した男客も、容姿風体がはっきりしない。
身分や素性を
歓楽街では、店以外で客を取らないように用心しているらしいが、その界隈を一歩出ればそんな事件が起きていると知る者すら無く、警察の捜査も本腰では無い。
「おや、バートの旦那じゃないですか」
声を掛けられて顔を上げる。
雑貨屋の主人夫婦が店先に台を出して、花輪飾りを並べていた。
それは祭りの間、家の玄関や部屋の扉に飾るもので、大きなものから小さなものまで様々であった。
「よう、精が出るな」
バートが手を上げて応じた。
「時季物ですからね、今、売っちまわねぇと」
店の主人が、禿げた頭を撫でながら言う。
「去年はほれ、大旦那様のお悔やみ中だからって、直前で祭りを取りやめたじゃないですか。こういった物は毎年仕入れが決まってますんでね、正直、損しましたよ」
昨年はジャック=ウィルトンの喪中という事で、五月歳の開催が中止になった。
その反動もあるのか、今年は街の者たちの意気込みが違うように思える。
「けれど、大旦那様が亡くなってからどうもいけねぇよ。下の若様はご立派だけども、何て言うかね、やっぱりお若いからかねぇ・・・」
主人は言葉を濁して首を振った。
下の若様とは、ジャックの次男ケインを指す。
そのケインが当主となってから・・・いや、正確には後継者として父親から経営を任されてから、ウィルトン家の事業は拡大の一途を辿っていた。
自社の紡績工場に最新の機械を導入し、生産量を大幅に増やした。
商売のやり方もこれまでの慣例に従うばかりではなく、利があるとなれば、新しい取引先を積極的に開拓しているらしい。
それは外国にまで及ぶというのだから、恐れ入る。
近代化というものなのだと、世事に敏感とは言いがたいバートでさえ、そう思う。
鉄道があちこちに敷かれ、大型の蒸気船が港を行き来する時代だ。
人も物も、より多く、より早く、より遠くへと動けるようになったのだ。
ケインは時流を上手く掴んでいるのだろう。
それで街の経済が潤っているのは確かだ。
だが、昔からのやり方に固執しがちな老舗や、日銭を稼ぐのが精一杯の小さな商店などは、時流に乗るどころか、ウィルトン家という巨大な波のあおりを受けて、経営が圧迫されているのも事実だった。
殺されてしまった娘たちの家も、流れに乗れなかった側なのだろう。
その出自ゆえに労働で金を得る事も難しく、あるいはそういう選択肢も無く、夜の街へと追い詰められたのではないか・・・。
「お前さんっ!口ばっかりでなく手を動かしなっ!」
箱から花輪飾りを出しているおかみが叱りとばす。
主人は「おお怖っ」と大げさに首をすくめて見せた。
バートは「ははっ」と軽く笑って、
「さて、うちはどうするかなあ。買って行くかなあ・・・」
と、花輪飾りを眺めた。
「アメルちゃんが作るんじゃないですかね」
主人にそう言われて、そうかとも思ったが
「まあ、飾る場所には困らねぇから、いくつあってもいいだろうよ」
と、小振りだが華やかな色目のものを選んだ。
「アメルちゃんと言えば旦那、今年の女神役を断ったそうですね。代わりに、郵便局長の娘が女神に決まったそうで」
飾りを包みながら、主人が話す。
「こう言っちゃあ何ですがねぇ、局長の娘よりもアメルちゃんの女神の方を見かったって奴ぁ、きっと多いんじゃねえのかなあと・・・」
「お前さんっ!」
また叱られて、バートの方が苦笑いを返した。
「まったく、男っていうのはそんな話ばっかりで・・・」
おかみが腰に手をあてて、目を吊り上げる。
だが、「けどね・・・」と話が続いた。
「何で断っちまったんでしょうね、アメルちゃん。この街の若い娘にとって、『花の女神』ってのは一度はなりたいと憧れるものなのにねぇ、もったいない・・・」
「へぇ、そんなにかい?」
代金を渡しながら、バートは目を丸くする。
「そうですよ。綺麗な衣裳も着られますし、花馬車で練り歩いて、皆に注目されますしね。何より『花の女神になった娘は、自分が想っている人と必ず結ばれる』って言い伝えがあってねぇ・・・ほら、何ってったってアメルちゃんのお母さん、ジェーン様だって・・・」
「ああ・・・」
バートは包んでもらった花輪飾りを見て、目を細める。
店主がおかみに目配せして、おかみはあわてて口を押さえた。
「・・・どうもすいません、とんだおしゃべりで・・・」
店主がバツの悪そうな顔で、バートに頭を下げる。
「いいって事よ。・・・ま、アメルは「祭り中も店を開いて稼ぐ」って言ってたし、いっぱしの商売人になったって、アーサーとジェーンも喜んでいるだろうさ」
「ああ、そりゃあ立派なもんですよ」
店主とおかみが揃って頷いた。
「それじゃあ」と、軽く手を振って、バートはまた歩き出した。
To be continued.
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