16話 7年前(5)

 テレンスの盟主の座が狙われていると聞かされて、ジャックは驚きに目を見開いた。


「盟約者が盟主の座を望むならば、座をして戦い、勝利して簒奪さんだつする他は無い。叶えば、盟主に備わっている強大な力と、傘下の盟約者たちを手に入れる事ができる」

 テレンスが説明するが、頷きを返す事もできない。

 長年、盟主と呼ばれるヴァンパイアと共に居るが、その地位が奪ったり奪われたりするものだとは、思いもよらなかったからだ。


「・・・座を奪われた盟主はどうなるのだ?」

 恐る恐る、問う。


「消えるだけだ。人間で言うところの死、だな」

「消える・・・」

 鸚鵡おうむ返しに呟く。

 薄暗闇の中、テレンスの軽い笑い声が上がった。


「そんな顔をするなジャック。いくら俺でも、やすやすと座を渡すような事はしないさ」

 ジャックは思わず顔に手をやる。

 不安に駆られたのが顔に出てしまったか。


 コルクが抜ける小気味良い音が、暗闇に響く。

 灯りが無くても目が利くヴァンパイアは、新しいワインを開けているようだ。

 液体が注がれる微かな音を耳にしながら、ジャックはおもむろに口を開いた。

「ヴァンパイアを使ってウィルトン家の者を殺している人間・・・契約者が居るのだろう?」


 パチンと指が鳴らされて、蝋燭に灯がともった。

 長い脚を組んで椅子に座るテレンスの姿が映し出される。

「・・・今のところ契約者もヴァンパイアも気配を感じない。今日の葬儀中にも感じなかった。それはジェフリーとケインも含むという事だ」


「ジェフリーとケイン・・・」

 自分の孫と息子の名を出されて、ジャックは少しだけ顔をしかめる。

 だが一度だけ軽く頭を振って、

「ふたりとも葬儀に来ていたのか?」

 と、テレンスにたずねた。


「利かん坊の方は癇癪を起こしていたぞ。ケインは早い時間にひとりで来て、葬儀を準備をしている者らと話をしていたが、その後すぐに帰ったようだ。葬儀には姿が無かった。ジェフリーはともかく、ケインから何も聞いてなかったのは意外だったな」

「ケインも結婚して独立した。特に用事が無ければ顔を見せにも来ないさ」

 ジャックのぶっきらぼうな言い様に、テレンスは軽い笑い声を立てた。


「・・・こんな事がこれからも続くのだろうか・・・ケイン、ジェフリー、アメル・・・この老いぼれの命で済むのならば、すぐにでも差し出すのに・・・」

 両手で顔を覆って、ジャックは何度めかの深い溜息をつく。


「・・・誰が得をするか・・・か」

「え?」

「・・・いや、何でもない」

 テレンスは開けたワインをグラスに注いだ。


 その様子を漫然と見ていたジャックは、ハッとして、前のめりでテレンスに言った。

「こちらから先に手を打つ事はできないのか?テレンス」


 返答に少し間があった。

「・・・それは、俺が出向いて行ってこの盟約者を消せないか、という事か?」

「無論、相応の対価で贖おう」


 コクリとテレンスがワインを飲み下す。

 途端、眉を寄せて渋い表情を浮かべた。

「年を重ねたからと言って、良くなるとは限らないな」

 ブツブツと言いながら、確認するように瓶のラベルを見る。


「テレンス」

 返答を催促するような声に、テレンスは目だけをジャックに向けた。


「俺に人の正義を求めるなよ、ジャック」

 藍色の瞳が、深紅に変わっていた。

 その、人では無い輝きに見据えられて、ジャック息を呑む。


「相手はヴァンパイアとして、至極当然の行いをしているだけだ。目の前に現れて挑まれたのなら、相手との力の差が歴然としていようとも全力で消す。だがそれすらも憶測の域を出ないうちに、俺から出向く事などできはしない」

 ジャックは「ぐ・・・」と、くぐもった声を出しただけで、言葉が継げない。


「どうしてもと言うのであれば、他のヴァンパイアと契約してくれ」

 そうテレンスに言い切られて、ジャックは静かに首を振った。


「すまなかった、盟主。二度と口にすまい」

 だがテレンスは無言のまま、空になっているジャックのグラスに、手にしていた瓶を傾けた。

 ワインがたっぷりと注がれる。


「・・・不味いんだろう?」

 ジャックは眉をひそめて、暗赤色に満たされたグラスを見つめた。

「俺の口に合わないだけだ」


「・・・怒っているのか?」

 薄く笑うだけで答えないテレンスを前に、ジャックは当惑しながらもグラスを手に取る。

 そして、一気に飲み干した。

 ・・・しばしの沈黙の後、ワインの瓶にコルクを戻す。


「・・・・・・厨房に渡しておこう。料理にでも使えばいい」

 テレンスが声を上げて笑った。


「蒸し返すつもりでは無いのだが・・・その盟約者はお前との力量の差を自分で分かっているから、そんな真似をするのだろうな。その、自らの痕跡を残さないというやつだ」

 遠慮がちなジャックの問いに、テレンスはひとつ息をついて答えた。


「出来る限り俺の目を逸らせて時を稼ぎ、力を上げようとしているのだろう」

「力を上げる?」

「人と契約を結び、生贄を得る。力を上げるのにはこれが一番手っ取り早い」

「そ・・・」

 目を見開き、言おうとした言葉を飲み込んで、ジャックはテレンスから目を逸らす。


「・・・いや、自らをかえりみるとはこの事だな」

 ジャックの呟きに、テレンスは口の端を引き上げて薄く笑った。


「それは殊勝であるな、ジャック=ウィルトンよ」

 凍りつくような冷気を纏うテレンスの微笑に、逸らしたはずの視線が引き戻される。


「盟主たる我が身を使役するのに、雑兵ぞうひょうどもと同じ代償で済ませようなどとはおこがましい限り」


 形の良い唇がさらに引き上がり、テレンスは恐ろしくも美しい笑みを浮かべる。

 蝋燭の灯りがあるというのに、彼の背後に漆黒の闇を感じた。


「な、何を・・・」

 ジャックは震える声で、やっとそれだけを口にする。

 細く長いテレンスの指が、ジャックの目の前に突き出された。


「この給金なのだが、もう少し何とかならないのか?」

「・・・は?」

 テレンスの指先にある紙には、エリザ学院の講師募集の要項が書かれていた。


「街の職業斡旋所にあったのだ。お前の名で俺の紹介状を書いてくれ」

 ジャックは目も口も大きく開いて、ヴァンパイアの盟主を見た。


To be continued.



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