15話 7年前(4)

「あれはジェーンの子に間違い無い」

 ワインをひと口含んでから、ジャック=ウィルトンは感慨深げにそう漏らした。


「向こう見ずの頑固者だ。相手が誰であろうとも自分の言い分を曲げはしない。まったく、よく似たものだな・・・」

「俺はそんな人物を、もうひとり知っているぞ」

 ワインのラベルに目を落としたままテレンスが口を挟むと、ジャックは口元だけで笑ってグラスを干した。


 夜になっていた。

 満天の星空が、明日からの晴天を約束している。




 貴族の居城にも劣らない荘厳なウィルトン家本邸。

 その贅を尽くした造りに言葉を失っていたアメルは、応接間で祖父ジャック=ウィルトンと対面した。


 大資産家の当主である老人は、人を寄せ付けない厳格な雰囲気を纏っていた。

 勢い込んで乗り込んだはずが、借りてきた猫のように大人しく座っているアメルを、テレンスは隣で面白そうに眺める。


 目の前のテーブルには、プラリネのケーキ、メレンゲパイ、チョコタルトがホールのまま並べられている。

 金の縁取りのあるカップに、メイドが香りの良いお茶を注いでくれて「お嬢様のお好みをお申し付け下さいませ」とうやうやしくアメルに言った。

 けれどアメルは目を真ん丸くしたままで、答えられない。


 そんな様子に、メイドはそれぞれのケーキを小さく切って皿に載せ、アメルの前に置いてくれる。

 それでも、アメルの手は膝の上から動かない。


 自分の想像の限界をあっさりと超えてしまった現実を、アメルは頭の中で処理しきれないのではないかと、テレンスは思っていた。


 だが、彼女は言ったのだ。

 祖父の声が重々しく

「お前はこれからどうするつもりなのだ」

 と。聞いた時に、

「食堂で働こうと思います」

 と。


 聞いた本人であるジャックも、その後ろに控えていた彼の執事も、客人の世話の為に壁際に立っていたメイドさえも、皆一様に目を丸くしていた。

 初対面である孫の頓狂とんきょうな返事にも、ジャックは威厳を保ったまま質問を重ねる。


「どうしてそう思うのだ?」

「食堂で働いて仕事を覚えて、大人になったらパパとママのように、食堂をしたいからです」

「この家に来るつもりはないのか?」


 そう言われて、アメルはふと口を閉じる。

 目の前のケーキを見ながら考え込んでいるようだった。


 それらは、父のアーサーが時折おやつに焼いてくれた素朴なケーキとは違って、上等な材料を惜しみなく使い、見た目にも美しく華やかに作られている。

 アメルの小遣いでは、その一切れすら手に入らないだろう。

 それがホールのまま3種類も並べられて、望めばいくらでも皿に切り分けてもらえるのだ。


 豪華絢爛の住まい。

 下にも置かないお嬢様扱い。

 高級な菓子。

 ・・・さすがに心を動かされたか。

 そうテレンスは思った。


 しばしの後、アメルはスッと顔を上げ、祖父をまっすぐに見た。

 そして、

「それは、この家で働かせてもらえるという事ですか?」

 と、聞いたのだ。


 祖父は孫娘を見返した。

 それは相手を射すくめるに充分な、強い視線だった。

 けれどアメルもそれを受け止めて逃げようとしない。


「・・・お前の気持ちはようく分かった」


 ジャックは低い声でそう言うと、控えていた執事をそばに寄せて何事かを耳打ちをする。

 執事の「かしこまりました」という返事が終わらないうちに、ジャックは椅子から立って部屋を出て行った。


 それを見送る間も無く、残されたアメルに執事が歩み寄る。

 「アメル様、どうぞこちらへ」と促されて、部屋から連れ出されてしまう。

 そしてそのまま、アメルはエリザ学院に入れられてしまったのだ。




「不満か?あの子を寄宿舎へ入れてしまったのが」

 ジャックはワインの瓶を傾け、自分のグラスを満たしながらテレンスの顔を窺う。


「いや」

 手にしていたワインの栓を抜き、テレンスは香りを確かめた。

「あの学院は名前だけではなく、エリザをきちんとまつってある。本人も気にいっているようだから、それなりの神域しんいきになっている。小物避こものよけには充分だ」


「本人?アメルの事か?」

「いや、そうでは無く・・・」

 言いながらグラスにワインを注ぐ。

 深い赤紫の液体を蜀台の灯りにかざしてから、おもむろに口を付けた。

 そしてテレンスは再び、ワインのラベルをしげしげと見る。


「・・・当たり年でも無く、名産地でも無いが、なかなかだな。面白い」

 満足の息をついて、長い脚を組んだ。


「小物避けとはどういう事だ?」

 ジャックの問いに、2杯目のワインをたっぷり注ぎながらテレンスが答える。


「川から引き上げられたふたりの遺体に、かすかだがヴァンパイアの気配を感じた」

「ヴァンパイアに殺されたのか・・・!」

 ジャックは呻くような声を上げた。


「・・・殺した、と言えばそうなのだろうが、最終的にジェーン夫婦の命を奪ったのは荒れた川だ」

 言われた事が理解できず、ジャックは眉根を寄せる。テレンスは説明を加えた。


「ヴァンパイアに狩られたのならば、紋章が残るはずだが、それが無かった。・・・恐らくこういう事だろう。川原沿いの道で、ヴァンパイアは乗車していたジェーンとアーサーから気絶する程度の血を奪う。後は川に向かうように馬を操作すればいい。長雨でもろくなった川べりは簡単に崩れて、馬は足を踏み外し・・・全てが終わる」


 テレンスの話を噛み締めるように聞いていたジャックは、大きなため息をひとつついた後、頭を抱えるようにして下を向いた。


 警察で遺体の身元確認をしたのは、ジャック本人だった。

 出席こそしなかったが、葬儀に必要な手配とその費用を準備したのも彼だ。


 二人の妻、そして息子と娘に先立たれた老境の男は、背負った立場ゆえに悲嘆に暮れる事もできない。

 その姿勢のままで身じろぎもしないジャックを前に、テレンスはただ黙って、杯を進めていた。


 テレンスが手にした瓶が空になる頃、

「・・・なぜヴァンパイアが、人の命を奪うのに、わざわざそんな工作をせねばならんのだ?二人とも血を吸いつくしてしまえば済むだろう?」

 下を向いたままのジャックが、掠れた声で問う。


「自らの関与を感づかれないようにする為だ。眷属けんぞくにな」

 テレンスは何事も無かったように、先ほどと変わらない口調で答えた。

「眷属・・・」

 その言葉に、ジャックは顔を上げる。


 細く開いた窓から吹き込んだ夜風が、蜀台の灯りを揺らす。

 その炎の向こうでテレンスは、藍色の眼を細めて、妖美な笑みを浮かべた。


「そうだ、ジャック。相手は俺の存在に気付いている。俺が盟主である事も」

 一陣の強い風が、蝋燭の火を消し去った。

 月の光だけが青く残る部屋で、ジャックは己が信頼するヴァンパイアを見つめた。


「バーバラの遺体を俺に見られた事を知って、それ以降は痕跡を残さない方法で殺害した。ジェームスと、ジェーン、アーサーもだ」

「その理由は何だ?」

「・・・俺の座・・・だろうな」

「お前の座?」

「俺の盟主の座だ」

 ジャックは驚きに目を見開いた。


To be continued.

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