14話 7年前(3)

 葬儀から3日後、ようやく晴れた空の下、馬車がゆっくりと進んでいた。


 大きく揺れていた車体が、小刻みな揺れへと変わっている。

 ぬかるんだ土の道から、整備された石の道に入ったようだ。

 だとすれば程なく、ウィルトン家の本邸に到着するだろう。


「私ね、やっぱり食堂をやって行こうと思うの」

 馬車に乗り込んでからずっと黙っていたアメルが、突然に口を開いた。

「だからね『お祖父さんの家には行きません』って、ちゃんと言おうと思うの」


「・・・ほう。今朝の炭のようなパンケーキから推し量るに、個性的な料理を売り物とする食堂を目指すのだな。奇をてらうのは悪くない話だ」

 窓枠に頬杖を付いているテレンスが感心したように頷くと、並んで座っていたアメルは、プウッと頬を膨らませる。


「意地悪ね、テリィ。失敗は誰にでもあるものだわ」

 テレンスが声を上げて笑うと、アメルはムウッと口を曲げて、横を向いてしまった。


 クックッと笑いを抑えながら、テレンスは彼女の今朝の奮闘ぶりを思い出す。


 アメルは家の手伝いをする子ではあったが、ひとりで料理を作った経験は無かった。

 それが、今朝は勇ましくもパンケーキに初挑戦したのだ。

 悪戦苦闘の末にできあがったものは、両面真っ黒なのに中は生焼けで粉っぽく、苦くて甘くて、なぜか塩辛いという、評するならば前衛的な作品であった。


「今は無理な事ぐらい分かっているわ。大人になってからよ」

 テレンスの方を見ないまま、アメルはちょっと気落ちしたようにポツリと言った。


「大人になったら、俺の花嫁になるのではなかったのか?」

 からかい半分にテレンスが混ぜ返すと、アメルは顔を真っ赤にして下を向いてしまう。


「あ・・・あの、それはその・・・そうなんだ・・・けどね・・・」

 ごにょごにょと口ごもってはっきりしない。


 おや・・・。

 テレンスはふっと眉を上げた。

 ついこの前まではしょっちゅう「花嫁になるんだ」と自分から言っていたのに。


「えっと・・・あのね、これからどこかの食堂で働いて、仕事を覚えて、自分で食堂を開いて、そしたら・・・その、テリィのお嫁さんになるわ」

 ぽそぽそと小さい声ながらも、アメルは自分の考えを口にする。


「働くのか。お前はまだ12歳だが、それを分かって言っているか?」

 テレンスの問いにコクリと頷いた。


「学校の友達でも、この夏から働く子が居るもの。ミックは大工さんの見習いで、キャシーは貴族様のメイドさんになるんだって。それからね・・・」


 初等教育が終わるこの年齢になると、職人などを目指す子供は、上の学校に行かずに見習いという形で働き始める。

 もちろん、家庭の事情で学校に上がれない子も含まれるが・・・


「お前は上の学校へ行く予定だったろう?」

「そうだけど・・・パパもママも居なくなっちゃったから、働かないといけないと思うの」

 膝の上の鞄は、今の彼女の全財産だ。

 それをギュッと抱き込んで、アメルはまっすぐ前を向いている。


「お祖父さんは立派な人なんでしょ?ちゃんとお話すれば、働き先をお世話してくれるかもしれない。キャシーが言ってたのよ、『ちゃんとした所で働くには、ちゃんとした人の世話が無いとロクな事にならない』んだって」

 もっともらしく頷きながらアメルが話すので、テレンスはこぼれそうになる笑いを飲み込みつつ、大人しく傾聴けいちょうする。


「キャシーはね、伯父さんがその貴族様の出入りの庭師なの。お屋敷で、お嬢様と同じ年のお付きのメイドを探しているって聞いて、キャシーを紹介してくれたそうよ。メイドと言っても扱いが違って、お茶会にお供をしたり、遊び相手をしたりするのが仕事なんだって。だから、服も特別に上等なものをあつらえてもらえるらしいの。よそのお屋敷にお供する時に、ご無礼にならないようにって」

 アメルはわざわざ丁寧な言葉を使って話している。


「キャシーは『絹で作った服に、レースの飾り襟が付いているんだ』って自慢してたけど、私はきっとウールだと思うのよ。いくら何でも絹の服だなんて贅沢じゃあないかしら。そう思わない?テリィ」

 それは真剣な顔を向けてくるので、テレンスはこらえきれずに笑い出した。


「おいおい、話が明後日あさっての方へ飛んでいるぞ。お前の仕事の話では無かったか?」

 アメルは「あっ」と口を押さえて、座席にきちんと座り直し、前を向いた。


「だから・・・えっと・・・あ、そう、お祖父さんはちゃんとした人なのだから、ちゃんとした働き先を紹介してもらえるようお願いしてみる」

「・・・そうか」

 テレンスも笑うのをやめて、前を向いた。


「・・・ねぇ、テリィ」

「何だ?」


「絹の服って、どんな着心地なのかしらね」

「気になるのか?」

「・・・ちょっぴりだけど」

 そう言って、アメルはまた口を結んでしまった。


 その横顔をテレンスはそっと見る。

 強がっている。

 無理もない。

 突然両親を失ってまだ幾日も経っていない。

 手を差し伸べる者にすがって泣いて甘えても、許される年齢だ。

 それでもこの子は、その手を拒む事で自分を保とうとしている。


 子供の身で働くなど、子供の頭で考える程甘くは無い。

 その貴族の屋敷に奉公に行く子も、例え絹の服を着せられようとも、そこにあるのは労働であり、庇護してくれる者のいない大人の世界なのだ。


 少し前までタフィーキャンディと、着せ替え人形が、小さなアメルを彩る全てだった。

 それが、友達が着るかもしれないという絹の服に、かすかな嫉妬さえ覚えている。

 「花嫁」という言葉に頬を赤くするのも、それが示す本当の意味を知り始めているのだろう。


 さて・・・。

 下着ですら絹であつらえる暮らしなど、この子には想像つくまい。

 ウィルトン家は、そこらの弱小貴族などより、はるかに大きな財力がある。

 そんな家に、令嬢として迎えられるのだと知ったら・・・

 お前はどうする?アメル。


 やがて行く先に、ウィルトン家本邸の巨大な門が見えてきた。



To be continued.


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