12話 7年前(2)

「ジェフリー、ジャックはアメルを引き取る事を望んでいる」

 テレンスの言葉に、少年はキッと険しい顔を上げた。

 濃い緑の瞳が濡れている。


「あんたやっぱり祖父さんの手先だな!引き取るなんて言ってあのジジイ、どうせアメルを寄宿学校に放り込んでおしまいさ!俺と同じようにな!」

「坊ちゃま、大旦那様にはお考えがおありで・・・」

「うるさい!黙れパットナム!ジジイは葬式にも来て無ぇじゃねえか!」


 老執事のいさめも聞かず、ジェフリーは更に声を荒げた。

「ウィルトンの人間はみんな冷たい奴らだ!金儲けとメンツの事しか考えて無え奴らばっかりだ!そんな所に連れて行かれて、アメルが幸せになれるはず無えよ!」

 少年の悲痛な叫びは、雨の墓地に響き渡った。

 バートも老執事も黙っている。


「それは・・・アメルが決める事だ。ジェフリー」

 冷静なテレンスの言葉に、ジェフリーは言い返そうと口を開いたが、何の声も出ず、やがて力無く口を閉じる。

 暫くは黙って雨に濡れていたが、くるりときびすを返して歩き出した。


 ふとジェフリーの足が止まる。

 彼の目は、両親の墓の前にたたずむ小さな従妹いとこの後姿を、じっと見ていた。


「・・・おい、クソ刑事」

 ジェフリーは振り返らずに言い続ける。


「俺の両親とジェーン叔母さんと来たらよ、次は俺だぜ」

 バートは丸めた背中のまま、目だけを上げた。


「分かってんだろ?いったい誰が得してるかって事ぐらい。アーサー叔父さんは巻き添え食っちまったって事ぐらい」

 応えは無い。


「次は俺だぜ。・・・けどな、俺はタダじゃあ殺られねぇからな。あいつの尻尾を捕まえてから死んでやる。必ずだ。・・・だからよ、どっかで俺の死体が上がっても、間違っても事故死だの自殺だのでカタ付けんじゃねぇぞ」

 やはり応えは無い。


「パットナム、行くぞ」

 老執事を促して、ジェフリーは待たせてある馬車の方へと歩いて行った。



「・・・誰が得をしてるか・・・アーサーが巻き添え食った、か・・・。なかなか鋭い所を突くじゃないですか、坊ちゃん」

 雨にけぶって霞んでゆく少年の後ろ姿を、口の端を引き上げた顔でバートが見送る。


「現場の川べりには、馬車が落ちた跡が残っていた。へりを踏み外したんだ。何だかの理由で。人でも避けそこなったんじゃないかと言われているが・・・アーサーがそんなヘマをするとは、どうにも思えねぇんだよ・・・」

 独り言なのか、バートの声は雨音に消されるくらい低かったが、テレンスの耳はそれを拾って充分だった。


「引き上げられたアーサーの手の中に、千切れた手綱が残っていた。川に落ちた後も手綱を離さなかったって事だ、おかしいだろう?」

 テレンスの反応を見るでも無く、バートは話し続ける。


「それに、どうしてジェーンも一緒だったんだ?説明会は夕方に開催された。帰るのが夜になるかもしれないのに、アメルをひとり家に残して、夫婦で出かけちまうなんて事・・・いったいどうして?」

 雨脚がさらに強くなり、枝からの雨だれが水溜りを激しく叩いた。


「・・・俺は、7年前のリンダ=ウィルトンの件からずっと捜査に携わっている。坊ちゃんの言い草じゃ無ぇがな、ただの事故で終わらせるには腑に落ちない事が多すぎる・・・」

 バートは噛み締めるように言うと、降りしきる雨の下へと出る。

 コートの襟を立てた背中に、容赦無く雨が叩き付けた。


「本当に嫌な雨だぜ。現場の痕跡も何もかも流してしまいやがる・・・」

 小さい舌打ちと共に恨み言を呟いて、雨の中に消えて行った。

 バートが向かった先には、ジェーンたちの馬車が落ちた川がある。


 現場の痕跡・・・か。

 テレンスは木の下から出て、とめどなく雨を落とす空を見上げた。


 低く垂れ込めた雲は陽を遮り、今どのくらいの時刻であるかはっきりとしない。

 それでも、埋葬を始めた頃よりは幾分か暗さが増しているようなので、夕刻も近いという頃合いか。


 薄い水溜りになった草地は、踏むだけで水音が立つ。

 真新しい墓石に彫られた名前にも、雨が溜まっていた。


「アメル」


 ずぶ濡れの女の子の名を、そっと呼んだ。


「アメル・・・もう、誰も居なくなったぞ」


 呼ばれた子は、ゆっくりと振り返る。

 髪に結んだ黒いリボンが、雨を吸って肩の方へと垂れている。


 テレンスはその場で膝を付き、両手を広げた。


「・・・うっ・・・」


 途端、ぐしゃりとアメルの顔が歪んで、黄緑色の大きな瞳からみるみる涙が溢れ出す。

 水を蹴って飛び込んで来た身体を、テレンスはしっかりと受け止めた。


「うわああああああ・・・」

 声を限りに泣き叫ぶ小さな身体を、包み込むように抱きしめる。


「いなくなっちゃったよう・・・ひとりに・・・ひとりになっちゃったよう・・・」

 息継ぐ間も忘れる程、全身を震わせて泣いている。

 縋りつく身体は芯まで雨に濡れて、冷たかった。


「俺が居る」

 堰を切ったように泣き続ける子を、更に強く抱いた。


「俺がずっと、お前のそばに居る」


 降り止まない雨の中、アメルの泣き声がいつまでも聞こえていた。


To be continued.




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