12話 7年前 (1)

 朝から降っていた雪は、いつしか雨になっていた。

 それは冬が終わる報せであり、いっとき降り続く雨が、積もった雪を一気に溶かして春を呼ぶ。

 ここではそうして季節が移り変わっていた。

 だが、今年はいつになく雨が来るのが早く、そして長かった。


 冷たい雨にびっしょりと濡れて、女の子が立っている。

 蜂蜜色の髪が漆黒の喪服に、哀しい程に映えていた。


 彼女は見つめていた。

 自分の両親が埋葬される様を。


 黄緑色の瞳に涙は無かった。

 唇を固く閉ざしたまま、ただじっと、次第に平らになって行く地面を見ていた。


 葬儀の参列者たちは遠巻きに見ているだけで、雨の中ひとり立つ子に、誰も近寄らず、声すらかけない。

 しかし・・・


「奥さんはウィルトン様のお嬢様だったんだってね」

「大旦那様の反対にあって駆け落ちしたという話だよ」

「無理も無いさね、亭主はただの料理人だ。釣り合いが悪いなんてもんじゃない」

「じゃあ、あの子はウィルトン様の所へ?・・・そんな事情で大丈夫なのかねえ?」

「貧乏食堂の娘じゃあ、親無しでこの先ロクな目を見ないだろうさ。どんなに疎まれたって、金が有る方がマシじゃあないかね」


 そんな無遠慮な話し声だけは、雨の音に混じって流れて来る。



「よぉ、テレンス・・・だったよなあ」

 名を呼ばれて振り向くと、薄汚れたコートに黒いタイをぶら下げた男が、片手を上げて近づいて来る。

 人目を避けるために大きな木の陰に居たのを、雨宿りとでも思ったのか、テレンスの隣へと身体を入れた。


 確か、バートとかいう警官だ。

 アーサーの古い友人だと紹介された事があった。


「止まなねぇなあ、涙雨ってやつかね・・・」

 バートは恨めしそうに鈍色の空を仰いだ。

「あの子、ウィルトンの祖父さん所に連れて行くのか?」

 こっちを見たバートの眼は、ひと目で泣き腫らしたと分かる程だ。

 テレンスが黙っていると、バートは薄笑いを返した。


「隠さなくてもいい。あんたがウィルトン家側の人間だって事くらい、察しが付いている。親父さんに頼まれてジェーンの様子を見に来ていた・・・って所なんだろ?」

 テレンスは答えずに、ぐっしょり濡れて額に貼りつく髪を、うるさそうにかき上げた。


「いいさ。勘当した娘を陰から心配する頑固親父ってのは、悪くねぇ話だ。・・・で、連れて行くのか?アメルを」

「・・・近々、ウィルトン家から迎えが来る。その時は俺も一緒に行くつもりだ」

「そうか」

 テレンスの言葉に、バートは安心した顔を見せる。


「アメルはあんたに懐いているからな。何かっていうと『テリィ、テリィ』だ。誰も知らない家にやっちまうのは可哀想だが、あんたが居てくれりゃあ・・・良かった」

 自分を納得させるように、バートは呟きながら何度も頷いた。



 埋葬が終わると、参列者たちは止まない雨から逃げるように、急ぎ足で墓地を後にする。


「だから言ってんだろっ!アメルは俺が引き取るって!」

 突然上がった大声に、テレンスとバートはそちらに顔を向けた。


「あの家を俺が買い取って、俺とアメルで住むんだよ。何が悪いってんだよ!」

「ジェフリー坊ちゃま、それは無理なのでございます」

 口調はここらの不良少年そのものだが、身なりは上等のダークスーツ。

 威勢の良い言葉に違わず、気の強そうな顔立ちをしている。


 少年はジェフリー=ウィルトン。

 5年前に事故死した、ジェームス=ウィルトンのひとり息子だ。

 ジェームスはジェーンの兄であり、ジェフリーはアメルの従兄いとこに当たる。


 視線に気付いたジェフリーは、深緑色の眼を吊りあげたまま、こちらへ歩いて来る。

「役立たずの警察が、のこのこ顔を出していやがる」

「・・・どうも。ジェフリー坊ちゃん」


 コートのポケットに手を入れたまま、バートは軽く会釈をした。

 ジェフリーは「ふん」と鼻で笑う。


「どうもじゃねぇよ、このクソ刑事。お前らがグズグズやってるからジェーン叔母さんまで死んじまったじゃねぇかよ!」

 ヨレたネクタイがぶら下がる胸倉に、勢い込んだジェフリーが掴みかかった。

 バートは目に悔しさを滲ませながらも、されるがままでいる。


「どうしてくれるんだよ!俺もアメルも親無しになっちまったじゃねぇか!・・・どうしてくれるんだよ・・・」

 威勢の良かった少年の声は、次第に涙声になって行った。

 バートを睨みつけていたはずの顔が、ゆるゆると力が抜けるようにうな垂れる。


「・・・坊ちゃま、さあ、もうよろしゅうございましょう・・・」

 老執事に促されて、ジェフリーは胸倉から手を離した。


「・・・なあ、テレンス」

 ジェフリーは下を向いたまま呟く。

「叔父さんと叔母さんの食堂だけどよ、俺が金出すからあんたが買ってくんないかな。俺、アメルと暮らしてやりてえんだよ。保護者が必要ってぇならさ、あんたと一緒でもいいから」

 テレンスは老執事の顔を見た。執事は力なく首を横に振る。


 アメルの両親、ジェーンとアーサーが営んでいた街道沿いの食堂は、そもそも地主からの借家であった。

 住居を兼ねた小さい一軒家は、古くて借り手がつかなかったので、かなり安い家賃で借りられたのだ。

 若い夫婦が子供を抱えての暮らしには、これはとても助かっていた。


 だが、街の事業で街道の幅を広げる事が決まり、アメル一家は、立ち退かなければならなくなってしまった。

 引っ越す余裕も当ても無い一家には、途方にくれる話であった。


 そんな折、この事業で住居を立ち退く賃借者たちに、新しい住まいの斡旋と、一時金の支給があるという報せがもたらされた。

 その説明会に出席するため、夫婦は長雨の中、馬車を走らせた。

 その道中で、増水した川に馬車ごと転落し、二人とも命を落としたのだ。


 一方、ジェフリーは両親の死後、別の街の寄宿学校に入れられていた。

 長い休みには、自分の家や祖父であるジャックの居るウィルトン本邸では無く、この小さな食堂に帰っていたのだ。

 両親が健在だった頃から、ジェフリーはしょっちゅう叔母の食堂に顔を出しては、従妹いとこのアメルと遊んだり、家事を手伝ったりしていた。


 両親の関係が破綻しているのを、知っていたのかもしれない。

 この小さな食堂での、質素だが温かい家庭の営みを、少年がとても大切にしていた事を、テレンスは知っていた。

 ・・・けれど。


「ジェフリー、ジャックはアメルを引き取る事を望んでいる」

 テレンスの言葉に、少年はキッと険しい顔を上げた。


To be continued.

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