2章 過去

10話 12年前(1)

 12年前、初秋。


「全く、ジャックは人使いが荒い。・・・いや、人では無いか」

 自嘲の笑いを口元に乗せて、テレンスは立っていた屋根から跳躍する。

 屋根から屋根へと跳んで行く彼の眼は、深紅に光っていた。


 月の無い暗い夜は、行動するのには好都合だ。

 屋根の上を思い切り走ろうとも、誰かに見られる心配などしなくて済む。


 周りの屋根よりも、ひときわ高い建設中の足場に降りて、街を見下ろす。

 来年完成予定だという時計塔だ。

 街の中で一番高い建物になるはずで、陽のあるうちは、鐘を打ち鳴らして時を告げるらしい。

 テレンスは目当ての場所を確かめると、一息に跳躍した。


 広い庭のある、大きな屋敷が見えてくる。

 街の名士ジャック=ウィルトンの長男、ジェームス=ウィルトンの館だ。


 60歳を過ぎたジャックに代わり、ジェームスが当家の主力事業である紡績会社の社長に就任していた。

 しかし、凡庸ぼんようそのものの2代目は、経営者として頼りないと、世評は手厳かった。


 2階のテラスへと降り立つ。

 案の定、屋敷内へ入るためのガラス戸は施錠されていた。

 だが、テレンスがパチンと指を打ち鳴らすと、キィとか細い音を立てて戸が開く。

 レースのカーテンをかき分けて、足を踏み入れた。


 灯りの無い部屋の真ん中に、花で埋もれた棺が置かれてある。

 中にはひとりの女性が永遠の眠りについていた。


 36歳の若さでこの世を去ったバーバラ=ウィルトン。

 ジェームスの妻である。

 2日前、となり町のホテルで変死しているのが発見されたのだ。


 目立った外傷も無ければ着衣に乱れも無く、死に至るような病を抱えていた訳でも無い。

 「何らかの原因による心臓発作」という、何ともはっきりしない検死の結果が残されたのみであった。


 遺体の耳の下辺りにそっと指を這わせる。

 テレンスの指が触れた辺りに、うっすらと小さく、朱色の紋様が浮かび上がった。

 甲虫が羽をひろげたような形に見える。


「やはりヴァンパイアに狩られている・・・」


 ヴァンパイアがその力を持って人の命を奪った時、自らの紋章が人の身に刻まれる。

 もちろんそれは、人の目で見えるものでは無い。


 現れた紋章に目を凝らしたが、テレンスには見覚えの無いものだ。

 やがてそれも、肌に吸い込まれるように消えて行った。


 バーバラはウィルトン家が経営するエリザ学院の教師で、厳格で口やかましいと生徒から評されていた。

 そんな彼女の人なりに反して、遺体がとなり町のホテルで発見された事が、口さがない噂となっている。

 もっとも夫のジェームスにしても、余所よそに女が居るという話だから、釣り合いが良いとも言えるが。



 朝には埋葬されてしまう棺を見守る者は誰も居ない。

 空の椅子だけがポツリとひとつ、置かれているだけである。


「・・・いらぬ恨みを買う要素は、夫婦とも無きにしも有らず、か」

 テレンスが呟いた時、何者かが近づく気配を察する。

 部屋の扉を開けて入って来たのは、喪服姿の少年だった。


「ジェフリーか・・・」

 いち早くテラスへと逃れたテレンスは、ガラス戸越しに少年を見つめた。

 気の強そうな顔立ちの少年は、この家のひとり息子、10歳のジェフリーだ。


 少年が持ち込んだ蝋燭の灯りが、ぼんやりと部屋を照らす。

 椅子に腰掛けたジェフリーは、背中を丸めて母親が眠る棺をじっと見据えた。

 何も言わず、泣きもせず、ただずっと棺を見ている。


 テレンスはそっと、その場を離れた。



 再び高く跳びあがり、家々の屋根を駆けて行く。

 そして、先程の屋敷とは比べ物にならない、広大な敷地を持つ城のような館へと降下した。

 巨大な建物の中の、開いている窓へ飛び込む。


「待ちかねたぞ、テレンス」


 床に着地したテレンスは、その声に顔を上げた。

 部屋には真夜中というのに灯りが点けられ、初老の男がひとり、椅子に腰掛けていた。

 髪も髭も白いものが混ってはいたが、立ち上がった姿は力強く、威厳がある。

 彼こそがウィルトン家の当主、ジャック=ウィルトンであった。


「詳しい話を聞かせてくれ」

 ジャックは居ても立ってもいられない様子だが、

「少し休ませろ・・・疲れた」

 その前を素通りして、テレンスは絹張りのソファに身を投げた。


「・・・・寝転がっていても話はできるだろう?」

 言いながら、ジャックは大理石の小机にあったワインの封を切る。

 グラスに注いでテレンスへと突き出した。

 肘掛に頭を乗せた姿勢のまま、テレンスはグラスを傾けて色を見ると、香りを確かめてから口に運んだ。


「ジャック、お前の見立てた通りだ。バーバラはヴァンパイアに命を獲られていた。紋章は恐らく盟約者めいやくしゃの物だろうが、心当たりは無い。時間がかなり経っているので、紋章の刻印も薄くなっていた。朝には消えてしまうだろう」

「盟約者。盟主との誓約によってヴァンパイアとなった者か。・・・やはりヴァンパイアが関わっていたか・・・」

 うめくように言いながら、ジャックは自分のグラスを飲み干した。


「テレンス、リンダとバーバラは、同じヴァンパイアに殺されたのか?」

 問われて、テレンスは横目でジャックを見る。


To be continued.

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