9話 眠らない街で(2)
リゼットは何かを見つけ、手に取って戻って来た。
「震えているわ。無理も無い」
合わせた両手の隙間から、ほのかな光がこぼれている。
青白く光る玉であった。
それが、あの花売り娘だと、テレンスには分かる。
「怖かったのね、可哀想に。もう大丈夫よ、さあ上へ行きなさい」
リゼットが両手を離すと、光の玉は震えながらその場に浮かんだ。
だが、上では無く、路地の方へ降りて行く。
それを見て、リゼットは悲しげに言った。
「駄目なのよ・・・。あなたの身体にはもう帰れないの・・・」
リゼットの声が届かないのか、光の玉は路地の道なりにふらふらと進んで行く。
「どこへ行くの?そっちにあなたの身体は無いでしょ?」
その声にも止まらず、玉は路地を曲がって裏通りの方へと向かった。
さっきリゼットが玉を取ってきた場所からどんどん遠ざかって行く。
「あの子が命を落とした場所に身体が無いのかしら?誰かが運んでいるの?・・・それにしても動きすぎじゃない?」
光の玉を目で追いながら、リゼットは首を傾げる。
ハッとテレンスは、玉の行く先を見た。
もしかしたら・・・。
屋根を跳んで玉を追う
「えっ、テレンス?ちょっと待って」
リゼットも身体を浮かせて、その後に付いた。
玉は一心に、歓楽街の終点である裏通りを目指している。
ぽつりぽつりと、ガス燈の灯りが小さく視界に入った時、テレンスの眼が深紅に光った。
確かに気配がする。・・・これは・・・!
「リゼット、ここから先は俺の領分だ」
テレンスは玉を追い越して、一気に駆けた。
すぐに石畳の道が見え、そこに転がされているものがある。
忌々しげに舌打ちをして、そこへと降りた。
テレンスの足元に、若い娘が一糸纏わぬ姿で転がっていた。
あの花売り娘だ。
冷たい石畳に頭を預けて、その表情は恐怖に強張っている。
それは、男に身体を開くゆえか、それとも計り知れぬ者に命を奪われるゆえか。
今となっては分からない。
娘の髪をかきわけて、まだじゅうぶん温かい耳の下に指を這わせる。
すると肌から染み出るように明るい赤、朱色の紋様が小さく現れた。
甲虫が羽を広げたような形をしている。
「・・・やはり、ヴァンパイアに狩られている」
辺りの気配を窺う。
・・・まだ居る。
近い!
テレンスは己の親指の腹に歯を立てる。
指を前にかざすと、滲み出た赤い血が雫となって零れ落ちた。
血は赤い光りを放ち、地面に複雑で大きな紋様を描き出す。
様々な模様の中に浮かぶ
ヴァンパイアの盟主、テレンスの紋章であった。
テレンスの指から滴る血は雫からひと筋の流れとなり、紋章の上にひとつの造形を作り出す。
細身の剣、白銀のレイピアが現れた。
レイピアを掴んだテレンスは、気配のあった方向へ飛び出す。
だが、その足は
「気配が・・・消えた」
集中して再度、気配を探る。
しかしもう、テレンスが感知できる距離にヴァンパイアの気配は無かった。
「逃げ足が速い。・・・そこに特化したという訳か・・・」
苛立つ気持ちを抑えて、テレンスは天を仰いだ。
「これで5人目?・・・これ見よがしに食べ散らかして、お行儀が悪いわね」
降りてきたリゼットは、横たわる娘の遺体に顔をしかめた。
一緒に来た青白い玉は、ふらふらと飛びながら、かつての自分の身体に入ろうと試みる。
だが、通り抜けてしまうばかりで中に留る事はできない。
やがてあきらめたのか、浮き上がり、自分の身体を見下ろすような位置で止まった。
「ね、分かったでしょう。残念だけどそこには帰れないのよ」
優しく言い聞かせるように、リゼットが言った。
テレンスは残っていた花束ふたつを、遺体のそばに置く。
「俺が下手な情けを掛けたせいかもしれない。・・・すまなかったな」
そう、浮いている玉に話しかけた。
その言葉が聞こえたのか、玉はゆらゆらと上下に揺れたあと、スーッと天上の何かに吸い込まれるように、高く上がって行った。
「大丈夫。迷わずに行くわ・・・」
高く高く上がる行方を見上げて、リゼットが呟いた。
「・・・リゼット、頼みがある」
「何?」
「一発悲鳴を上げてくれ」
応えるより早く、リゼットは大きく息を吸い込んだ。
「きゃあああああああっ!誰か来てぇ!人が死んでるぅ!」
月が落ちるかと思う程の大声に、近くの建物の窓に灯りが点き、人々が顔を出す。
様子を見に来た者たちが遺体の存在に気付いて、騒がしくなって行く。
ひと足早く屋根に逃れたテレンスとリゼットは、その光景を見下ろしていた。
程なく、警官も駆け付けて来るだろう。
厳しい顔で下を見つめるテレンスを、リゼットがじっと見ていた。
「何だ?」
「・・・あなたの花嫁はもう小さい子供ではないわよ」
屋根の端にしゃがみ込んでいるリゼットは、こっちを見据えたまま言った。
「伴侶にしてしまえば、そんな苦労する事無いんじゃないの?なぜ人のままで護ろうとしているの?」
「お前には関わり無い事だ」
言い捨てて目を逸らす。
「・・・俺には俺の想いがある」
と、小声が漏れた。
「そう・・・だったわね」
リゼットは立ち上がって、パンパンとスカートの汚れをはたき落とす。
「確かにあなたの領分で、私が関わる事では無いわ」
リゼットの言葉にも、テレンスはただ黙っている。
「でもねテレンス、あの子にもあの子の想いがあるわ。それを忘れないであげてね」
ハッとテレンスが振り向くと、リゼットはふわりと高く浮き上がり、
「説教ならば
「うーん。どちらかと言うと『わからずやの男友達に忠告している、お節介な女の子』って感じ?」
「はあ?」
眉根を寄せたテレンスを、リゼットはクスクスと笑った。
「さぁてと、そろそろベッドに戻らなくちゃ。・・・お花ありがとう、先生」
空中でくるりと反転して学院の方を向いた。
「健闘を祈るわ、盟主」
少しだけ振り返ってそう言うと、あっと言う間に夜空高くに上がって行き、すぐに見えなくなってしまった。
「祈る・・・か。お前が何に祈ると言うのだ」
その消えた空を見上げながら、薄く笑う。
騎馬警官の蹄の音が聞こえて来て、テレンスはその場から跳び去った。
花売り娘の首筋に現れた、甲虫が羽根を広げたような紋様は、ヴァンパイアの紋章だ。
テレンスが
ヴァンパイアがその力を使う時、紋章が現れる。
ああして人を狩れば、そのヴァンパイアの紋章が人に刻まれるのだ。
最近の連続変死事件。
その遺体すべてに、花売り娘のと同じ紋章が刻まれていた。
つまり、犠牲者は全員、一人のヴァンパイアに狩られたのだ。
あの逃げ足が異様に速かったヴァンパイア。
気配だけを残して去って行ったあれが、きっと紋章の持ち主だろう。
「そう、正解だよ、メグ=スローン。・・・残念だったな。これが授業のレポートだったのなら、優を付けてやるのに・・・」
独り言を呟いて、テレンスは地に降りた。
連続変死事件の新たな犠牲者が出たのなら、夜中であってもバートが出向く。
もう少し渇きを癒さなければ辛くなるのは分かっている。
だが・・・。
「・・・まったく、つくづく因果な名を持ったものだ」
ふと愚痴を口に出して、苦笑を漏らす。
成すべきはあの子を護りきる事。
それまではせいぜい人らしく居なければならない。
護りきるまで・・・?
護った後は・・・?
バサリとクロークを翻して、浮かんだ答えを消し去った。
夜更けの街に靴音を響かせながら、アメルハウスへの道を急ぐ。
花売り娘の首筋に現れた紋章を、テレンスはよく見知っていた。
ある意味、長い付き合いと言えばそうなのかもしれない。
テレンスが最初にあの紋章を確認したのは、今から12年前の事だった。
To be continued.
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