6話 糸車を持つ獅子

「フィオはどこに居るのだ」

 チェス盤を見ていたテレンスの目が、フッと男へ移った。


「2階に居るわ、ケイン」

 階段に立つアメルを、男、ケインは帽子を傾けて仰ぎ見る。


「今、食事をしているの。もう少し待って下さらない?」

 穏やかに言われて、ケインは2階を気にする素振りを見せながらも、

「そうか・・・それは済まなかった」

 と、頷いた。


 男の名はケイン=ウィルトン。

 この街では有名な実業家ウィルトン家の当主であり、同家が経営するエリザ学院の理事長でもあった。

 そして、アメルにとっては亡くなった母の弟、叔父に当たる人物である。


「ケイン、もし良ければひと晩フィオを預かるわ。もう夜も遅いし、このままゆっくり寝かせてあげたいの。朝になったら私が・・・」

「そんな事できるはずが無いっ!」

 アメルの言葉を遮ったケインの大声に、アメルもバートも目を丸くする。


 けれどケインは、振り向きもしないテレンスの方に目をやってから、

「あ・・・その、フィオは学院の代表生だから外泊などできるはずが無い。だからこうして迎えに来たのだ」

 と、口ごもりながら付け加えた。


 そのケインの様子に、バートは眉をひそめる。

「どうもはっきりしないな、ケインさんよ。学院の理事長が出向いてくる事とも思え無ぇが?何でそんなにしてまで、あの娘を連れ帰りたいんだ?・・・そう言やぁ、あの娘は医者に掛かるのを嫌がっていたようだが・・・まさか不埒ふらちな理由じゃあるまいな!」

 途端、ケインの顔が真っ青になった。


「き、き、貴様っ、たかが警官の分際でこの私を侮辱するのかっ!無礼にも程があるぞっ!名誉毀損で訴えてやるっ!」

 怒りなのか何なのか、震えながらケインはバートを指差してくし立てる。


「おう、できるモンならやってみやがれ!」

 バートも椅子を蹴倒して立ち上がった。

「いいか!ケイン=ウィルトンよく聞けよ!俺は絶対にウィルトン家の闇を晴らしてみせる!首を洗って待っていろ!」


 ケインは色素の薄い瞳をスッと細めた。整った眉の間に深い皺が刻まれる。

「・・・大切な友人を不慮の事故で亡くした、君の気持ちは同情に値する。私にとっても彼らは親愛なる姉夫婦だ。・・・だが、そろそろその見当違いの恨みから、あのふたりを解放してやったらどうかね?」

 歪めた顔に冷笑を浮かべて、ケインはバートを見据えた。

「な・・・んだと・・・」


「局面を見極めたまえと言っているのだよ、バート警部。私を疑い始めてから随分と年月が経っているが、私の元には警察からの令状も、裁判所の出頭命令も、いっこうに届いてはいない。膠着してもう動きが取れないのだろう?当たり前だ、あれは事故で、犯人などどこにも居ないのだから」

 余裕たっぷりのケインに、バートは奥歯をギリッと噛み締める。


「いや、まだ動いている」

 ふたりの男の睨み合いを、澄ました声が切り込んだ。


「これで詰みだ」

 コトリと音を立てて、テレンスの駒が動く。


「あ、あーっ!待った。先生、それ待っただ!」

 バートがガバッと盤面に覆いかぶさった。

「俺の勝ちだ。約束通り、ボリスの店の秘蔵の1本、手に入れてもらうぞ」

 テレンスは取り付く島無く言い放つ。


「いや、待て。あのワインはボリスの親父さんが店をやっていた時からの品で、今じゃそりゃあすごい値が付いてるってやつで・・・」

「ああいう街の酒屋に、ああいう酒が残っているのが興味深い。雑多な店でありながら保存状態が良いのがまた面白い。ぜひ一度賞味したいと思っていた」

 淡々と思い浮かべるように話すテレンスを見て、バートは頭を掻いた。


「50年も前の酒なんて不味いんじゃねぇのか・・・なぁ、考え直さないか、先生?」

「試してみなければ分かるまい?」

 にんまりと笑うテレンスに、バートは頭を抱え込んだ。


「50年前といえば当たり年だ。新酒もさぞかし美味かったろう?・・・なあ、テレンス」

 頭の上から降ってきた言葉に、テレンスは目だけ向ける。


「はあ?頭がおかしいのかケインさんよ、こいつがそんなジジイに見えるか?」

 揚げ足を取るバートを気にも留めず、ケインはじっとテレンスを見下ろしていた。


 アメルは離れた所からその様子を見守る。

 なぜだか、心臓がドキドキしていた。



「理事長先生、お待たせしました」

 その時、階段の上から声が掛かる。

 しっかりとした足取りでフィオが降りて来た。


「世話をかけて悪かったわ、アメル」

 アメルと視線も合わせずに言うと、フィオはまっすぐ玄関に向かった。

 そのまま横付けされた馬車に当然のように乗り込み、革張りの座席に腰を降ろした。

 アメルも見送りに出てはみたものの、フィオにかける言葉が見つからない。


「失礼するよアメル、すまなかったね」

 気付くとケインが横に立っていた。

 アメルが「いいえ」と応えると、ケインは少しだけアメルの方へ顔を寄せた。

 夜の湿った空気に、彼の付けている香水がほのかに匂う。


「アメル・・・その、いつも聞いている事で悪いのだが・・・どうかね、鍵は見つかったかね?」

 声を落として囁くようにケインが言った。

 アメルが首を振ると、ケインの眉が少しだけ動いた。


「ジェーン姉さんの遺した物に入っている可能性もある。探してみてくれたかい?」

「ママは、パパとの結婚をお祖父さんに反対されてウィルトン家を出たのよ。だから持っているはずないわ」

 アメルはつい語気を強める。

 ケインがアメルの肩に触れて、宥めるような口調で言った。


「誤解しないで欲しい。鍵が見つかって貸金庫が開いたら、中に入っている財産は全て君が受け取っても良いんだよ。ただ、私はウィルトン家を束ねる者として、その財産が何かを知っていなければならないんだ。・・・分かるね」


 彼の唇が触れそうな程の近さだ。

 アメルはちょっとそれをいとうように身体を堅くして、素早く何度も頷いた。

 納得したのかどうなのか、ケインはゆっくりとアメルから離れる。


「・・・何か気が付いたら、知らせてくれ。頼んだよ」

 それだけ言うと自分も馬車へ乗り込み、扉が閉まる。

 ケインの隣で、フィオはただ黙って前を向いていた。


 学院の代表生は、校外の行事などにも生徒代表として関わるので、理事長や院長と共に居る機会が多いのは、珍しい事では無い。

 決してフィオが特別という話では無い・・・はずだ。

 それでも何を言う事もできずに、アメルは動き出した馬車を目で追った。


 扉にある「糸車を持つ獅子」の金の浮彫レリーフりが、ガス燈の灯りを反射させる。

 それは、紡績業で財を成したウィルトン家の紋章だった。


 馬車が通りの角を折れて行くのを確かめてから、アメルはそっと胸を押さえる。

 嘘をついたつもりは無い。

 ここにあるのは、鍵であって鍵では無いものなのだから。


 その時、ふわりと肩に何かが掛けられて、アメルはふと顔を上げた。


To be continued.

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