5話 花の名を持つもの(2)

「・・・ここは・・・?」

 ベッドから聞こえたか細い声に、部屋に残った者たちが振り返る。

 フィオがうっすらと目を開けていた。


「・・・アメル?あたし、どうして・・・?」

「ここはアメルハウスよ。あなたお店の前で倒れたの」

 そう言われて、フィオはまだはっきりしない様子で辺りを見回す。


「なあ、医者を呼んだ方が良くないか?」

 バートの言葉にハッと目を見開いて、フィオは身体を起こした。


「だ、大丈夫よ!もう帰るから、お医者さんなんて必要ないわ!」

「えっ!無茶しないで」

 ベッドから降りようとするフィオを、アメルがあわてて止める。


「学院には事情を伝えに行かせた。無茶をするのは勝手だが、通りでまた倒れでもしたら、通行人に医者を呼ばれかねないだろう」

 壁際に立ったテレンスが口を開いた。

「テレンス先生・・・」

「それでも良いのならば、帰るがいい。フィオ=サンティ」

 フィオはゆるゆると顔を下ろした。


「分かりました、先生。少し休んで行きます」

 小さい声で答えて、身体から力を抜いた。


「そうした方が良いわ。心配しないで、ね?」

 アメルが言っても、フィオは何も応えなかったが、アメルが寝かせようとするのを嫌がらず、されるがままに身体を横たえた。

 ふうーっ、と、長い息を吐いた後、すぐに寝息を立て始める。やはり辛かったらしい。


 テレンスとバートが部屋を出た後、アメルは、ベッドの近くに椅子を寄せて、腰を下ろした。


 寝入っているフィオの顔を見る。

 何だかこの1年余りで随分と大人びたようだ。

 少し痩せたからだろうか・・・。

 アメルは共にエリザ学院に居た頃を思い出していた。


 ひとつ年下のこの少女は、いつも難しい古い本を読んでいた。

「私はね、魔女になりたいの。本気よ。だからこうして魔法の勉強をしているの」

 そう言って、腰まで届くほどに延ばした髪を、大事そうに撫でるのだ。


 そもそも「オカルト研究クラブ」は、フィオが発足させたものだった。

 そこにアメルと一番年下のメグが加わって、3人で集まっては、夜中にこっそり学院の怪談を確かめに行ったり、妖精を探しに行ったりして、よく舎監教師に叱られていた。


 アメルがエリザ学院を出て、アメルハウスを始めた後も、フィオとメグは連れ立って店を訪れ、クラブを続けていた。


 だが、ある時からフィオはアメルハウスに顔を出さなくなった。

 メグとの付き合いも、オカルト研究クラブも、一方的に避けるようになったらしい。

 そして、フィオはエリザ学院の代表生に選出された。


 代表生とは、文字通りエリザ学院を代表する生徒の事だ。

 全生徒を代表するとだけあって、成績優秀で品行方正な上、整った容姿である事も求められる。


 以前のフィオは、代表生などという理想の生徒像のようなものに、反感を抱いている風だったのに、なぜ急に?

 代表生になったのと、メグやアメルを避けているのと、関係があるのだろうか?

 何か・・・理由があるのだろうか?


 当時アメルはそう思ったが、その頃にはフィオはもう顔を合わせる事すら無いほど遠のいてしまって、結局何も聞いていないまま、今となってしまっている。


 宵闇が迫り、アメルは部屋のカーテンを引くと、そっと部屋を後にした。



 通りのガス燈に火が入れられ、夜空には月が昇っていた。

 その中を、仕事を終えたマーサが家へと帰って行く。

 アメルは小さい鍋をトレイに載せて、階段を上がっていた。


 テレンスとバートが対局しているチェスの、コトリコトリと駒を動かす音が、階下から微かに聞こえてくる。

 時折の「うーん」という唸り声はバートのものだから、彼が劣勢らしい。

 その局面も含めて、いつも通りの夕食後の夜だった。


 気をつけて部屋の扉を開けたつもりだったが、そこは古い建物であり、キィィと耳障りな音が思ったより大きく鳴ってしまった。


「・・・アメル?」

 暗い部屋から声を掛けられて、アメルは苦笑いを返す。

「ごめんなさい、起こしちゃった?」


「夜になっていたのね・・・。遅い時間なのかしら?」

 ベッドから半身を起こしたフィオは、カーテンの掛かる窓を見た。

 灯を入れたランプに映るフィオの顔には、幾分赤みが戻ったようだ。

 アメルはホッと息をついた。


「お腹に何か入れた方が良いと思って。ミルク粥だけど食べられる?」

 小鍋から器に粥を盛って、フィオへ渡す。

 少女はその温かさを確かめるように、器を両手でゆっくりと包み込んでからスプーンを取った。


「・・・おいしい」

 フィオの呟きに、アメルは安堵の笑顔になる。

「良かった。ゆっくり食べてね」

 言いながら、自分の肩にあったショールをフィオに掛けてやった。

 そのはずみに、アメルの胸元からキラリと光るものがこぼれる。

 フィオの指がそれに触れた。


「鍵・・・なの?」

 フィオが首をかしげる。


 手のひらに収まるほどのそれは、確かに鍵の形をしている。

 握り手の部分に開いた穴に細い鎖を通して、アメルの首に掛けられていた。

 けれども、何かが少し違う。

 何かが足りないのだ。


「歯が無いのよ。これじゃあ鍵穴に引っかからないでしょう?」

 ちょっと困った顔をして、アメルが言った。


 そう、握り手から先にあるべきはずの造形が無い。

 つるんとした棒のようになっていて、鍵としての用を成さない。


「だからね、皆が噂している鍵とは違うのよ」

 じっと鍵を見るフィオの目から逃がすように、アメルは鎖を引いて胸の中へと戻した。


「さあ、温かいうちに食べてちょうだい。お茶でも淹れて来ましょうか?」

 フィオの視線がまだ鍵を追っているのが分かって、アメルは少し強引に話を変えた。

 この鍵の事はできれば内緒にして欲しいのだが、それを言うのは少し気が引ける気がした。


「私を・・・あまり信用しない方がいいわ」

 胸の内を見透かされたような声に、アメルはハッと顔を上げた。

 言ったフィオの方が辛そうだと思ったのは、見間違いだったか。

 何を言い返す事もできないアメルをよそに、フィオはスプーンを動かし始める。


 その横顔を見ながらアメルは思う。

 以前だったら、「内緒にしてね」と言えたはずだ。

 そういう仲だった。

 学院で一番親しかった友人だ。

 ・・・そう思っていた。


 そんなアメルの物思いを蹴散らすように、馬車が石畳を踏みつける音がけたたましく鳴り響いた。

 こんな時間に何事かと窓を覗くと、立派な馬車が通りをこちらへ向かって来る。

 扉に、糸車を持った獅子をかたどった金の浮彫レリーフりがあるのが見えた。


 アメルは階下へと急ぐ。

 思った通り、馬車はアメルハウスの玄関の前で止まった。

 遠慮無く扉が開けられ、男がひとり、案内も請わずにどんどん中へと入って来た。


 年の頃は30過ぎほど。

 身に付けている帽子とコートはかなり上等なもので、きちんと伸びた姿勢からも、男が上流の者である事はすぐに分かった。

 端正な顔立ちではあるが、どことなく冷めたく見えるのは、憮然とした表情だからか。


「・・・これはこれは。ウィルトン家の若き御当主様が、こんな時間にわざわざおいでとは。いかなる大事でございましょうかね」


 明らかに皮肉と分かる挨拶に、男は口元を歪めてそちらを向く。

 テーブルに頬杖をついて、だらしなく椅子に座っているバートがニヤリと笑った。

 だが、上目に見据えた視線は鋭い。


 男はそれを受け止めて動じず、バートにではなく、その正面に座っているテレンスに向かって口を開いた。


「フィオはどこに居るのだ」

 チェス盤を見ていたテレンスの目が、フッと男へ移った。


To be continued.

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