SSS ~しょうもない・ショート・ショート~

天宮伊佐

三つの願い ~タピオカよ永遠なれ~

草木も眠るうしつ刻。

ベッドに寝転んで読書に耽っている少女の傍に、私はそっと現れた。


「こんばんは、お嬢さん」

静かに声をかけると、少女は寝転がったまま首を曲げて私の顔を見た。

「えっ、誰ですかあなた?」

まあ、ありふれた反応だ。いきなり自室に見知らぬ老人が立っていたら、だいたいの人間はこうなる。

もぞもぞとベッドから起き上がった少女に、私は恭しく一礼した。

「私は大悪魔ベルフェゴール。人間の魂を集めて回る仕事をしています」

「魂を! こわ!」

読んでいた文庫本を放り出し、少女は枕を抱き締めた。

「今日は貴女あなたの魂を頂戴したく参上したのですよ」

「こわこわ! 誰か! 誰かー!」

少女は大声をあげた。

「そんなに怯えなくとも大丈夫です。無理強いは致しません。こちらもお客様商売ですので。私がするのは、将来貴女あなたがいつの日かになるその瞬間に、もし宜しければ魂を譲って頂けませんかという提案です。……もちろん、それなりの代価はお支払い致します」

「代価って?」

「この大悪魔ベルフェゴールの力で、貴女の願いを三つだけ叶えて差し上げます」

「願いを三つも? すごい! 何でも叶えてくれるの?」

「七大悪魔の力に不可能はありません。但し、幾つかの例外はあります。まず、『願いの数を増やして系』はナシです。当然ですよね。あと、『不老不死系・寿命を延ばす系』もナシ。私共としてはお客様が亡くなった時の魂の回収が目的ですので、それまでの期間の延長は一秒たりとも不可とさせて頂きます」

「なるへそ。さすがに、そんな虫のいい話はないんだ」

「逆にそれらの極端な例外を除き、私はほぼ全ての願いを叶えられると保証します。さて如何でしょう、お嬢さん。貴女の魂、私に頂けませんか?」

「うん、わかった!」

少女は即答した。

しめしめ、可憐な魂1つゲット。私は内心で舌なめずりをする。

小瓶に詰めた人間の魂は高く売れるのだ。その魂の輝きが綺麗なほど、より高値で。

事前の調査によると、この少女の魂はとても美しいはずだ。

まだ若く世間知らずらしいので大きさはそれほどでもないが、その質が高い。

ダイヤモンドに例えるなら、重量カラットは軽くても、色合いカラー透明度クラリティが極上というわけだ。


「じゃあ、さっそく一つ目の願いを言っていい?」

それほど考える様子もなく、少女は言った。

普通の人間ならかなりの時間をかけて考えるものだが、なかなか思いきりの良いタイプらしい。

「どうぞどうぞ。時間は有限ですのでね」

「あの、うすーく切ったフグのお刺身を一箸でドザーッて取るやつ。あれやりたい」

「えっ?」

私は耳を疑った。

「さすがにダメ?」

少女はしょんぼりした。

「大悪魔さんにも、新鮮なフグのお刺身はさすがに出せない?」

「だ、出せないことはありませんが……」

私は悠久の時を超えた大魔術を使い、山口県産の最高級トラフグてっさを召喚した。

「わー! ほんとに出た! すごいすごい!」

少女は『うすーく切ったフグのお刺身を一箸でドザーッて取るやつ』をやった。


「いやー、おいしかったおいしかった」

むしゃむしゃとてっさを食べ終え、少女は満足げに頷いた。

「お望みなら、もう一皿お出ししますよ? これは三つの願いの数には入れません。大悪魔ベルフェゴールからの、恐るべきアフターサービスです」

私は言ってやった。正直、65億年の年月を経た大悪魔の魔術をトラフグ一皿程度に浪費させられたのがしゃくだったのだ。

しかし数秒ほど考えた後、少女は首を横に振った。

「いや、いいです。確かに美味しかったけど、四口目くらいでちょっと飽きてたし」

あんまりではないか。

「じゃあ二つ目のお願いはね。えーと、のどが渇いたから、タピオカミルクティー」

「今さらですか!?」

驚愕した私は、約18億年ぶりに大声をあげてしまった。

「もう流行からは外れかけですよ!? じきに廃れますよ!?」

「別にいいじゃない。今わたしが飲みたいって言ってるんだから」

「それはそうですが。でも、その辺のコンビニで売ってるし」

「あんな高カロリーで身体に悪いもの飲んじゃいけないって、両親に止められてるの。でも、わたしは飲みたいの」

確かにキャッサバから製造された澱粉質の塊であるタピオカは意外とカロリーが高く、それでいて人間の身体に有益な栄養素はあまり含まれていない。親御さんの言うことには一理あるだろう。

「わたしはタピオカミルクティーが飲みたいの。そして、インスタに張りたいの」

そっちの理由が本命らしい。

「まあ、止めませんが……」

私は大天使ミカエルとの聖戦以来ずっと封印していた禁忌の大魔術を駆使し、タイ有数の畑から厳選したキャッサバと英国王朝御用達ごようたしの紅茶葉と北アルプス奥地に生息する幻の牛からしか採れない生乳を召喚する。

この星で最高峰の出来と断言してよいタピオカミルクティーが、今ここに完成した。

「わー、すごいすごい!」

少女はスマートフォンで写真を撮りインスタに張った後、ぐびぐびとそれを飲んだ。

「んー、これはおいし……うん…………おい、し……?」

しばし逡巡した少女は、ゆっくりとコップを置き、真顔になって私を見た。

「ごめんなさい。ちょっと期待してたノド越しと違ったかも」

あんまりではないか。


「さあ、三つ目の願いを言ってください。どうせ食べ物でしょう。仙台の牛タンでも青山の五時間待ち名店の苺パフェでも、何でも召喚してやろうじゃありませんか」

私は半ば自暴自棄やけくそになって言った。

そもそも五兆円くらい所望すれば食い物なんぞ幾らでも買えますよとか、そういう助言をするのもアホらしい。

こっちは、さっさと魂が手に入ればそれでいいのだ。好きなだけアホな願いを言うがいい。

しかし、少女は次の言葉を続けず、じっと私の顔を見つめている。

しばしの沈黙の後、その口がゆっくりと開かれた。


「あのね、大悪魔さん。本当はわたし、薄々わかってるんだ」


「……何をですか?」

私は思わず身構えた。

何に気づいていたというのだ。

まさか――今までの『願い』は、か?

本当の『願い』など、たった一つでいいと?

『魂の譲渡』という契約など、たった一つの願い事だけで覆してしまえるという余裕の表れが、トラフグやタピオカだったとでも言うのか?

いやいや、そうはさせん。私は地球誕生以前から宇宙に遍在する大悪魔だ。その手の頓智とんち比べは幾らでも破ってきた。

『願い』の数量増加、却下。不老不死・寿命の延長、却下。時間の巻き戻し、却下。私以上の力を得る、もちろん却下。まさかクーリングオフなどという愚かな単語は出すまい。そんな言葉を発したら、私はすぐさまその魂を――。


「わたしの寿命、たぶん明日で尽きるんでしょ?」


しかし少女の言葉は、およそ智謀にも策略にも大きく欠けたものだった。

「……よく分かりましたね」

この期に及んで嘘を吐く気にはなれず、私は頷いた。

「成功率5%の大手術の前日に、あなたみたいな人が現れるなんて、できすぎだし」

無地のパジャマの上から、臓器がほぼ機能停止状態にある自分の腹部を撫でながら、少女は笑った。

余命の僅かな人間たちの前にのみ、せめてもの慰みとして私たちは現れる。

そういうシステムだ。

どれほどの富や名声や愛を得ようが、それらを満喫できる時間は一日にも満たない。

だからこそ、どんな願いでも叶えられるという太っ腹な権利が得られるのだ。

「んー、フグもタピオカもおいしかった」

「飽きたとか期待外れだとか、散々な言われようでしたが」

「最後の晩餐が流動食じゃなかった時点で満足です。ありがとう」

「どういたしまして」

「でね。最後のお願いなんだけど」

晴れやかな顔で、余命12時間の少女は私に囁いた。

「大悪魔さん。あなたが、人間の魂を何に使うのかは知らないけれど。

 わたしの魂を、どうか末永くよろしくお願いします」


そんなわけで、永遠の命を持つ私は、彼女の魂を永遠に手放せなくなってしまった。

彼女のきらめきが灯った小瓶を眺めながら、私は今日もタピオカミルクティーを飲む。

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