その3 深護市 原稿用紙約4枚

 ゴールデンウィーク。新幹線で西へ向かう。

 目的地は兵庫県。神戸市と芦屋市とのあいだに位置する、深護(しんご)市だ。

 深護市は、港町神戸の隣とあって、戦前には外国人が多く駐留していた。今でもその面影を残す異国的な街として全国に知られている。さらには、高級住宅地としても有名な芦屋にも隣接しているので、神戸よりも品がいい。ハイセンスな街だと言われている。海外からの観光客は、神戸を訪れる人よりも深護市に滞在する数のほうが多いそうだ。

 東西に長く、地図で見ると平べったい形をした深護市の東の端に、標高五百メートルの暇山(ひまやま)という山がある。傾斜がゆるやかなのでハイキングコースとして人気があるらしい。

「お前の気分を紛らわせるにはちょうどいいだろ。おしゃれな街を見て歩いて、山のきれいな景色を見ながらハイキングをして。体を動かせば少しは気分も晴れるんじゃないか」

 この旅が決まってから、例年どおりに心が定まらないわたしに、英雄は呪文のように何度もそう言って笑った。

 わたしには否定をする気力がなかった。

 深護市には、いやな予感があったのだ。

 十年以上前には、当時の中学生が小学生を殺害し、その首を学校の校門に置くという猟奇殺人があったし、五年ほど前には無差別殺人事件が起きていた。最近では、小学校の教諭の間でのいじめが問題になっている。どれも、わたしが「黄色い季節」と内心で呼んでいる、春先から梅雨明けにかけての時期に関わる事件だ。いじめという事態は、一時期に限って言えることではないことが、さらに不安を駆り立てている。

 あんな事件を起こした犯人たちにも、あの時期、あるいは通年、世界が黄色く見えていて、自分の本来の意志に反して、ああいう犯行に及んだんじゃないだろうか……。


 新幹線を新神戸駅で降りる。五月の陽射しは眩しく、正面に建つビルの壁に反射している。思わずわたしは立ちくらみする。よろめいて、英雄に支えてもらう。

「どうした?」

 英雄の表情は、心配している。今回の旅は、彼がわたしの回復を望んで企画したのに、逆効果になるのを恐れているのかもしれない。

 だからわたしは、この街が、わたしたちの住む冬経市よりも「黄色い」ということを、口にできない。ホームの向こうに建つビルの壁はどれも、黄色い水彩絵の具を重ね塗りしたような色をして見える。そんなシュールな街並みが、あるはずがない。

「在来線で東に行くのよね。連れて行って」

 自分と違う誰かが、勝手にしゃべっているような違和感――梅雨の雨がひどくなるにつてれ徐々に強まって来るはずの感覚――が、突然襲って来ていて、ためらいを覚える。

 しかし。

 東へ向かうにつれて、わたしの視界はどんどん黄色を増して行く。まるで心をレイプされるように、否応なしに、自分と違う何かが勝手に流入して来て、ロングシートに座っている自分自身こそが、他人のように思えて来る。

 自分をつなぎ止めておきたくて、英雄の肩に頭を載せる。

 英雄はわたしの肩を軽く抱き寄せてくれる。

 安心している自分すら、ほかの誰かの感覚のように思え……うつむいて泣き始める。

「すぐホテルにチッェクインしよう。疲れたんだろう」

 もううなずくこともしない。どうせ自分がそうしたようには思えないことがわかっているから。

 深護市駅が近づく。梅雨の終わりのように、空気は、ペンキで完璧に塗り込めたような、奥行きがなくとても濃い黄色に見える。

 この街は何なのだ? この空気は……? 梅雨の末期になると、この街はどうなってしまうのだろう……。

 わたしは意識を失った。

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