大学時代の私-復学から中退、そして入院-
なんとか体調が戻り、4月から復学することになり、履修登録の際に単位を落としまくっていたので教職が履修出来ないこと、そして必修も1つ以外落としていたので、一部の必修の授業を受けられないことが分かりました。
どうしようかと考えましたが、とりあえずもう一度点数を取り直して教職を履修しようと決め、受けられない必修は後期になると履修出来ることが分かったので、何とかなるだろうと考えていました。
とにかく2回生で浮くのは嫌で、みんなと仲良く、今度こそ頑張ろうと思っていたので緊張はしていましたがとにかく行くことを目標にして臨みました。
必修の初日、少し早めに行き、少しでもみんなと仲良くなろうと考えていましたが、「久しぶり~!」と女の子たちが言い合っているのを聞き、やばいという気持ちに駆られました。
2回生のクラスはサークルや1回生のときにクラスが一緒だったり、初対面でも部活に入っている人達ばかりだったのです。
私はサークルにも入っておらず、何せ1年休学していたのでみんなより1つ歳が上だったのです。
初日からみんなが久しぶり!と声を掛け合っているのを見て、とにかく私も話に加わらなければ、と思い、名前を教えあったりしていましたが、もうグループが出来ている状態でした。
正直1回生の様にみんなが初めましてだと考えていたのでなんとかなると思っていたので大きな誤算でした。
将来なりたい職業の話が授業で出て、1人1人応えていくのですが、「教師になりたい」と言うと「教職は取っているのか」と先生には聞かれ、はい、と言うしかありませんでした。(笑)
そして受けることが出来ない授業では教室に入れないので余計にみんなとの仲の差が出てしまいました。
1回生の時の友達とは全く連絡を取っておらず、広いので会うこともあまりありませんでした。
そして休学したことの代償は大きかったです。
毎日学校に行くのが苦痛で、薬を飲んでいるため起きれない、授業についていけない、すぐに勉強したことも忘れてしまい、1時間半の授業も集中力が続かない、そして肝心の教職や卒業にも関わってくる単位の心配。
一部の必修を受けれないことが大きく、みんなとの仲もだんだん輪に入れなくなっていき、徐々にまた「授業に出たくない」という気持ちになっていきました。
ですがとにかく行かなければならないので朝寝坊したり寝れない、起きれない時はありましたが何とか授業には出ていました。
グルチャにも一応は入っており、ですがグルチャは動くことがなかったので毎回クラスの人達と顔を合わすのが嫌になっていきました。
会話に入りたくても入れない。
授業には着いていけない、いくら勉強しても忘れる。
だんだんと孤立していき、また鬱状態に陥りました。
再び自傷行為が始まり、それでも授業には一応出ていましたが死にたい、学校に行きたくない、と思うようになりました。
また同じことの繰り返しで、必修にはどうしても行けなくなり、選択授業のみ出ていました。
ですが前述の通り授業に着いていけず。
選択授業にも行きたくなくなり、とりあえず学校には向かいますが授業には出れず図書館で音楽を聞きながら寝る日々。
学校に行くというだけで凄まじい憂鬱感が出ました。
当時スクールカウンセラーという存在は知らなかったので、ずっと1人でいました。
ご飯を一緒に食べる人もおらず、周りは楽しそうにしているのに私は1人。
ずっと特定の場所で過ごす日々でした。
久しぶりに男友達とバッタリ会った時は、その友達の周りには友達がいて、私はずっと1人で大学内にいたので情けない気持ちでいっぱいでした。
学校内で「ここから飛び降りれば死ねるかな」という気持ちに襲われていました。
私なんかいなくても誰も困らないんだろうな、という考えに陥っていました。
アルバイトもしていなかったので学校のみでしたが、もう何もかも嫌になり、選択授業にたまに出ては図書館で過ごし何のために学校に行っているのか分からなくなりました。
教師になりたくても教職は取れない。
授業にもまともに出ていない。
ですが周りには何も言われませんでした。
声を掛けられることもなく一人ぼっちでした。
どんどん体調は悪くなり、結局8月頃に家族から「もう辞めなさい」と言われ、中退しました。
教師になる夢をずっと夢見て頑張ってきたつもりでしたが、全て意味がなかったんだと目の前が真っ暗になりました。
退学届けを提出したときは、もう全てが終わったんだと思いました。
20歳で私の学生生活は終わりました。
その後、体調が良くないままアルバイトを始めました。
大型チェーンの居酒屋でしたが、結局そこでも馴染めず、1人でした。
リストカットがひどく、有名店なのでサポーターを取れと言われても取れず、ミスばかりして周りとも馴染めなく、当欠した際は責め立てられ、辞めざるを得なくなり、辞めました。
恐らく2ヶ月も続いていません。
その後、再び当時行っていた心療内科で自殺が切迫していたので入院と言われました。
ですが前の精神科には絶対に入院したくなかったので、地元のもう1つの精神科を選びました。
11月頃、冬に入院しました。
その時、「双極性障害」と初めてきちんと診断書に書かれていました。
双極性障害。
やはりあまりピンと来なかったのですが、当時はそんなにいつもと変わらない生活が出来るだとか、完治や、自分が精神疾患であったりすることの自覚は全くありませんでしたし、そこまで深く考えてはいませんでした。
1ヶ月以上入院し、デイケアに行くことになった私は、やはり教師の夢を諦めきれないでいました。
双極性障害というのはどのようなものなのか。
ハッキリしませんでした。
当時20歳だったので、そこから双極性障害との闘いが本格的に始まっていきました。
様々な症状、パニック障害や身体表現性障害、摂食障害、不安障害との併発は簡単なものではなく、躁転するとアルバイトをしてしまい、そのお金で教師になるために通信制の大学に行くと言って聞きませんでしたし、結局アルバイトに行っても体調を崩し、毎年2回は入院していました。
基本的に夏に上がり、秋と春に鬱状態でした。
躁転のコントロールが出来ておらず、病識のなさ、自分は病気ではない、と病気に対しても否定的でした。
良くなっては悪くなり、生きるのが常に辛く、本気で部活の人達を殺したいと思っていた時期もありました。
これからもっともっと辛くなる日々が待っていました。
2回生のグルチャには私抜きでの写真が回ってきて、体調の悪い時に診察日だったときは大学の卒業式でもあり、1回生の同級生の袴の写真も回っていました。
あの時は悔しくて悔しくて仕方なかったです。
数年後、また本気で自殺しようと実際に行動に移してしまう時が来たのです。
ここまでが復学から中退、そして入院からデイケア、躁転したらアルバイトに及んでしまうことをこちらも端的ですが執筆させて頂きました。
本気で自殺しようと思った時の事を次回執筆させて頂こうと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます