第8話 5月13日の出来事
ママがデイケアに行くことにも慣れて、それなりに落ち着いていた5月の半ば。
パパの入院先の病院から、連絡がありました。
昼食中に誤嚥して倒れ、そのまま呼吸が戻らない、と。
心肺停止状態でした。
その病院ではそれ以上の処置ができないので、お医者さんの付き添いですでに救急病院に運ばれていました。
電話を受けた時点で、もう死を覚悟する状況でした。
峠は、当日13日の夜。
ただでさえ病気で身体が弱っているので、乗り越えることはできないだろう……というのが、皆の認識でした。私たちも、病院サイドも。
(ちなみに、入院中の誤嚥についてですが、当時も今も、病院に責任があるとは思っていません。ママが元気だったころ、よく見ていたでしょう?
パパは病気のせいでものすごく食べることに執着していて、よく噛まずにかき込むような食べ方をするようになってしまいました。食事中は誰も手出しできなかったし、病院サイドが事故を防ぐために万全を期してくれているのは重々承知していました。あくまで、私たちの場合は、ですが。)
お兄ちゃんがすぐさま搬入先に向かいましたが、私はママと残りました。
このころ、ママはもう子供たちの名前を忘れ、自分が結婚したことも忘れていました。
パパの顔を見せようにも、覚えていないのだから。
あるいは、一目パパを見て、状況を理解してしまったら、パニックになってしまうのではないかという懸念もありました。
親戚に知らせたり、伯母たちが急いでこちらに来ることになったり、叔父が直接救急病院に向かったり――バタバタしている間、ママはずっと、きょとんとして私を眺めていましたね。事情はわからなくても、異変は感じ取っていたの?
父親は心肺停止状態で回復の見込み0、人工呼吸に切り替えるかどうかの話し合いもしたのですが、ぎりぎりのタイミングで自発呼吸に戻りました。担当のお医者さんがびっくりしていたので、相当珍しいことだったのだと思います。
息だけはしている。
でも、その他のことは何もできない。
意識はないし、パパはもう瞼すら自分では閉じれない。
瞼が開きっぱなしだと眼球が乾いて血走って、ものすごい目になるの。
後日、ママの世話をお兄ちゃんに任せて、叔父夫婦に緊急病院に連れて行ってもらいました。
精神病がひどくなったころから別人のように思い、私のパパはもう死んだも同然と思っていたのですが。
実の父親が、管に繋がれて苦しそうに生きている姿を見るのはさすがにこたえました。
ともあれ、この日を限りに、パパは意識のない四肢不全状態になり、植物人間一歩手前の状態で数年間を生きることになるのです。
一目だけでもママをパパに会わせなかったことは、今でも後悔していません。
複雑な気分ではありましたが、不思議と、後悔する気持ちはかけらも沸いてこないのです。
我ながら薄情だなあと思うことはあるけど、それが嘘偽りのない正直な気持ち。
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