第18話 旅行

 時は経て――。


 成宮理絵、吉田香帆、釜田紀恵、そして私の4人はとある旅館に来ていた。

 土日を使った1泊2日の旅行である。私は旅行なんて滅多に行かないから、新鮮味がある。この機会をくれた吉田さんに感謝したいなと思う。



 朝早くに新幹線に乗って出発して、お昼頃から日本風情あふれる建物やお寺を観光した。釜田さんは一眼レフを持参して、写真をたくさん撮っていた。私も食べ終わった後のお皿の写真を撮って、「海鮮が色とりどりで美味しかった」と翼に送ってみたが返事は「どうせ送るなら食べる前の送れや」だった。無視することにした。

 旅行を通じて非日常的な空間に触れる。いつもは理絵との2人行動が基本だったから、4人でのんびり過ごすのもにぎやかで悪くないと思った。たっぷり観光を堪能した後は、宿泊先の宿に向かう。

 それぞれの部屋に荷物を置いてひと段落した頃。



「夕飯までまだ時間あるね。お風呂行っちゃう?」



 と吉田さん。

 この宿には広めの温泉がある。美肌成分が濃縮されているとかで、宿泊はせずに温泉だけ入りにくるお客さんも多いという。



 私は少し落ち着かなかった。

 温泉なんてたくさん入ってきたし、同性の裸を見たって何とも思わない。でも理絵の一糸まとわぬ姿を見ると思うとドキドキする一方で、自分も見られると思うと恥ずかしくて……。

 少なくとも、お互いの下着の色を覚えてるほどには意識してるのは確かなわけだし……。旅行と聞いてまず初めに浮かんだのがお風呂のことだった。こうなることは分かっていたけれど、いざその時が来ると躊躇してしまう。



 表情が顔に出にくいといえど、恥ずかしさは誤魔化せない。私がお風呂でたじたじしている姿を吉田さんや釜田さんに見られるのは嫌だし、不審に思われてしまうかもしれない。

 髪を切った後に知人と会う時と同じで最初の一瞬を耐えれば良いんだろうけど、脱衣室の攻防戦を想像すると骨が折れる。嫌だなぁ。



「わたし温泉苦手だから部屋のシャワー浴びる」



 釜田さんは無表情でそう言った。

 私はその手があったか! と思った。できるなら私も部屋のシャワーが良い。美肌成分は捨てがたいけど、理絵と一緒にお風呂はちょっと心臓に悪い。



「私も部屋の入る」


「2人ともなんでよー! せっかく良い温泉入れるんだよ?」


「強制ではないから……。無理しなくて良いよ!」



 吉田さんは控えめな笑顔で笑っている。せっかく名物の温泉付きの旅行に誘ってくれたのはありがたいけれど、釜田さんも入らないなら良いでしょ。ちょうど2対2になるわけだし。



 結局、私と釜田さんは部屋のシャワーを浴びることに、理絵と吉田さんは温泉へ向かった。理絵は残念そうな顔してたけど、なんとか裸の晒し合いを回避できた。良かった。

 ここまで意識しちゃうとは我ながらどうかしている。好きになりすぎてる気がする。恋人なんだし、いずれ訪れるであろう「ソレ」を想像すると顔から火が出そうになる。心の準備がまだまだ足りていない。

 でも意識しているのは私だけできっと理絵はどうってことないって思ってるだろう。ちょっと悔しい。

 



 部屋でシャワーを浴びた私は釜田さんと適当に時間を過ごした。そしてしばらくして、温泉組が帰ってきたタイミングで夕飯になった。

 私たちは運ばれてきた和食料理を食べながら恋愛トークに花を咲かせていた。誰から話を持ち掛けたのかは覚えていないけれど、吉田さんや釜田さんもこういう話をするというのはなんだか意外だった。

 理絵はノリノリで2人に質問している。



「香帆ちゃんと紀ちゃんは彼氏いるのー?」


「私はいないかな」



 と吉田さん。

 勉強ばっかりしてるイメージあるし男子と話しているのを見たことがない。納得かも。

 でも、おっとりしててかわいいし、いてもおかしくはないとは思うんだけどね。



「えー、じゃあ紀ちゃんは?」


「……一応いる」


「えー誰!?」


「他校の幼馴染」


「幼馴染かぁ、いいね!」



 釜田さんが彼氏いるのは意外だな。

 いつも無表情でおとなしくて何考えてるか分からない子だと思ってたから。私がスカートを短くしようとした時に、真顔でチラチラと見てきた釜田さんのことを思い出す。あの時ちょっと怖かった。

 釜田さんの彼氏さんは、どこに惹かれたんだろう。不思議な雰囲気を醸し出しているけれど、きっと私の知らない顔があるんだろうな。

 なんて考えながら3人の会話を聞いていた。茶碗蒸しが美味しい。



「理絵ちゃんと、七瀬さんはいるの?」



 吉田さんからボールが飛んできて、思わず茶碗蒸しを吹き出しそうになる。



「彼氏はいないかなぁ」



 理絵はそう答えた。確かに「彼氏」はいないね。



「一時期深瀬君と仲良くしてたから付き合ってるのかと思ってた」


「付き合ってないよ、ただの友達だって」


「理絵ちゃんは好きな人はいる?」


「いるよ~!」


「そうなの? だれ?」


「それは内緒ーっ」


「えー気になる」


「すっごく素敵な人だよ。照れ屋さんなの」



 そんな理絵と吉田さんの話を聞いて、私は胸のあたりがムズムズしていた。好きな人って……私のことだよね?

 理絵と目が合うとニコっと、はにかまれた。照れ屋さんとか皆の前で言わないで欲しい。



「理絵ちゃんに好きになってもらえるなんて、その人は幸せ者だね」


「幸せ者かぁ……どっちかっていうと、出会えたあたしの方が幸せ者だと思ってるけどなぁ」



 理絵は吉田さんにそう返しながらまたチラっとこちらを見た。

 お風呂上りの頬を上気させた表情が妙に色っぽくて、思わず目を逸らしてしまった。こういうところが照れ屋って言われる原因なんだろうなぁ。でも恥ずかしがるなって言われる方が無理だよ。



「七瀬さんは彼氏いる?」



 今度は私か。

 吉田さんは目が無駄にキラキラしている気がする。



「えっと……私もいない」



 まぁ「彼女」はいるけどね。



「じゃあ好きな人は?」


「それは……いるかも」


「春日井君?」


「あれは違う」


「そっか……そうなんだ……。じゃあ誰?」


「内緒」


「えー」



 こちらの話には興味がないといった感じで無言でご飯を食べている釜田さんに対して、吉田さんは結構グイグイくる。勉強ができる人は色んなことに関心が深い人が多いって誰かが言ってたけど、恋愛に対してもそうなのかも。



「優はさー、その人のどんなところが好きなの?」



 理絵は意地悪な顔をして聞いてきた。

 あえて、だな。みんなの前で言わせるとかどういう羞恥プレイですか。いいよ、言ってやりますよ。



「……全部」



 理絵は私の卵焼きだから。

 要素云々より、全部ひっくるめて好きだ。



 理絵は一瞬固まってから、顔を紅潮させて手で口を押さえて下を向いた。

 え、分かりやすすぎない? ……人のこと照れ屋って言っておいて自分だってそうじゃん。釜田さんはそんな理絵の方を真っすぐ見ていた。……バレちゃうじゃん、釜田さんに。



「七瀬さんの口からそんなこと聞けるなんて……あんまりそういうこと言うタイプじゃないと思ってたから意外」


「吉田さんは好きな人いるの?」


「えと……一応」


「勉強?」



 頭良いからね。



「勉強は嫌いじゃないけど……」


「優! 好きな聞いてるんじゃん、流れおかしくしないで!」


「てへぺろ」


「もう……香帆ちゃんは誰が好きなの?」


「……秘密。だってみんな好きな人教えてくれないんだもん」



 そうだね、自分だけ好評するのはフェアじゃないかもね。

 それにしても、吉田さんが好きな人って誰なんだろう。釜田さんなら知ってそうだけど……。



 恋愛トークもひと段落し、夕飯を終えた私たちは吉田さんと釜田さんの部屋でトランプやUNOをして過ごした。

 今日1日で私たちの仲はだいぶ深まったと思う。吉田さんと釜田さんは自分とは関わらないタイプの人間かと思っていたけれど、そんなことはなかった。掘り起こせば、その人のアイデンティティが垣間見えて面白い。何事もイメージだけで決めつけるのは良くないね。

 理絵以外とは未だに苗字で呼びあっているから、これを機に名前呼びができる関係にいずれなれたら良いなと思っている。

 



「そろそろ寝よっか。ちょっと眠くなっちゃった」



 吉田さんは口元を手で押さえながらあくびを漏らした。

 もうそんな時間か。時計を見ると夜の1時を回っていた。謎のフェロモンが湧いているのか、私はまだそんなに眠くはなかった。でも朝早く起きて、たくさん歩いたこともあるし普通は眠くなるもんかもね。



「そうだね。じゃああたしたちは部屋、戻ろっか」



 旅行券は1枚につき、2人部屋が1つといった内容だったので今回の旅行は隣同士の2部屋借りることになっていた。なんとか頼み込んで食事は1部屋内にすることはできたけれど、寝る場所は分けようとなった。私と理絵で1部屋、吉田さんと釜田さんで1部屋だ。

 部屋に戻ると敷かれている布団を目にして少しドキッとする。私たちは今からここで寝る。ついにこの時が来てしまった……。理絵と一緒に寝ると思うと落ち着かない。変に意識したら負けだ、自然に。自然に……。



 電気を消して布団に潜り込んだ。隣の布団には理絵がいる。

 私たちは布団に横になりながら、今日の出来事を振り返っていた。



「今日楽しかったね」


「うん、そうだね。ご飯も美味しかった」


「ふふふ、優のお気に入りは茶碗蒸しだったね」


「うん。卵焼きの次に好きかもしれない」


「ねぇ……あの時に優が全部好きって言ってくれたのすごく嬉しかった」


「理絵のことじゃないよ」


「えええ!! 嘘でしょ??」



 理絵は懇願するような表情でこちらに詰め寄ってきた。



「嘘だよ」


「もー……ばか優なんてこうしてやるー」



 私の布団の中に入って来た理絵は私の脇の下に手を回して抱きしめてきた。ポカポカする。おでこが触れるか触れないかの距離で、包まれる安心感に体の力が抜けていった。やっぱりこうやってくっついてると満たされる。

 やがて規則正しい呼吸音が聞こえきた。理絵はそのまま私の首らへんに顔を埋めたまま寝たようだ。



「おやすみ、理絵」



 今日いっぱい歩いたもんね、そりゃ疲れちゃうよ。

 何か起こるかもしれない、と少し構えていたが今日は何も起こらないことを悟って、体勢を崩し仰向けになる。右側に理絵の体温を横に感じる。

 正直、今でも理絵が隣にいるだけで落ち着かない。私の気も知らないでスヤスヤ寝息なんて立てちゃってさ。ドキドキが止まらない。今までこんなことになったことないのに……。理絵耐性つけたいな。



 ふと寝顔を見る。閉じられた瞳。瞼から生える長いまつ毛。小さな呼吸音。寝顔まで綺麗。思わず見とれてしまう。これが私の彼女か。この寝顔をこの距離で見られるのは私だけの特権なのかな……少し悪戯をしたくなってしまう。

 なんて思って見ていると、理絵の瞼が少し動いたので私は反射的に目を瞑り顔を天井に向けた。意識を理絵に集中させる。もぞもぞと布団が横で擦れる音が聞こえる。……動いている。

 寝てたんじゃなかったの?

 


「ぎゅってしたまま寝て欲しかったなぁ。ふふ……でも、優かわいいから許しちゃう」



 吐息混じりの声で囁くと左の頬を撫でられた。恐らく先ほど私が理絵にしていたのと同じように顔を見つめられている。

 ふと右の頬に当たる柔らかくて暖かい感触。

 あ、今キスされた。



 左頬を撫でられながら、何度か私の右頬にキスをした理絵は今度は私に覆いかぶさってきた。身体の前面に感じる理絵の体温と僅かな重みに表情が緩みそうになる。なにこの子、寝かせる気なくない?



「んっ……ん……」



 上唇をついばむように軽く吸われた。

 思わず自分の唇を動かしてしまいそうになるが、ここは耐えるがキスは止まらない。今度は下唇を挟むようにして口づけられ、ちゅっという音が部屋に響いた。



 おいおいおい。どういう展開これ。



 それで終わることもなく、何度も何度も角度を変えて優しく唇を重ねられる。目を閉じているから五感が研ぎ澄まされ、柔らかくて甘い唇の感覚と唇同士が触れ合う音に、脳がとろけていく感覚になる。いかんいかん、これ以上はまずい。

 私は思わず目を開いた。もう寝たふりはこれ以上無理だった。

 手の平フィルターで壁を作る。



「ちょっと、理絵」



 理絵は一瞬微笑んだかと思うと、私の手のひらをチロっと舌先で舐めた。



「んいっ……」



 慣れない感覚に変な声が出てしまう。

 思わず手を振り払った。



「……優」



 手という名の障害物がなくなり、再度唇が重ねられる。あぁ、もう無理。応えるかのように私も唇を動かして彼女のものを優しく挟むと、理絵の甘い声が鼻から漏れた。

 理絵の手が私の後頭部に伸び、頭の位置が固定されたと思ったら、舌がゆっくりと唇を割って口の中に入ってきた。お互いの舌先がちょんと触れる。

 暖かくてヌルヌルとした粘膜の感覚に理性が少しずつ破壊されていく。舌を少し伸ばすと、絡めとられて思わず声にならない声が漏れた。



「ん……はっ……」



 こんな深いのは今までしたことなかった。胸が高鳴り、息が荒くなっていくのが分かる。熱く絡められた舌。脳に直接響く水音に酔う。我も忘れてお互い求めあううちに、次第に絡み合う唾液が粘り気を帯びてきているのを感じる。



 長いキスが終わり、理絵がゆっくり顔を離すと私たちの口と口をつなぐ銀のアーチが光った。

 彼女も息を乱し、瞳は潤んでいて恍惚とした表情を浮かべていて、部屋を僅かに照らしている小さな灯りの中でも分かるその色っぽさに思わず息を飲んだ。



「優……したい」



 したい、の3文字が心臓を大きく揺らした。



「だ、だめだよ、みんなで旅行中なのに」


「優はしたくない……?」


「……」



 したくないと言ったら嘘になる。すでに身体はほてっていて、理絵を求めているのが分かる。でも一緒に温泉に入る勇気もなかった私は、いきなりのこの展開に動揺が隠せないし、何より私たちの隣の部屋では吉田さんと釜田さんが寝ているのだ。友達同士で旅行しているのに隣の部屋でそういう情事が行われていたなんてハレンチすぎる。



 無言でいると、理絵は拗ねたように私に背を向けてしまった。



「ちょっと、ごめんって」


「……」



 無言のまま返事は帰ってこない。珍しく拗ねてしまった。

 私は彼女の背中を抱きしめた。抵抗はしてこなかった。



「ねぇ、こっち向いてよ」


「……」



 依然とそのままの体勢を貫く彼女。



「理絵ちゃーん」


「……」


「あのさ……今度うち泊まる?」


「いいの?」



 理絵はようやく振り返ってこちらを見た。

 こうでも言わないとダメなんだろうなとは薄々思ってたけど……。

 その時は私だって覚悟を決めるよ。



「うん。その時は……ね……うん」


「そういう関係は無理って拒否られたかと思ったぁ……良かった。優、大好き」



 理絵はこちらに身体を向けてきたので再び抱きしめた。良かった。許してくれたみたい。

 温かい体温と寝息に包まれて、私は意識を手放した。

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