第16話 主人公は動く
屋上。私は理絵と一緒にいた。乾いた風が頬に容赦なく吹き付ける。ここで理絵との関係はもう終わってしまうかもしれない。怖いけど、やるしかない。
放課後になって、手の震えが止まらない私は強張った表情で理絵に着いてきて、と言い放ち屋上に向かった。ただならぬ雰囲気を察知したのか彼女は理由を聞くこともなく目をパチクリさせながらも黙って着いてきてくれた。
白黒はっきりさせたいことはたくさんあるけれど、私はまず謝りたいと思っている。終業式の日、ここであったことについてだ。
真由美や深瀬、色んな人に謝ってきて運良く許されてきたが、今回はそうなるとは思っていない。ネガティブなことを言われるかもしれない。でもそれはしっかり受け止める覚悟はできている。
「どうしたの優?」
なかなか切り出せずにいると、ついに理絵が尋ねて来た。
「……謝りたいことがある」
「……なに?」
理絵は不思議そうに首を傾けてこちらを見ている。
本当に分からないといった様子だ。
「2学期の終業式の日、ここでのこと」
「あぁ……。別に気にしてないよ? あたしこそあの時はごめんね」
「気にしてない? それは嘘でしょ。3学期になってからずっと、どこかそっけなかった」
「そんなことないよ、こうして今も仲良くしてるじゃん」
これのどこが仲良くしているというのだ。無理して一緒にいるのはもう分かっている。
私は本音が聞きたい。それがどれだけ傷つくことであったとしても。
あくまでとぼける感じを崩そうとしないので、確信に迫ることにした。
「本人から聞いたけど、深瀬が同性愛者だってこと前から知ってたんでしょ?」
「……!」
一歩、歩み寄ってそう告げると、理絵はハッとした顔をして私を見た。
「理絵は友達として……私といるより、深瀬の方が良かったってことでしょ。私のせいだよね。あんな最低なことしちゃったから……」
「そんなんじゃ……」
「本当にごめん! 理絵を傷つけたかった訳じゃない。ずっとそばにいてあげたいって思った。本当だよ! キ……ス……して欲しいって言われた時、頼りにされてるんだって思ってすごく嬉しかった。でもああいうお願いをされたのは初めてのことだったからビックリして……頭が真っ白になってあんなこと言って理絵を置いていっちゃって、ちょっとどうかしてた。……ずっと後悔してた。謝るのが遅くなっちゃったこともごめん」
「違うの、優」
「……何が違うの?」
「確かにあの時はちょっと悲しかった……かもしれない。でも優のことを嫌いになったわけじゃないよ! あんなことお願いするあたしが普通じゃなかっただけで、優は悪くないよ」
理絵は慌てたように早口でそう言った。
「じゃあなんで……なんで私から離れようとしたの?」
手元の震えに加えて声も震える。理絵に避けられて悲しかった、つらかった。こうして言葉にすることで余計にその気持ちが溢れてくる。
「嫌いになったわけじゃない」なんてきっとただの建前だ。
「理由を言ったらきっと優はあたしを嫌いになる。……だから言いたくない」
「……言ってくれないと逆に嫌いになる」
理絵は黙ってしまった。
私は理絵が口を開くまで待つつもりだ。
「分かった。じゃあ……言う」
数十秒の沈黙の後、理絵はぽつんと言った。表情はかなり暗いものになっている。
「うん」
しばらく間が空いた。理絵の手が僅かに震えているのが見える。
なんでそんなに緊張しているの……? 彼女が何を言い出すのか全く分からない状況の中、私も理絵と同じように手を震わせていた。
「優に嫉妬して欲しかったから」
「……」
理絵の言葉が理解できず、フリーズする。
嫉妬? 私が理絵に? 深瀬との関係を?
予想外の言葉にその場に立ち尽くすことしかできない。
「あたしが深瀬と連絡先を交換したって話した時に、優は寂しいって言ってくれたでしょう? あれ、すごく嬉しかったんだ。きっと優が思っているよりずっと」
「待って。だからあえて距離を取ってたの?」
「……寂しいって思って欲しかった。もっと私といたいって思って欲しかった……。屋上の件で優には嫌われたと思ってたから尚更……」
「……嫌ってるわけない。嫌われてるのは私の方かと思ってた」
「ごめんね……。優がそれで妬いてくれるわけないのに、バカだった」
「……」
「優が……好きだった」
その時、理絵の目から涙が溢れた。
過去形。この好きって……
「え、それって……」
「友達としての好きじゃないよ」
「……」
嘘でしょ……。
「春日井とどんどん仲良くなってったでしょ? あたしの知らない間に名前で呼び合ってさ……。優が春日井に取られちゃうんじゃないかって結構寂しかった。保健室で、優のこと春日井に任せていいかもなんて言ったけどあれは半分本当で半分嘘……。ちょっと、優の前でカッコつけたかっただけで、本当は……春日井に嫉妬してた」
「それ本当なの? 嘘でしょ、理絵が私を好きになるなんて考えられない。だって私なんか……」
「優はいつも自分なんてって言い方してるけど、そんなことない! ……あたしだけが優を好きでいられたら良かったのに」
「いつから私のことを……? 深瀬のことはもう好きじゃないの?」
「深瀬に同性パートナーがいるって打ち明けられた時……全然ショックじゃなかったんだ。深瀬よりも優のことが好きだったから」
「……」
「女同士だし難しいのは分かってた。あがき……じゃないけど、触れると優が照れてくれるのがかわいくて。触れるほど、あたしのこと意識してくれるのかなって思ってたくさん抱き着いたりしちゃってた……。でも優はこれっぽっちもそんな気ないんだなっていうのは分かってて。ずっと自分の中に気持ちため込んでるのがつらかったから、無理なの覚悟で終業式の日の打ち上げで気持ちを伝えられたら良いなって思ってたんだ。でも別の人に屋上に呼び出されちゃってあんなことになって心がボロボロになって……優が屋上であたしを見つけてくれて嬉しかった。抱きしめてくれて嬉しかった。思いが溢れて、告白の前についあんなこと要求しちゃって……。あたしもどうかしてたよ……。あんなこと普通の友達はしないもんね。優のこと困らせちゃったし謝らないといけないのはあたしの方……!」
理絵の目からはぽろぽろと涙が溢れている。あの時、屋上で泣いていた時と面影が重なり、思わず抱きしめたい衝動に駆られた。
「幻滅したでしょ? 優の前では良い人でいたかったし、明るくいようって思ってたけど……もう無理みたい」
「幻滅なんてしてない」
彼女からの告白に驚きを隠せないけれど、理絵のことを嫌いになる要素なんて1つもない。私をずっと想ってくれていた。それが分かっただけで十分だ。
「いいんだよ、あたし最低って自覚あるし。自分よがりな勝手な行動で優を1人にして……傷つけて……本当最低だよ」
「私は理絵を嫌いになったりなんかしない」
理絵の両手首を掴む。
「手離して。もうあたしは優と一緒にいる権利なんてない……」
「嫌だ」
だってこの手を離したら今度こそ、どこかに行ってしまうんでしょ。そんなの嫌だよ。
理絵は正直に告白してくれた。今度は私が言うんだ。しっかり伝えるんだ。
深呼吸をして、息を大きく吸い込み叫んだ。
「めちゃめちゃ寂しかったんだぞ……馬鹿野郎!」
声を張ると理絵は息をのんで目を見開いた。
「……これで理絵の分はチャラにしてあげる。次は私の話を聞いて欲しい」
彼女は固まったまま頷いた。
息を整える。言うぞ。言うぞ……。
「私だってずっと前から理絵のことが好きだった。きっかけは分からない。けど好きだって自覚したのは私が熱を出した日だったと思う」
「え……?」
「友達としての好き、じゃないよ」
「うそ……」
「何をするにしても理絵ばっかり意識してた。でも理絵が深瀬のこと好きだって知ってたから気持ちを抑えてた。理絵のスキンシップにいちいちドキドキして気持ちが爆発しそうになったことも何度もある。でも私はあんまり表情が顔に出ないから。それに救われてた部分はある」
「そんな……じゃあ深瀬のこと好きじゃなくなったってこと言っておけば変わってた……?」
「ううん、そういうもんでもない。私にとって1番怖かったのは理絵に嫌われることだったから。同性の私なんかに好きって言われたらきっと困惑するだろうし、避けちゃうと思った。気持ちがバレて避けられてるのが嫌だったからを抑えてた。理絵を失いたくなかったから」
「優……」
「あの時、屋上で理絵にキスしてって言われた時、すごく嬉しかったしドキドキした。私も、もっとしたいって思った。でも、ここでしたらもう気持ちを隠し切れない……気持ちが抑えられなくなって、理絵に本気でキスして……もうその後はきっと戻れないって思った。自分の好意がバレたくなかった。だからあんなことになっちゃって……。あの日を1からやり直せれば良いのにって何度も思ったよ。本当は謝りたかった。でも、怖かった。臆病者だった。3学期になって、急に理絵はそっけなくなって深瀬と一緒にいるようになって……まだ好きだったからつらかった。理絵には幸せでいて欲しかったから、これで良いんだって何度も自分に言い聞かせてた。でももうやめる」
「やめる……」
再び深呼吸する。
ぐっと彼女を掴む手に力を込めた。
言うんだ、言うんだ優。
「……たしは……私は!! ……誰よりも理絵のことが好き! 誰が否定したって理絵のことが好き! 誰が嫌いになるかバカ! 今だって好きだよ! だからもう……離れようとすんなよ!」
「ぅっ……優……」
理絵は泣きそうな顔で私の名前を小さく呼んだ。
言えた……言えた……。今まで自ら封じていた自分の気持ちをついに解き放ったんだ。
理絵を掴んでいた手の力が一気に抜けた。喉がカラカラだ。
両手が自由になった理絵は私を抱きしめた。久しぶりに感じる理絵の温かさと香りに包まれ、涙が溢れる。
「だから……だからっ……うぅ……」
もうだめだ。涙が溢れて全然うまく話せないや。
「……ゆう」
耳元で聞こえるその声は優しかった。
最後まで言おう。しっかり伝えよう。優。頑張れ。頑張れ。
「うっ……理絵が……まだ私のことを……っ好きでいてくれてるならっ……」
「好き、好きだよ優!」
「……付き合えよばか」
猛烈に恥ずかしくて、デフォルトの「好きです、付き合ってください」とは言えなかった。
でもこれが
「付き合いたい、一緒にいたい!」
抱きしめる手に力がこもった。好きな相手に好きと言われて、どうしようもない幸福感が私を満たした。愛おしい。夢のようだ。玉砕して終わると思ってたのに。
理絵を抱きしめ返す。身体の隙間を埋めるかのように背中に回した腕に力をこめた。それに応じるかのように強く抱きしめ返された。
ブレザー越しに感じる彼女の心臓の音は大きく、速く脈打っているのが分かる。きっと私の音も彼女に伝わっていると思う。
「うぅ……」
ずっとこうしてたい。
ずっと抱きしめてもらいたかった。
「優、好き。大好き」
「私も……。ずっと好きって言いたかった」
「あの時の約束、覚えてる?」
「約束……?」
「クールなのに照れ屋なところ、面白いところ、人の良いとこ見つけるのが得意なところ、素直なところ、実は優しいところ、たまに寒いギャグ言うところ、ちょっと鈍感なところ、分け隔てなく人と接しられるところ、横顔、ゴーイングマイウェイなところが好き。あと、こんなあたしを許してくれるところ……11個になっちゃった」
理絵は目を細めて笑った。
「りえ……」
こんなの、ずるいよ。
気持ちが抑えきれなくなって抱きしめていた片手を離して、理絵の頬に片手を添えると、彼女の形の良い唇に自らの唇を重ねた。
「んっ……」
少し勢いをつけすぎてしまった。
喉元から出る理絵の小さな喘ぎ声に脳が痺れそうになる。
少ししょっぱい味がする。私たち2人とも泣いてるからかな。
「あの時できなかった分のキス、今したから」
我に返って顔を離し、理絵から距離を取って、クルっと彼女に背を向ける。
恥ずかしすぎる。耳が熱い。まさか自分がこんなに積極的になってしまうなんて。きっと私の顔は今真っ赤になっているに違いない。
「そんなんじゃ足りないよ、優」
理絵に背後から抱きしめられた。頬に片手が添えられて首を斜め後ろに向かせるように誘導される。次の瞬間には唇を奪われていた。優しく優しいキスだった。不意打ちすぎて身体が硬直するが、彼女の唇の柔らかさで全身の緊張がゆっくり解けてくるのが分かった。
これって夢じゃないんだね。
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