第15話 冒険の書の作成

 翌日のこと。

 今日も理絵は深瀬とお弁当を食べるらしく、席を立ってどこかに行ってしまった。

 私は複雑な心境だった。



 昨日の光景が頭にフラッシュバックする。

 深瀬には彼氏がいるかもしれない。しかもそれは店長。初めて目の当たりにした男性同士の恋人繋ぎ。しかもそれが両者知人。ショッキングなものじゃなかったと言ったら嘘になる。

 ……だが、まだ付き合っているという確信は持てない。



「何言ってんのさ、あれはただのお遊びだよ。女子もよくふざけてそういうことするでしょ?」



 なんて言われたら、そうかと思ってしまいそうだし……。

 でも相手は店長だぞ? そんな友達同士のノリで恋人繋ぎなんてできるものじゃないと思う。

 理絵ほどじゃないけど、深瀬とはまあまあ話せる関係になったんだしこの際、思い切って聞いてみる? 

 ……でも、これはデリケートな問題だ、直接聞くのも甚だしいだろう。



 しかしながら、深瀬との今までのやりとりと照らし合わせてみると辻褄が合う。

 いつも業務が終わってからも深瀬がお店に残っていたのは、きっと店長が仕事が終わるのを待っていたんじゃないか。やることがあるからと言って残っていたけれど、あんな時間にお店に残って何をやるんだというんだ。

 変わっている人を好きになると言っていたが、それは同性を好きになったからなのではないか……。仲睦まじい様子でラーメンを作る2人の姿が目に浮かぶ。

 考えるに付き合っている可能性は、非常に高いように思う。



 だとしたら、深瀬はどういうつもりで毎日のように、理絵と過ごしているのだろうか。あんなに一緒にいるんだし、もう理絵からの好意には恐らく気が付いているよね?

 気持ちを分かっていながら、弄んでいるとしたらさすがに許せない。深瀬は男も女もいけるタイプで、実は理絵と遊んでるだけだったりして……。

 でも……深瀬はそういうことをする人じゃない気もしている……。



 理絵に思いを伝えようと決心したのに、あの光景を目撃してしまった今、それどころではなくなってしまった。

 色んな思考が絡み合って頭がパンクしそうだ。



「優、顔怖い」


「翼のすばやさがガクッとさがった」


「ポ〇モンかよ!」


「……ちょっと色々切羽詰まってて」


「これでも食っとけ」



 菓子パンをちぎって渡される。

 告白をさせない、という愚かな手を使っているのに、相変わらず私が1人になると翼は一緒にいてくれていた。



「あのさ、翼の周りには同性愛者っていた?」


「いねーな」


「もしいたらどうする?」


「別にどうもしない。ただビックリすると思う」


「そうだよね」


「何、周りにいんの? そういう人」


「いや……」


「え、誰?」


「別にいないって」



 とか言う私も理絵に好意を寄せてる同性愛者なわけだけれど……。

 私が理絵のこと好きって言ったら翼はビックリするだけで済むのかな。そうはならない気がする……。

 彼氏持ちの同性愛者に恋をしてしまった理絵のことを考える。きっと知ったらすごくショックを受けるだろうし、つらいと思う。



 理絵が傷ついてしまうのを見たくない。

 好意という名の風船が大きく膨れ上がった状態で針を刺すのか、満杯になる前の膨らみかけている風船に針を刺すのか。爆発は小さい方が良いに決まっている。深瀬にもプライバシーはあるがろうが、このまま黙っていることが正解だとは思えない。



 悩みに悩んだ挙句、ありのままを理絵に伝えることにした。



――――――――――――――



 昼休みは話せなかったので、放課後になってから理絵の席の方に出向いた。



「理絵」


「んー?」



 理絵はリュックに教科書を詰めている。



「……あのさ、理絵」


「……どうした?」



 理絵は手を止めてこちらを見た。



「すごく言いにくいんだけど………。深瀬が男の人と手繋いで歩いてるの見た。恋人繋ぎしてた……」


「……」



 無言のまま茫然とする理絵。ついに言ってしまった。きっとショックを受けていると思う。

 こんな顔を見たくはなかったけれど、伝えておきたかったんだ……。分かって欲しい。



「あの……なんかごめん」


「そっかー、教えてくれてありがとう」



 理絵は口角だけを上げてそう言った。どこか遠くを見ているような、そういった表情だった。

 セリフが棒読みなのは、きっとショックを隠しているからだ。



「本当は言おうか迷ったんだけど……」


「優はそれ見てどう思った?」


「びっくりした……。理絵の気持ち知ってたから……なんか悲しくなった」


「悲しい、か……。嬉しいって思わなかった?」


「は? なんで? 嬉しいわけないじゃん!」


「はは、だよね。ごめん、ごめん。あたしのこと考えてくれてありがとね」


「うん……。じゃあ」



 空気に耐えられなくなり、理絵を置いて教室を去った。

 ここ最近深瀬のところにばかり行ってしまっていたので寂しくはあったけれど、嬉しいだなんて誰が思うものか。そんなことを平然と聞いてくる理絵に不信感が募る。こんな質問をされる時点で私は理絵からは信用されていないんだと思う。ただただ悲しい。



 その翌日から、理絵は深瀬と一緒にいることはなくなった。

 私との時間が増えたけれど、理絵はどこか上の空で、私たちの関係は冷え切っていた。

 翼と一緒にいた方が何倍も楽だ。ぎこちない距離間でやりづらい。

 こんな状況の中ではあるが、最終的には私の気持ちも伝えたいと思ってはいた。でもタイミングがなかなか掴めないでいる。ただでさえ、深瀬には男の恋人がいるということにショックを受けているのに、ずっと行動を共にしてきた「友達」から告白される彼女の心境を考えると尚更だ。



 机に突っ伏している深瀬を見る。

 ……正直申し訳ないことをしたように思う。

 私が理絵に、あのことを伝えてしまったから。私のせいで、深瀬は理絵を失ってしまった。結構な頻度で一緒にいたのにパッタリとそれがなくなった。クラスメイトも突然の変化に何かあったのか心配している。

 きっと本人も気にしていると思う。今思えば少し軽率だったかもしれない。私は間違ったことをしてしまったんだろうか。



 週末に私は深瀬とシフトが被る。

 どういう顔で一緒に仕事をすれば良いんだ。憂鬱だ。



 ――――――――――――――



 バイトの日。

 業務の終わり、私と深瀬はバックヤードにいた。

 あの光景を目撃してから初めての勤務。いつも通りに振る舞うようにはしたけれど、結局その日は深瀬を始め、店長ともろくに目を合わせることができなかった。



 すごくバイトの時間が長く感じられた。……今日は長居せずに帰ろうと思う。



「七瀬さん、お疲れ様」



 ふいに名前を呼ばれて、アセロラジュースを差し出された。



「お疲れ様。……なに、良いの?」


「うん」


「あぁ、ありがとう」



 受け取ろうとして手を伸ばすけれど、彼はアセロラジュースを離さなかった。



「え……あの……」


「ねぇ、七瀬さん。先週の日曜日、どこにいた?」



 何食わぬ顔で聞いてくる深瀬。

 思わずドキっと心臓が脈打つ。なんでいきなりこんな質問……もしかしてバレてた……?



「……カフェだけど」


「その後は?」


「え……なんで?」



 私の焦る表情と裏腹に、深瀬の表情は優し気でそれがまた怖い。



「見たでしょ? 僕らのこと」


「……見た……かも……」



 やはりバレていた。どうしようもない感情が私を支配する。あぁ、帰りたい。



「やっぱりそうだよね。これ、七瀬さんのでしょ」



 深瀬はアセロラジュースを一旦テーブルに置いて、ポケットから取り出したもの。それはカフェのメンバーズカードで、名前の部分には「ナナセ ユウ」とカタカナで記載されている。

 カフェでの会計時に出して、すぐさま財布をしまったこともあって、後になって返却されたカードをそのまま無造作にパーカーのポケットに突っ込んだのである。

 きっと私が走り出した時に落としてしまったのだろう。



「私のだ……」


「路地裏に落ちてた」



 深瀬からメンバーズカードを受け取った。



「……あの、ごめん。たまたま深瀬君たちを見て声かけようと思って追いかけただけで……」


「いいんだよ、別に。そういうリスクがあることは分かった上でやってることだから」



 この発言で、深瀬と店長が付き合っているということがほぼ確定した。当たりはつけていたものの、本人の口から聞くとやはり衝撃は大きい。



「……」


「引いた?」


「引いてない。ビックリしただけ」



 深瀬と店長の関係を知ったからといって、私は彼らを軽蔑したりはしない。ただ、驚いただけだ。

 それを見られた本人たちの気持ちを考えると少しいたたまれない気持ちにはなるけれど。



「そう、なら良かった。今日はいつもと違ってそっけなかったから嫌われたんじゃないかと心配したよ……」


「まさか、そんなわけない」



 私がそっけなくしてしまったのは理絵の件が絡んでいるからだ。「深瀬が同性愛者だから」、というものではない。



「店長と初めて会ったのは1年前くらいからなんだ。偶然食べに行ったラーメン屋で、隣に座ったのがシゲさんだった」


「シゲさん……」


「眩しいくらいに明るい人で、僕とは正反対で……。色んなラーメンを食べて、その感想をノートにびっしりまとめててさ。将来はみんなを笑顔にさせるラーメンを作れるようになりたいだって、初対面でしかも高校生の僕に熱弁しちゃうくらい真っ直ぐな人で……関わっていくうちに、この人の夢を支えたいって思うようになった」


「そうだったんだ」


「開業前から実はこの店に僕は関わっているんだよ。店長と一緒にこの味を作ってきたんだ」


「どおりで……」



 深瀬がなかなかシフトに入れないのに従業員として採用されていること、名簿の1番上に名前があること、経験を積んだベテランでなければ、入ることのない厨房でラーメンを作っていること、全て辻褄があう。

 そして店長の名前である斎藤重明さいとう しげあき――



「もしかして深瀬君の携帯のストラップってさ……」


「あぁ、これ? うん。店長の名前のイニシャル」



 深瀬はスマホを取り出し、ストラップを空中にかざして、ぶらぶらさせながら眺めた。

 揺れる水泳帽をかぶった2頭身フィギュアと「S」の文字。



「ずっとSwimmingのSかと思ってたけどそういうカラクリがあったとは……」


「聞かれたらSwimmingのSって言うようにしてるよ。……今はLGBTへの理解は進んできているけどまだまだ偏見は絶えないからね。僕たちは人目を避けて路地裏でしか手を繋げない。だから、こういう形でも、せめて普通の恋人みたいになりたくて」


「……」


「店長の携帯にも僕の名前、MasaruのMがついてるのは知ってた?」


「知らなかった」


「それはさすがに知らなかったか、はは」


「深瀬君は生まれた時から、ずっと男の人が好きだったの?」


「うん。僕は……ゲイ。男の人しか好きになったことはない」


「そっか……」



 これで深瀬が理絵に2股をかけていたという説はなくなった。

 きっと彼にとって理絵は良き友人だったんだ。でも私のせいで奪ってしまった。罪悪感に駆られる。

 素直に謝罪しよう。



「深瀬君、私謝らないといけないことがある」


「……なに?」


「このこと、理絵に言っちゃった。ごめん……」


「別に謝ることじゃないよ。付き合ってるのは事実だし」


「いや、私のせいで理絵は深瀬君を避けてるかもしれない。私が勝手に言っちゃったから。本当にごめん」


「成宮さんが僕のことを避けてるって? どうしてそう思うの?」


「だっていつも一緒にいたのに、急に理絵が来なくなったでしょ?」


「僕がゲイだって分かったから?」


「そうだと思っ……た」


「それは違うかな。だって彼女は僕がゲイだってもともと知ってるし。七瀬さんが知る前からね」


「え、どういうこと? 言ったの?」


「図書委員の仕事で一緒になった時に話したんだよ、例の本の総入れ替えの時に」


「……」



 前から知っていて、その上で深瀬と一緒にいたってこと?

 あまりの衝撃に身体が固まる。



「成宮さん本に興味を持ってくれたから、彼女に色んな本をおすすめしたんだ。内容についてあれこれ議論したり、色々話しているうちに僕と似てるなーって思って、成宮さんの価値観が。同性愛を題材にした本を紹介した時も前のめりになって話聞いてくれたのもあってさ、僕のことを話してもいいんじゃないかって思った。カミングアウトしたのは本当に気まぐれだった」


「理絵はそれでなんだって?」


「そうなんだ、で終わった。意外とアッサリしてたね。カミングアウト以降も僕と彼女の関係が変わることはなかった。彼女が理解のある人で良かったよ」


「そうだったんだ……」


「成宮さんは僕のことを避けてないよ。確かに最近、学校で話す機会は減ったかもしれないけど、実は今もやりとりしてるんだよ」



 深瀬が携帯のディスプレイを私に見せる。本の感想と続編を借りたいという意思を告げるメッセージが表示されている。送り主は理絵だった。



「彼女にとって僕はただの本好きの友人さ」


「まじか……」



 疑問がいくつか浮かび上がった。



 理絵が深瀬を恋愛的な意味で好きじゃないとしたら、それは「友達として」私よりも深瀬を優先したということになる。嫌われてしまっているであろう私からするとそれは納得のいく話だ。

 しかしながら、そうであったとして、私が深瀬の同性愛者疑惑の話を出した途端に、理絵は彼と一緒にいるのを辞めた。おかしくない? だって理絵は最初から深瀬がゲイだって知ってたんでしょ?



 時系列を整理する。

 理絵は図書委員で深瀬がゲイであることを知る。私が嫌われてしまうきっかけを作る屋上の一件。この間にあたるテスト期間中は少なくとも理絵は私のことを嫌ってなかったはずだ。だって一緒に勉強したし、テーブルの下で――。

 あの時、理絵は全く深瀬の話題を出さなかった。気になっている相手が同性愛者だと知ってショックを受けて、私に相談しても良かったんじゃないのか。それとも、理絵に好かれてるって思ってるのは私だけで、実はそこまで心開いてくれてなかっただけ……?

 理絵が何を考えているのか分からない……。



「お疲れ!」



 頭を抱えていると店長が入ってきた。



「お疲れ様です」


「七瀬さん……。バックヤードで色々話してるのが聞こえたよ。まぁだいたいはマサから聞いたと思うけど、お店やめたりしないよね?」



 店長や深瀬が同性愛者だからって、それが理由でお店をやめたりするはずないじゃないか。深瀬とも和解できたし、これからも続けていきたい。



「やめません! これからもお世話になります」


「良かった! マサ、悪いけどクロージング手伝ってくれ」


「全く……分かりましたよ。あ、七瀬さん。アセロラジュース、忘れないで持って帰ってね。僕からの友好の印だから」



 テーブルに置かれたアセロラジュースを指差した後、深瀬は厨房の方へ消えていった。

 友好の印のアセロラジュースを一気に飲み干して、私は店を後にした。



 確かめたいことがある。

 理絵について色々と拭えない疑問はあるのだが、理絵は私に隠し事をしていた。それが全てである。

 せめて何故そんなことになったのかをクリアにしたいし、今度こそ自分の思いを伝えたい。

 浮き彫りになったうやむやを無視して、形だけの親友を演じて何事もなかったかのように過ごす選択肢もある。でもそれはしないって決めたんだ。ここで逃げたら今までと一緒。後悔しないために……やると決めたらやる。



 私は私の思いをぶつける。

 もう逃げたりはしない。



 お店を振り返る。

 照明がキラキラと輝いていて、存在感を際立たせている。

 拳を固く握りしめた。

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