第13話 進路調査用紙はまだ白紙
冬休みが終わって、3学期が始まった。
机に置かれた「進路調査」の紙とにらめっこする。
3年生からは本格的に受験勉強に腰を入れなければならないが、将来のことなんて正直全然考えられていない。
既に2年生になる頃に文系、理系でクラス分けがされており、3年ではさらに志望校別に学力を分けたクラス替えが行われる。ちなみに今の私たちのクラスは文系クラスである。
並な高校。成績平凡。上でも下でもない、きっと無難な大学に私はこのまま行くんだと思う。
……理絵や翼はどうするんだろうか。なんて考えていると教室に理絵が入ってきた。
「優おはよう!」
「おはよう」
冬休み明け、意外にも理絵とは何事もなかったかのように普通に話すことができている。
あんなことがあった手前、もう仲良くできないんじゃないかと心配していたけれど、普通に話しかけてくれる。だが、単に理絵が私に気を使ってくれているだけだと思う。
その証拠に、今までのような手を繋いだり、ハグといったスキンシップは一切なくなった。心なしか、2学期の時よりもそっけなくなった気がする。顔を合わせて会話をしているのに、どこか心がそこにないような。一緒にいるのに遠く感じるのだ。
やはりあの一件で嫌われてしまったんだと思う。この空気感から冗談も言える感じではなくなってしまった。
「進路もう決めた?」
「うーん、まだ考え中。優は?」
「私もまだ迷ってる。無難なところになりそう」
3年次のクラス替えで、理絵と離れてしまう可能性がある。
もし、そうなっても私たちはずっと親友でいられるんだろうか。いられない気がする。だって、あの一件以来、明らかに「心」を失ってしまったようだから。一緒にいるのに心がまるでそこにない。本気で笑えない、喜べない満たされない関係になってしまったから。
今は形だけの「親友」をしているけれど、私と理絵を繋ぐ心の糸はクラス替えと同時に、もう間もなく切れていくんだろう。そんな気がする。
失われつつある繋がり。
私は嫌われている。でも理絵は大人だから、それを顔に出さずこうして私と一緒にいるんだ。
可能であれば今すぐにでもこの距離を元に戻したい。心を取り戻したい。
でも、そう思っているのは私だけのようだった。
「理絵、放課後空いてる? どっか遊びに――」
「ごめん優。深瀬と約束あるんだ」
「え、深瀬と?」
「うん。また誘って!」
「デート……?」
「……まあね」
「そっか……それは邪魔しちゃ悪いね」
冬休みが明けてからというもの、知らない間に理絵と深瀬の距離はだいぶ縮んでいたようでよく校内で話す姿を見るようになった。図書委員の仕事を通じてぐっと仲良くなったといったところだろうか。
まるで私との時間なんてどうでもいいといった感じで、理絵は深瀬のところに行ってしまう。こうして放課後に誘っても深瀬を優先されてしまう。休み時間や放課後、ふとした瞬間にいなくなったと思いきや、理絵は深瀬のところにいるのだ。
深瀬も満更でもなさそうに笑っている。深瀬のことは友達として好きだが、理絵と微妙な距離感にいる私としては、これは胸に穴が開くような思いになる。
そんな調子なので、クラスメイトからはあの2人が付き合っているのか、とまだかろうじて親友ポジションにいる私に尋ねてくる。
理絵からは今のところ特に付き合っているという報告は受けていないので、付き合っていないと思うと返しているが真相は定かではない。本当はもう付き合ってたりして……。つらいな。
そして今日も理絵は深瀬とお弁当を食べるらしく、2人でどっかに行ってしまった。男女が2人でお弁当食べる、とかもう……。
進路調査の紙を見る。
私は1人、立ちすくんでいる。
理絵と深瀬はもう私を置いて、1歩前に進んでいる。2人の後ろ姿を見ることしかできない私。虚しい。
取り残されたような切ない気分になって机に突っ伏した。クラスメイトが1人になるのを心配するような理絵が、私を平気で1人にしている状況の中、やっぱり恋には叶わないものがあるんだと思い知らされるし、理絵に避けられるような原因を作っているのも自分だろうと思うと、悲しくなる。
でも、よくよく考えたら、私はこの形を望んでいたじゃないか。理絵の幸せを願う私にとって、親友の恋が成熟しつつある今の状況は良い方向に行っていると言えよう……。
あの時、私は理絵からのキスの要求に応えることはできなかったけれど、深瀬がそのポジションになって彼女を癒してあげられれば――。あぁ、やっぱりあまり想像したくない……。ダメだ、自己嫌悪がすごい。
「優」
低めの声に名前を呼ばれる。
顔を上げると翼が私の机の前に立っていた。
「ちょっと購買に飯買いに行くから付き合え」
「はぁ? 1人で行きなよ」
「いいから来いって」
「単独行動できない人無理なんだけど」
「はいはい、わーったわーった」
翼に腕を引かれて仕方なく、ついていく形になる。
「なんなんだよもう、忙しいんだけど私」
「机に突っ伏すのに忙しいのかよ」
「……」
「ついでに一緒に飯食おうぜ。もう昼食った?」
なんだか誘い方が不自然だ。
「翼……もしかして私に気使ってくれてる?」
「誘いたい気分だっただけだよ」
翼はそっぽを向いて不愛想に答えた。
「なんか……ありがとう」
いつもなら憎まれ口を叩いているところだったけれど、翼の気遣いが素直に嬉しかった。
翼相手に素直になるなんて、私は思ったよりも結構弱っているのかもしれない。
「なぁ、成宮が好きな人って深瀬なの?」
「それは知らない」
「絶対深瀬だろ」
「さぁ」
あくまでとぼける。
私を信じて話してくれた理絵を裏切るわけにはいかないから。まだ私たちの間には絆があるって、そう信じたいから。
「はぁ……。最近ずっとあんな感じじゃんね。本当はさ、優を置いてどっか行くなよって言ってやりたいとこだけど、好きな人じゃしょうがねーわな」
「……」
そうだね、私は深瀬には敵わない。
理絵の最も近い位置にいる権利があるのは深瀬だ。私じゃない。
「ま、俺がいてやっから安心しろや」
「優しくすんなよ……」
「お、惚れた?」
翼はこちらを振り返って笑った。
「惚れない」
「そこは惚れたって言っておけよ」
教室に戻って翼と一緒に弁当を食べることにした。クラスメイトの視線を感じる。特に翼とよくつるんでる男子グループは時折ちらちらとこちらの様子を伺っていた。
私と翼が仲が良いのは、もうクラス公認みたいなものだけど、やはり男女2人が一緒に食べるとなると注意を引くようなものがあるようだ。
「なんか視線が気になるね。理絵たちはどこで食べてるんだろう」
「さぁな。視線なんて俺がバットでカッキーンよ」
購買で買った焼きそばパンをかじる翼は無邪気に笑った。なんだかんだ良い奴。心が温かくなって、私も卵焼きをかじる。美味しい。
優しくされる権利なんてないはずだけれど、翼がいてくれて私は救われている部分がある。
その時だった。突然、誰かが肩に手を置いてきた。振り返ると青山だった。
……なに、触んなよ。私の口の中の卵焼きの味は途端に無となる。
「優ちゃんさー、なんでメッセージ返してくれないの? さすがに5回も続くと俺へこむんだけど」
「忙しいの」
「返事返す時間もないのー? 嘘じゃーん寂しい」
「AIが自動で返事してくれるアカウントあるから教えてあげようか。そうしたら寂しさ無くなるよきっと」
「またまたぁ、そういうの良いから」
「……」
さっさとどっか行ってくれないかな。
「明日は俺と一緒に昼食べる??」
「いいね、またあの時みたいに3人で一緒に食うか?」
翼が会話に入って来た。
「……んー考えとく」
青山は翼を睨みつけるとバスケ部のチャラ男グループの中に戻っていった。
「青山にしつこくされてんの?」
翼は少しムスっとした顔で聞いてきた。
「メッセージが1日に何度も来る」
「ブロックしな」
「クラスメイトをブロックは違う気がする」
あまりにしつこいので、嫌がらせのつもりでお経をコピペして青山に送ってやったけど効果はなかった。
クラスメイトだからブロックもしにくいし、結局は無視を決め込むのが1番の策だと思っていたが、返事の催促をこうしてされるのはストレスだ。
「もうさ、男と付き合ったら解決すんじゃん」
「なんでよ」
「俺が彼氏だったら青山のことぶん殴ってやるよ。……こうして一緒にもいてやれるし」
「……」
翼がそう言ってくれるのはありがたいけれど、この流れはちょっと……。その先に見えるものに私は身構える。
だんだん翼と距離が縮んでいって、彼の好意が大きくなるのを感じていない訳じゃなかった。見え隠れしていたものが見え始めて焦る。
「なあ、優。俺と――」
「そういえば進路決めた?」
「……あぁ、まぁだいたいは」
「そっか」
これを今言わせてはいけない。それを言葉に出すことで私たちの関係は変わっていってしまう。
「こんなところで言うのもあれなんだけど、優。俺さ、優のこと――」
「待って翼」
「……」
「言わないで」
「……分かった」
「ごめん」
きっと今、それを言われていまえば、心に穴の開いた私は翼の好意に甘えてしまうだろう。
翼の言う通り、私が彼と付き合えば全てが解決する。一緒にいて居心地がとても良いし、気を使わないで唯一話すことのできる異性だ。こうやって1人でいる私を気遣ってくれるし、今までも何度も助けられてきた。喧嘩もすることがあるだろうが、きっと付き合っても相性は悪くない気はする。
でも、その一方で私は理絵に対する思いも捨てきれていない。まだ好きだ。恐らく嫌われてしまっているし、心の距離が修復する見込みはない。このままいけば理絵は深瀬と付き合うだろう。でも、この気持ち――未練を持ったまま翼と付き合うことが私は正しいと思わない。
もしかしたら、翼と付き合うことで理絵のことを忘れられるかもしれない。
けれど、今の私はそうするなと自分自身の強く心に訴えている。
翼の告白をもし断ったなら、私と翼はこのままの関係ではいられないだろう。今まで通りの「親しい友人」としてのポジションが終わってしまう。
だから、それを口にして欲しくなかった。
ごめん翼。私はわがままだ。
もう少し私に時間をください。
――――――――――――――
休日、なんとなく家にいても落ち着かない私は、近くにあるカフェに来ていた。優雅にティータイムも悪くない。ポイントカードも溜まっており、1杯分のコーヒーが無料で飲める。ポイントにも有効期限があるので、この際使ってしまおうと思った。
翼のこと、理絵のことを考える。悩むが一向に答えは出ない。どうすべきなんだろうか。
テーブル席で意味もなくコーヒーをかき混ぜていると、隣のテーブル席の椅子がガガガと引かれる音が聞こえた。何気なく目をやると、なんと真由美だった。
こちらには気が付いていないようで、席につくと本を取り出して読み始めた。
「……真由美?」
このまま私だけが相手を認知した状態で過ごすのはさすがに気まずい。勇気を出して声をかけた。
今の私は彼女に対する嫌悪感は持っていない。自分と同じように同性を好きになって勇気を出して告白してくれた彼女ともう一度話してみたいと思った。
都合の良い話なのは分かっている。私は1度、彼女の告白を断ったのだから。それこそ嫌われているかもしれない。
でも、もう一度彼女と話せたら――。
私は謝りたい。過去の自分の行いは取り消すことはできないけれど人間は変わる。真由美だって変わる。私は変わった。
今この瞬間、真由美自身の存在を抱きしめて受け入れることが過去の私の懺悔になるならば、そうしたい。
「あ、優ちゃん……」
真由美は驚いた顔で目をぱちくりさせながら私を見た。
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