第12話 価値観の抱擁

 冬休みになった。

 あれ以来、理絵と連絡はとっていない。学校もないので会うこともない。

 携帯を確認しても最後の連絡は終業式のあの日、理絵が待ち合わせの図書室に来ないことに対して送った、



『今どこにいる?』



 だった。

 結局、理絵は屋上にいて色々あって、色々あって今に至る。

 自分の唇に手を当てて、あの時触れ合った感覚を思い出す度に心が締め付けられる。好きな人とのキスなんて嬉しいことのはずなのに、今の私にとっては苦しいものになっている。

 理絵のことを想わない日はないけれど、あんなことがあった手前、自分からメッセージを送る気にもなれなかった。時間の経過とともに深まる溝。きっと嫌われてしまったと思う。



 一方で――。



『今日暇?』

『今何してるの?』

『ヤッホー』



 青山からのメッセージが絶えない。カラオケに一緒に行った日からずっとこんな感じだ。携帯が鳴る度に、理絵から来たんじゃないかと期待してディスプレイを見るが、「青山」からだと分かるとすごいテンションが下がる。

 最近ちょっとしつこいから無視しがちだ。



 特に冬休みといってもやることがなかった私は、アルバイトのシフトをたくさん入れた。

 何かしていないと、理絵のことを考えて憂鬱になってしまうから。心の溝を埋めるかのごとくシフトを入れ、気分を紛らわそうとした。



「おはようございます」



 今日も今日とてバイト。昼から夜までロングで働くことになっているのでいつもより長いシフトだ。

 店内に入ると店長がラーメンを茹でていた。



「おぉ、おはよー。お疲れ。あ、七瀬さん、今日は夕方から深瀬君と同じシフトだよ、クラスメイトの連携プレー楽しみにしてるから」



 店長は歯を見せて笑った。

 深瀬と一緒にこの日に働くことは前もって把握していた。なんだかんだ楽しみにしていた。

 深瀬は水泳部の練習が昼にあって、その後にバイトに来るそうなので、後ほど一緒に働くことになる。昼は他のバイトの人と一緒に働く予定だ。

 エプロンを腰の位置でキュッと結び、長い1日の始まりに気合を入れる。



 一番混む時間帯は、秒で時が過ぎていく。忙しいと時間の経過が早く感じられるのはどうしてだろう。

 繁忙な時間帯が終わり、客の食べ終わった食器を下げていると新しくまた客がお店に入ってきた。



「いらっしゃいま……」



 入ってきたのは坊主の制服を着た男子高生2人組で、そのうちの1人は翼だった。



「はぁ!?」



 思わず大きな声が出た。



「ウケるー。本当に働いてたんだな」



 翼は私を見ると吹き出した。



「なんで来るの?」


「え、ラーメン食いたくなったから」


「ここに来てもラーメンは食べられないよ」


「おい嘘つくな」



 働いているところを友達に見られるの嫌すぎる。

 いらっしゃいませ、とか、お待たせいたしましたって他のお客さんに言ってるの見られるの恥ずかしいし。

 私もキャラじゃないなって思いながらやってることだから。あぁ、穴があったら入りたい。深瀬がこの場にいてくれたらまだ気持ちは楽だったのに……。



「3組の徳永きよし。同じ野球部。こっちは優。クラスメイト」



 翼は、私に徳永君を紹介し、徳永君に私を紹介した。



「よろしく」



 徳永君は軽く手をあげて挨拶してきた。私は同じようによろしくと返した。

 なんかどこかで見たことがあるような顔だ。何かやってた人だっけ。……体育祭実行委員? 同じ学年だから、どこかしらですれ違ったことはあるんだろうけど……。



「今日部活?」



 2人をとりあえずテーブル席に案内した後に尋ねた。



「そー。これからな」


「わざわざ着替えるの面倒じゃない? どうせなら練習着そのまま着て行けば良いのに」


「ばーか、練習着じゃこういう店入れないだろ?」


「ちょっと恥ずかしい思いするだけで、物理的には入れるじゃん」


「絡みめんどくせーな! もう腹減ってんだから早くラーメン持ってきてくれよ~」


「注文する前に催促するのはどうかと思う」


「俺とんこつ濃いめ硬め。清は?」


「俺も同じやつで」


「はーい。かしこーまりましたーまごがけごはん大盛」


「は?」



 翼は訝しげな表情をしているが徳永君は笑ってくれたから良し。同級生なんだから接客は適当で良いだろう。



「おい、卵かけごはんは頼んでねーからな!?」


「へいへい」



 オーダーを取り厨房にいる店長の元でオーダーを読み上げると、「了解!」と元気な声で良い、早速ラーメンを作り始めた。



「なに、あの男子生徒たち知り合い?」


「はい、片方と。同じクラスの人なんです」


「はは、よく来てくれるお客さんだけど同じクラスだったんだ。ここに深瀬君がいたらうちの店内にクラスメイトが3人だったね!」



 店長はおどけて笑った。

 私のクラスメイトがお店に集まるのが愉快なようだ。



「嬉しそうですね」


「ほら、かわいい従業員のクラスメイトだと思うと楽しいじゃん。家族の友達はみんな家族、みたいな感じでさ」


「楽しい……確かにそうですね」



 最初翼たちが来て、うわぁって思ったけど何だかんだテンション上がってたな、私。



「でもなんか変な感じです、クラスメイトがお客さんとして来るのって」


「地元で働いてたらよくあることだよ。俺のラーメン食わせてやるんだ! って燃えちゃうよね」


「店長らしいですね」



 店長の人柄の良さ、結構好きだな。



「はい、とんこつ2つ。……卵かけごはんはなくて良いよね?」


「なくて良いです」



 店長、私たちの会話聞いてたのか。

 翼が大声で頼んでないからなって言ってたからかだ。恥ずかしい。

 私はとんこつラーメンを坊主頭たちの席に置いた。



「おまたー」


「おーきた。いただきまーす」



 私がテーブルにラーメンを置くなり、翼は即座に麺を啜った。



「……これ優が作ったの? うまいよ」



 無邪気な笑顔に照らされる。



「作ったのは私じゃないよ」



 そう言いながら背を向ける。美味しいって言われると嬉しい。口元が緩んでいる。心がほかほかと温かくなるのを感じた。



「じゃあ次は優が作ってよ」


「貴様に次などない。さらばじゃ」


「誰だよ!」



 翼とはよくメッセージでやり取りしてるけど、直接顔が見えて良かったと思った。友達って良いね。

 そして翼たちが帰った後、しばらくしてから深瀬が店に入ってきた。

 夜のシフトは、深瀬と店長がラーメンを作り、私が運ぶという安定のポジションで終わった。



 1日の勤務がようやく終わり、バックヤードの中。私は深瀬にコンビニで買ったプロテインを渡した。

 この前、オレンジジュースをくれたから今日は私が奢る番だと準備していたものだ。幾度も繰り返されているであろう深瀬の3時間に1度の時間を埋めるために……。



「まさか女の子にプロテイン買ってもらえるなんて思ってなかったよ」


「この前のオレンジジュースのお礼。チョコ味しかなかったけど気に入ってくれると嬉しい」


「チョコ好きだよ、ありがとう」



 深瀬は早速、私が渡したプロテインをごくごくと飲み始めた。良い飲みっぷりだ。



「ていうか聞いてよ、今日店に春日井が来た」


「へぇ、そうなんだ。……ラーメン食べに来たっていうより七瀬さんに会いにきたって感じなのかな」


「いや、普通にラーメン食べに来たんだよ。深瀬君もいれば良かったのに」


「それはそれで面白かったかもね。僕は蚊帳の外になっちゃいそうだけど……。七瀬さんってさ、春日井君と付き合ってないの?」


「それ何人かに聞かれたけど、付き合ってないよ」


「ふーん」



 深瀬は含みのある返事をする。

 何か面白いものを見るかのような表情だ。



「いや本当だからね。深瀬君こそ彼女いないの?」


「いないよ」



 いないとは思っていたけれど本当にいないみたいだ。ここで、いるって言われたらどうしようかと思った。一瞬理絵の顔が頭に過った。針で刺されたような鋭い痛みが心に走る。

 話の流れで深瀬と恋愛トークができそうだけれど、理絵のことを思い出すと穏やかな心情ではいられない。



「深瀬君はどんな人がタイプ?」


「うーん。ベタだけど、好きになった人がタイプ、かな」



 プロテインをテーブルに置くと、深瀬はスマホのストラップをじゃらじゃら揺らしながら答えた。



「そっかー。でもさ、ある程度はあるじゃん。例えば顔がかわいい、とか」


「確かにそうだね、理想は描くことはできるかもしれない。でも実際に好きになった人は全然違ってたりするから。こういう人嫌だなって思ってても、好きになった人はモロそういう人だったりして。気が付いた時には、嫌だなって思ってた部分も含めて好きになってる。不思議だよね」


「なんかそういう、ことわざあったよね」


痘痕も靨あばた  えくぼ、かな」


「さすが文学男子」


「僕好きになる人が変わってるから結構周りに反対されたりするんだよね」


「へーそうなんだ。例えばどんな?」


「内緒」


「そこは教えてくれないのかー」


「まぁ、変わってるとはいっても、付き合って後悔したことは1回もないけどね。自分の好きを信じて良かったって思う」



 意外にも私にオープンに話してくれる深瀬。



「深瀬君ってさ、意外と情熱的だよね」


「そうかな」


「今好きな人はいるの?」


「あはは、いるかもね」



 かもね、と濁されたが、実際好きな人はいるんだと思う。変わってる人って言ってたから相手は理絵ではないのかな……。



「そっかー。……。私も自分の好き、を信じられたら良いのにな」



 深瀬は変わっている人を好きになるって言うけれど、私もある意味そうだ。同性を好きになるなんて「変わっている」から。

 でも私の好き、は叶わないし、叶えちゃいけない。深瀬みたいに自分の好きを信じようってポジティブに考えられたら良いのにな、と思う。越えられない性別の壁なんて壊してしまえれば良いのに……。



「七瀬さんは好きな人がいるんだね」



 深瀬はおだやかな顔をしてそう言った。



「え、いや、そういうわけじゃないけど……」


「自分の好き、が信じられない?」


「……信じられないというか、認めちゃいけないっていうか」



 深瀬に誘導されてつい答えてしまった。



「恋愛経験豊富そうな七瀬さんに僕が言えたことじゃないけど、恋愛にデフォルトはないと思う。考えないといけない事も多いかもしれないけど、他人の意見が全てじゃないよ。結局は決めるのは自分なんだし」


「うん」


「僕が本が好きなのは、色んな価値観とか考え方に触れられるからなんだ。ある人にとっては嬉しいことでも、ある人にとってはそうじゃなかったりするでしょ。それぞれにオリジナリティがあって、世界観がある。本を通じてそこに触れていくうちに、心が寛容になって、自分自身の考え方とか価値観も尊重してそのまま抱きしめられるような、そういう穏やかな気持ちになれるんだ……」



 まるで本の一説に出て来るような名言をこれほどまで簡単に言えるのがすごい。



「私も読もうかな、本」


「ふふ、競技水泳みたいにデフォルトがあって、誰が1位なのか決めるのも面白いけどね。それぞれが好きなように泳ぐだけの水泳があっても良いと思ってる。今度おすすめの本、貸すよ」


「ありがとう」



 私が思っているより、深瀬はずっと大人なのかもしれない。

 色んな考え方や価値観に触れて受け入れていくことで、自分を解放するって考え方は思いつかなかった。深瀬なら、私が同性を好きになってしまったということも容易に受け入れてくれるのかな……。



 でも、本を読むことで私の闇は晴れるのかな? それはいささか疑問だ。

 だって、私は理絵をあの日拒絶してしまったんだ。もう手遅れだと思う……。今更だ。

 話もキリの良いところまでいったことだし、もう帰ろうかな。荷物をまとめて立ち上がった。



「帰らないの?」


「あぁ、今日も少しお店に残るよ。プロテイン、ご馳走さま」


「いえいえ、じゃあお疲れ様」


「お疲れ様」



 1人、お店の外に出た。夜風に打たれる。



 私は自分で自分を否定していた。今もしているかもしれない。

 同性を好きになる、そんな恋愛観もあっても良いじゃんって思えたらどれだけ良かったことだろう。実際に同性を好きになりながらも、同性愛を否定している自分がいる。私は自分と戦っている。

 でも今日深瀬と話して私の中の何かが動いた。できるなら、同性を好きになってしまった自分を受け入れてしまいたい。きっとそうしたら楽になれる。叶えちゃいけない恋だなんてレッテルを貼らずに済む方法を探したいと今は思う。



 ふと真由美の顔を思い出す。あの時、私が彼女に向けた眼差しは冷徹で、虫を見るかのような目だったと思う。でも今は違う。同じ境遇になって初めて彼女の気持ちが理解できた。どんな思いで、私に告白したのか考えるだけで苦しくなる。

 付き合うことはできないけれど、真由美の思い、価値観をまず抱きしめてあげたいってきっと今は思えるだろう。



 もう1度、終業式の日に戻れるなら、私は――。

 携帯を確認すると、青山からメッセージが何件か来ているだけだった。

 来ているはずもないメッセージをずっと期待してしまっていて胸が痛い。

 送信先を理絵にして「あの時はごめん」と打って手が止まる。……やっぱり怖い。

 返事が来なかったら? 怒っていたら? 愛想をつかされていたら?



 やっぱ無理だ……。

 携帯をしまい、お店の光に背を向けて私は暗闇の道を歩いた。

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