第11話 上書き保存
私の腕の中で泣いている理絵を抱きしめる。何があったのか分からないけれど、このまま落ち着くまでこうしていることにした。
無言で背中を何度か優しくさすった。理絵は私の首元に頭を埋めてきた。
「ごめん優」
さっきから謝ってばっかりだ。
そのまましばらく無言で背中をとんとん叩いていると落ち着いたのか、体を私から少し離してハンカチを出して涙を拭く理絵。白目が少し赤くなっている。
「何があったの」
「なんでもないの」
「なんでもない訳ないじゃん、さすがにこれは話してくれないと悲しいよ」
理絵は今まで誰に告白された、とかそういったことを私に話さなかった。人の悪口を言わなかった。でも今この状況で何も話してくれないのは悲しいにも程がある。いつも人の心配ばっかりするくせに、こういう時だけだんまりなんてあんまりだ。親友なんだから少しは頼ってくれても良いじゃんか。
「まず謝らせて。待たせちゃったよね」
「そんなのいいよ。それより、何があったのか教えて」
「……告白された」
理絵は小さな声で言った。
「なんで泣いてるの?」
見るからに理絵の涙は決して嬉し涙ではないというのは分かる。身体の震えがそれを物語っていた。告白を断ったところに何かヒドイことでも言われたんだきっと。
理絵は自身を落ち着かせるかのように深呼吸を数回繰り返した後、口を開いた。
「キスされたから」
予想だにしない答えに固まる。
「え……どういうこと。無理やりされたの?」
「うん、付き合うつもりはなかったから、断ったんだけど。……キレられてちゃって」
告白断られたからって逆上してキス? こういうことする人って本当にいるんだ。ありえない。私は現場を見てないから詳細は分からないけれど、親友泣かしてくれるなよと思う。
「……まじかよ。とっ捕まえよう」
「いいって、大丈夫だから……。それより、ぎゅってしててよ」
校舎に戻ろうとするが理絵に止められた。
言われるがまま抱きしめる。こんなんで彼女の傷が癒えるとは思えないけれど、今はこうしていることしかできない。
「信用してた人だったから……なんか怖くなっちゃって……」
腕の中にいる理絵は蚊の鳴くような声でそう言った。
「あの人、私服だったけど誰?」
「図書委員のOBの先輩」
そういうことか。
図書委員で仲良くなった延長線上ってわけか。
「そっか。年上の男の人に無理やりは怖かったね」
「……すごく優しい先輩だったのになぁ」
抱きしめていると顔が見えないので一旦、腕を解き放って理絵の顔を見た。情けなさそうに笑っている。さっき拭いたはずの涙は再び彼女の頬を伝って流れていた。私は制服の袖で彼女の涙をぬぐった。
「また、涙出ちゃったね」
「どうしようかと思って……優が来てくれて良かった。ありがとう」
「……もう少し来るのが早ければ止められたのかな……ごめん」
「ううん、いいの。あたしのせいだし」
「理絵のせいじゃないよ」
「……ねぇ、もう1回ぎゅってして」
私より少し背が高い理絵だけど、甘えてくる彼女はなんだか子供のようで、小さく見えて可愛い。腕を背中に回して再び優しく抱きしめた。
いつもハグをしてくるのは理絵の方だけど今日は反対だ。
「優、あったかい」
「寒いし、一旦校舎に戻ろう?」
傷心中だろうから自販機で温かい飲み物でも奢ってあげよう。
理絵から体を離そうとすると、制服の肩回りの部分を両手でギュっと掴まれ、動きを封じられた。
「理絵?」
2つの茶色の瞳がまっすぐ私の眼を捉えている。少し高い位置から向けられる眼差し。まるで時が止まったかのような感覚になった。風が髪を揺らしている。
「優に上書きして欲しい」
「え……」
上書き……?
いつものように冗談を言う時の理絵の表情じゃなかった。何かを懇願するような、そんな表情だ。
「塗り替えて欲しい。じゃないと、あたし今日ずっと嫌な気分で過ごさないといけなくなる」
「塗り替えるって……?」
「分からない……?」
儚さをまとった甘え口調。
「……キ……ス……、して欲しいってこと?」
理絵はゆっくり頷いた。
突然のことに私は生唾を飲み込む。心臓がバクバクうるさい。こんな展開全く想像していなかった。……今ここでいきなりしてって言われても困る。そういう心の準備は全くできていない。落ち着かない。
理絵が要求しているのは恋愛的なものじゃない。そんなの分かっている。怖い思いをしたこともあって、人に優しくされたり、温かい体温を欲しているだけ。自分をとにかく安心させたい心理状況なんだ。
私たちはただの友達。ジュースの回し飲みだって何度もしたことがある。精神的に不安定になっている彼女の要求を断る理由はない。ただの皮膚と皮膚の接触じゃないか。何もやましい事じゃない。……とこの短い時間の中で自分に言い聞かせようとするが、やはり好きな人との直接のキス、というのは今の私に簡単にできることではない。
ほっぺくらいなら……。ゆっくり顔を近づけ、私は恥ずかしさから逃げるように目を瞑り、理絵の頬に軽く口づけた。今はこれがいっぱいいっぱいだ。
理絵の冷え切った頬の冷たさがダイレクトに唇に伝わってきた。
あぁ、してしまった。恥ずかしくなって身体を離そうとするけれど、一息つく間もなく制服を掴んだ手に力が入り、理絵の方に僅かに引き寄せられる。
先ほどよりも近い距離に心臓がさらに脈打つ。ヤバい、ヤバい。
「あたし、キスされたのそこじゃない」
理絵は私の唇を見ていた。やっぱり頬へのキスじゃだめだった。あぁ、もうダメだ、心臓がもたない。
……やるしかないのか。
先ほどよりも縮まった距離感からゆっくりと顔を近づけていった。
鼻と鼻が触れ合う距離になり、息が頬をかすめる。嗅ぎなれた理絵の良い匂いが一層濃くなり、頭がくらくらする感覚に陥る。
形の良い理絵の唇と凝視していると、彼女はゆっくりを目を閉じた。
体中が熱い。彼女の長いまつ毛が僅かに揺れている。
顔を僅かに傾け更に顔を近づけるが、超えてはいけない一線を越えてしまう気がしてなかなか唇に触れることができない。唇を合わせるだけなら一瞬で終わるのに躊躇してしまう。どうしよう。
「優……してよ……」
半目を開き、息の中に微かに声の混じったウィスパーボイスで理絵は囁く。瞳は少し潤んでいて色っぽかった。
肩回りを掴んだ両手に更に力が入り、引き寄せられ身体が固定される。だめだ、逃げられない。
意を決して触れるか触れないかくらいのキスを落とした。息をするのも忘れて。
軽く触れるだけの接触であったが、初めて感じる理絵のやわらかく温かい唇の感覚に脳内は痺れた。唇を離した後も呼吸を忘れて息を止めていたこともあって、少し呼吸が乱れた。私今どんな顔してんだろう。この顔を理絵に見られたくない。
もうやることは済んだんだ。これにて終了。顔を背けて校舎の方に向かおうとするけれど、制服を掴んでいる手が緩むことはなかった。
「もっと」
「今したでしょ」
「お願い」
1回のキスで回復できるHPの量があって、HP満タンにするためには複数回行わなければいけないやつっぽい。
でもこれをするためには私のHPがもうない。ダメだ。きっとこれ以上したら私はもう戻れない。きっと本能的に求めてしまう。今まで抑えていた気持ちを理性と共に手放してしまう。怖い。
そうなってしまったら、待っているのは絶望と不幸だ。あの夢の光景が脳内にフラッシュバックする。
理絵が友達として私に頼っているのは分かる。
図書委員の先輩に裏切られてさぞ怖かっただろう。でも、理絵に恋愛感情がバレてしまうことは私自身が彼女のことを裏切るのと同じ。その時にどんな顔をされてしまうのか知るのが怖い。さっきみたいに泣かれてしまうのが怖い。
そんなことになるなら今まで通り、友達でいさせて欲しい。だから……
「だめだよ理絵」
「なんで」
「離して」
「いやだ……」
理絵はそういいつつも、制服を掴む手の力を少し緩めたが完全には離してくれない。
「だってこんなのおかしいじゃん。私たち、女同士なんだよ!」
「……」
身体の解放を許してくれない理絵に、私は思わず声を張ってしまった。
理絵は驚いて両手を離して沈黙した。言ってからハっと我に返る。私は何てことを……
「ごめん」
顔を伏せた。理絵がどんな表情をしているか分からない。分かりたくない。
その場にいる気まずさに押しやられ、私は走って屋上から校舎へと続く階段に駆け込んだ。
最悪だ。私は親友を拒絶してしまった。親友の求めに応えることができなかった。
先輩に無理やりキスをされて傷ついている理絵を、最終的に突き放して置いてきてしまったのだ。いつも彼女は私を助けてくれたのに、私はそれができなかった。苦しい。でも足は止まらない。
本当は今すぐにでも引き返すべきかもしれない。でも、できない。再び彼女と顔を合わせるのが怖い。失格だ、失格だ……。
校門を飛び出し全速力で走り、通学路を駆け抜けた。
一心不乱に通学路を駆ける。私は泣きそうになりながら家のドアを開けた。
「はぁ、はぁ……」
乱れた息を整える。苦しい。……きっと理絵に嫌われた。もう嫌だ。1人になりたい。
私のことを知っている人がいる場所にいたくない。自分の部屋に直行しようとするが部屋のドアからひょこっと妹が顔を出した。
「お姉ちゃん、今日打ち上げするんじゃなかったの?」
1人になりたい時になんなんだよ、と思わず八つ当たりしてしまいそうになるが、妹は何故か目を真っ赤にさせていたのでその気持ちもどこかに飛んでいってしまった。
「なくなった。舞……泣いたの?」
「彼氏と喧嘩しちゃって」
普段ならざまあ見ろ、なんて思っているところだったかもしれないけれど今日はそう思わなかった。
「そっか。私も喧嘩したことあるから分かるよ、つらいよね」
私もさっき親友と喧嘩してしまった。本当は私も泣きたい。
でもお姉ちゃんだから……。我慢するんだ。
「うん……」
「何で喧嘩しちゃったの?」
「あのね――」
その日は1日、妹の相談相手になった。
相手に寄り添う心の余裕なんて本当はないけれど、私と同じ状況にある妹の話には共感できるものがあった。妹が話しながら再び泣き出したところで私も我慢ができずにもらい涙してしまった。
妹の心情が手に取るように分かる。思い通りにいかないもどかしさと、好きな人から嫌われてしまうのではないかといった苦しさの混じった感情。
「なんでお姉ちゃんも泣いてるの」
「……打ち上げがなくなったからだよ」
「なんで打ち上げなくなっちゃったの?」
「全部私のせいなんだ」
「またやればいいじゃん、打ち上げ」
「もう……無理なんだよぉおお」
私は泣きじゃくりながら妹にしがみついた。
妹は私を抱きしめてくれた。
「お姉ちゃんも誰かと喧嘩したの……?」
「……うん」
「そっか、私と同じだね」
偶然にも同じ日にこういうことになるなんて、やっぱり私たちは姉妹だな、と思う。
妹のおかげで多少は辛い気持ちは和らいだものの、最悪な気分なことには変わりない。寝床についても全く眠れなかった。
「……ねぇ、今日一緒に寝てもいい?」
部屋がノックされて、妹が顔を出した。
「いいよ、おいで」
横にずれて布団をめくる。
狭いの嫌いだけど、私もちょうど人肌が恋しかった。
「……明日、謝ろうと思う」
ベッドに入って来た妹はぽつんと呟いた。
「そっか」
「お姉ちゃんはどうするの」
「……」
私は寝たふりを決め込んだ。
「寝ちゃったか……」
恋人同士の喧嘩なんてよくあること。どっちかが謝れば大抵は解決する。
しかし、私の場合は取返しのつかないことをしてしまったと思う。謝って解決する問題でもない。もうどうすることもできやしない。
結局その日はよく寝付くことができなかった。
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