第10話 見えない悪戯

 期末テストが近づいている。

 教室では休み時間でも教科書を開いて勉強している生徒がちらほらと窺える。弁当を食べながら教科書を開いている人もいて、ちょっと焦る。



「本の移動の方はどう?」


「今日には終わると思う」


「お疲れー」


「ありがとー。文庫本ならまだしも、分厚い本ばっかりだから凄く重たいし身体ボロボロだよ。今めっちゃ筋肉痛」



 理絵は自分の腕を押さえて笑った。



「図書委員の終わりに理絵に腕相撲挑めば勝てるかな」


「優が腕立て伏せ100回やった後ならその挑戦受けてあげても良いよ」


「じゃあ遠慮しとくわ」


「……本移動手伝ってくれても良いんだよ?」


「遠慮しとく」


「もー遠慮禁止ー」



 中指で手首を軽く弾かれた。



「アウチッ」


「……こういうのは男子にやってもらいたいよねー。しかも、これ終わったらテスト勉強しなくちゃだしさぁ。優、癒して~」



 両耳の耳たぶを掴まれてムニムニされる。変な声が出そうになって、私は体を反らして理絵の手から逃れた。

 いつも唐突なんだよなぁ。人の耳たぶ触って何が面白いんだろう。



「こんな作業があるって前もって知ってても図書委員やってた?」


「やってた」


「そんな深瀬のこと好きなんだね」



 深瀬には適わないな……。



「深瀬っていうより……みんな仲良いから入って良かったって思って。図書委員やってたOBとかも差し入れ持って手伝いに来てくれたりするんだよね。昨日はみんなで帰りにご飯食べに行ったんだ」


「そうなんだ、部活みたいで楽しそうだね。深瀬とも話せてる?」


「うん、それなりには。色んな本教えてくれたりしてくれる」


「そっかー」



 順調に深瀬との仲を深めてそうだ。

 あぁ、応援しなくちゃいけないっていうのは分かっているのに……。意味もなくスマホの画面を覗きながら、軽くため息を吐いた。



「優って、香帆ちゃんと仲良い?」


「ん?」



 突然と発せられたクラスメイトの名前。名字と名前を照合するのに時間を要した。

 吉田香帆よしだ かほ――吉田さんは、学年1位の学力を持つ、眼鏡のおっとり系の同じクラスの女の子である。真面目で勤勉。先生に当てられて、答えられなかったところを見たことがない。でも、雰囲気は暗くなく、時折見せる控えめな笑顔が印象的だった。

 私は吉田さん呼びだけど理絵はこうやって名前呼びできるくらい仲良くしている。といっても、クラスのほとんどと分け隔てなく話すことができる彼女からすればクラスメイトほぼ全員と仲が良い……。対して、私は吉田さんとは、普通に話せるくらいの関係だ。そんなこと一緒にいる理絵が1番知ってると思うのだけれど。



「香帆ちゃんと吉田さんって同一人物だよね?」


「おっけー。今のでだいたい察した」


「うん。で、何でそんなこと聞いたの」



 理絵は顎でクイっとして示す。その先には1人でお弁当を食べている吉田さんの姿があった。

 吉田さんはオカッパ頭の釜田さんといつも行動しているけれど、今日は釜田さんが風邪で休みだったので1人だった。



「香帆ちゃん1人だし、一緒にお弁当食べるの誘っていい?」



 と理絵。なるほど、これが目的だったのね。

 以前、私が体調を崩して学校を休んだ時、理絵も誰かにこうやって誰かに誘ってもらったのかな。

 ……1人教室でお弁当食べるのは寂しいよね。



「もちろんいいよ」



 うん、と理絵はうなずくと早速吉田さんに話しかけに行った。

 よく気が付くよな、と思う。私は吉田さんが1人で食べていることに全然気が付かなかったから。釜田さんが風邪で休みなのは認識していたけれど、吉田さんのことまで考えていなかった。

 でも、理絵は周りをよく見ていて、こうして気づいて話しかけに行く。そういうところだよね。つくづく性格が良いなと思う。見習わなくちゃいけない。



 吉田さんは、理絵に連れられて、私たちの席まで来た。



「あの、ご一緒しても良い?」


「もちのろん太郎」



 吉田さんに親指をグっと立てる。



「ありがとう」


「春日井の椅子パクっちゃって良いかな?」


「良いよ」



 春日井の代わりに私が許可を出すと理絵は吉田さん用の椅子を取りに行った。



「え、良いのかな…」



 吉田さんは落ち着かない様子できょろきょろしている。



「いいよ、どーせ今外で遊んでるんだろうし」


「おまたせ、一緒食べよ!」



 理絵が持ってきた椅子に吉田さんは控えめに腰かけた。

 吉田さんの顔は最初は強張っていたけれど、気さくな理絵の雰囲気もあってか、食べながらだんだんと表情が緩んできた。



「吉田さんっていつもどうやって勉強してるの? 100点取りたいんだけど良い方法ある?」



 尋ねてみた。学年1位の子とお弁当を食べる機会なんて、そうないし。ぜひ私に100点取れる方法を伝授して欲しいと思う。



「優に100点は無理でしょ」



 と横から理絵。



「おだまり、小娘」


「同い年じゃん!」


「あはは。……100点は私も無理だけど……毎日授業が終わってから忘れないうちにその日に復習するようにはしてる、かな」



 吉田さんは控えめに笑った。



「これが意識の差ってやつか……」


「ねーねー香帆ちゃん、もし良かったらあたしたちと一緒に勉強しない? 数学とか教えて欲しい!」



 理絵は私の肩に手を乗せながら吉田さんに言った。あたしたち……?

 テスト前になると放課後に皆で勉強することはあるけど、なんで私と一緒に勉強する前提なんだろう。まぁいいんだけど……。



「自分は何も教えられないくせに図々しいと思う」


「はぁ? あたしだって……。…………ねぇ優、図星をつくのやめて?」


「あはは。塾が休みの日だったら大丈夫だよ」



 優しい優しい吉田さんは一緒に勉強してくれるそうだ。



「え、やったー! ドリンクバー奢るから!」



 と理絵はそう言って笑った。



「いいの? ありがとう。まさか誘われるなんて思ってなかったからちょっとビックリした」


「ふふふーん。じゃあスケジュール合わせようよ!」



 結局、テスト前の期間で3人でファミレスで勉強する運びとになった。理絵のコミュニケーション能力やばすぎだと思う。



 ファミレス勉強はいかに低コストで粘れるかが大事である。そのためにドリンクバーは必須である。

 座席は、私の右横には理絵、向かい合うようにして吉田さんが座る配置になった。



「えー吉田さんですね。志望動機を教えてください」


「え……?」


「優、そういうの香帆ちゃんにするのやめてもらって良い?」



 ぽかんとする吉田さんを見た理絵は面接官に扮する私を制してきた。

 まぁ仕方ない。



 今回はそれぞれが勉強を頑張り、私たちが分からないところは吉田さんに聞くといった方針をとった。

 私はまずは英語から勉強をすることした。ノートに英文を写していく。



「……」



 何やらふと右の太ももに違和感を感じる。見てみると理絵の指先がちょんと触れていた。なに。訳が分からず理絵の顔を見るが、視線はノート、右手でシャーペンを握って何やらカリカリと書いている。あなたの左手はどうして私の太ももに置かれているのでしょうか。気になるんですけど。

 吉田さんの目もあるし、このまま放っておくことにする。しかしテーブルの下、太ももに当たっている理絵の手が時折動くので勉強になかなか集中することができない。



 すると、理絵の細い手がスカート越しにモソッと内ももの方に入ってきた。反射的に体がピクっとなり無理やり脚を閉じて挟み込む。



「ちょっと……」


「ん、どうしたの?」



 睨みつけるけれど、理絵は何事もなかったかのように振る舞っている。吉田さんは不思議そうな顔をしてこちらを見ている。なんで太もも触って来るの? なんて吉田さんの前で言えない。



「何でもない……」



 再びノートに目を移すけれど、やはり理絵の左手が気になってしょうがない。私は右手に持っていたシャーペンをテーブルに置いて、太ももに置かれた理絵の手を掴んで追いやった。すると理絵は手の平を上にクルっと向けて、私の指を絡め取ってきた。おどろくほど滑らかに恋人つなぎが形成される。

 右手で字を書きたいのに、塞がってしまっているので何もできない。対して右手が自由の理絵は勉強してる風だ。

 勉強させろよ。……でも、この状態がなんか心地よくて、そのままでも良いと思ってしまっている自分もいて葛藤する。



 手はそのままで左手を使って教科書のページをめくって勉強してる風にする私。

 もちろん教科書の内容なんて入ってこない。右手に意識を向けすぎていたこともあって、じんわり汗ばんできた。



「お手洗いに行ってくるね」



 吉田さんは席を立って、トイレに向かう。トイレに入っていく後ろ姿を確認したところで、繋がれた手をほどいて理絵を睨んだ。



「痴漢しないでもらって良いですか」


「えー? なんのこと?」


「あなたは私の内ももに手を忍び込ませ、そして挙げ句の果てに私の手を淫らに絡め取っただろ」


「淫らに絡め取るってなに? 普通に手つないだでいいじゃんかー!」


「勉強してるのに私の右手を再起不能にした罪は重いよ」


「……嫌だった?」



 そんな不安気に聞かれたら……嫌だなんて言えないよ。



「勉強ができないのは困ったちゃんだった」


「じゃあどうしてそのままにしてたの? あたしと手繋ぐの、嫌じゃなかったんでしょ?」



 理絵はこちらに顔を近づけて囁いた。



「……勉強したくなかったから、このままでも良いかなと思った。そんだけだよ」


「ふふ、照れ屋さん。優がかわいいからいけないんだよ、ちょっかい出したくなっちゃうんだもん」


「……意味わかんない」



 私はやけになってノートに英単語を雑に書きなぐる。そういうこと言われると困る。いつもこうやってスキンシップしてくるし、本人は冗談のつもりなんだろうけど、自分ばかりがドキドキしてしまっている。こっちの身にもなって欲しい。



 吉田さんがトイレから帰ってきた。私は緩んでいた頬を引き締めて再び勉強モードになる。その後は特に理絵から何かしてくることはなかった。

 分からないところは吉田さんに教えてもらったりなどして勉強会は幕を閉じた。隣が気になって勉強にあまり集中できなかったのは秘密だ。



 帰り道。日も落ちてあたりは薄暗くなっていた。



「テスト終わったら打ち上げも兼ねて遊びたいね。終業式の日とかどう? あたしそこバイト入ってないから」


「ごめんなさい。あいにく、その日は予定があって……」



 吉田さんは行けないようだ。



「そっか、残念だー! じゃあまたの機会に遊ぼう。優は空いてる?」


「大丈夫だよ」



 結局、打ち上げは理絵と2人で行うことになった。



 ――――――――――――――



 テストはいつも通り無難に終わらせた私。

 テスト返却も終わり、終業式もさっき終わったところだ。いよいよ冬休みが始まる。そんな中で私は図書室にいた。



『ごめん優、ちょっとあたし用事あるから図書室で本でも読んで待ってて。そんな待たせないと思うから』



 終礼が終わった後、理絵はそんなことを言って教室を出て行ってしまったから、とりあえずここに来てみたものの……

 時計の針をじっと見つめる。15分ほど待ったが、来ない。携帯に連絡しても反応はなかった。おかしい。

 予定が長引いているのかもしれないが、マメな彼女のことだから連絡くらいは入れてくるはず。不安になってきた。



 教室に戻ってみると深瀬が同じグループの男子たちと一緒にいて何やら話していた。



「ねぇ、理絵知らない?」


「見てないよ」



 図書委員関係で何かあったのかと思って聞いてみたけれど、手掛かりは得られなかった。

 用事という言葉を使って妙に濁された感じがあったし、怪しい。もしかして……。



 直感で私は屋上に向かうことにした。

 足早に階段を上り、屋上のドアを開けると理絵はいた。私服の見知らぬ男も一緒にいる。

 私が入ってきたのを見て、男は瞬く間に理絵と距離をとった。

 ……理絵に何かしてた? 思わず息を飲む。



「考えといて」



 と言い残し、男は私の横をすり抜け、そそくさと校舎へ続くドアを開けて屋上からいなくなった。

 明らかに邪魔をしてしまった感。告白でもされていたのだろうか。出ていく後ろ姿を確認してから、理絵の元に駆け寄った。



「ごめん、なかなか来ないし電話にも出なかったから。もしかしてって思って屋上来てみたら偶然ここにいたっていうか……」


「優ごめん」



 理絵の表情は暗かった。今でも泣きそうなくらいに声は震えている。

 告白された人ってこんな暗い表情になるもの? 何かひどいことでも言われたのかな。



「どうした?」


「優……」



 とうとう堪えきれなくなったのか、理絵は私にしがみついて泣き始めた。

 理絵の身体を抱きしめる。震えていた。明るい理絵が普段見せない表情に戸惑いを覚える。

 一帯何があったというんだろう。

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