第9話 越えられない壁
私は胸の位置まであった髪の毛をバッサリ切ってパーマをかけた。
緩やかなウェーブが頭全体を包み、ショートながらフワッとした女子っぽさを残している。担当だった美容師がめちゃちゃ腕の良い人だったんだと思う。感謝したい。
ショートにしたのは特にこれと言って理由はなかった。私が何となくの動機でバイトに応募したのと同じ。バイト終わりに自分の長い髪の毛からラーメン独特の魚の出汁の匂いがするのが嫌だっただけだ。
妹には失恋を疑われたけど、決してそういう訳じゃない。
髪を切った翌日に、ショートになって初めてお風呂に入ったが、楽すぎてビックリした。シャンプーが普段の半分の量で良いのだ。髪の毛を乾かす時間も大幅に減った。でも朝のセットは少し大変。
結果的に髪を切って良かったと思ったけれど、1つ頑張らないといけないことがある。それはクラスメイトからの反応に耐えることだ。結構これが気恥ずかしくて苦手だったりする。理絵が見たらどう思うのかな。スカートを短くした時みたいに「戻して」とか言われたらどうしよう。少し緊張する。
学校に着くと、早速理絵と廊下ですれ違った。目があった気がしたけど私に気が付いていないようだった。……そんな変わったかな。自分から声かけづらいし今はこのままスルーでいいか。とりあえず教室に向かおう――
「優?」
その時手首を掴まれた。振り返ると理絵。
気が付かれたようだ。ちょっとドキッとする。
「人違いです」
「違わないよね? 声が優じゃん! 優だよね?」
「人違いです」
「もう、裏声使っても無駄だから!」
「……はい」
「ゆ〜う〜! 超かわいいんですけど! めっちゃスリスリしちゃう」
理絵は思いっきり抱きついてきた。ハグによって一気に距離が縮まったのを良いことに、頬ずりをしてくる。すべすべの頬の感触と、彼女の髪の毛から香る石鹸のような香りが鼻腔をくすぐり、変な気分になった。
「ちょっと離してって」
押し返して数センチ体を離すと、理絵は私の肩に両手を置いて、まじまじと顔を見てきた。茶色の大きな瞳はキラキラと輝いている。残る朝の眠気がスっと引いていくのが分かる。
至近距離で見つめられることに耐えきれず、目を横に逸らした。朝から美人すぎて無理。こういう無言の視線はなんか照れるからやめて欲しい。
「髪切っても優はかわいいね」
人をぞくっとさせるような囁き声で理絵は言うと、私の頭を撫でた。
「スカート短くするのには反対だったのに髪なら良いんだ」
「スカートはダメだよ、えっちだもん」
「それ、自分がえっちって言ってるもんだからね?」
やられっぱなしも嫌だったので、いたずらに理絵のスカートをひらっとめくった。
「ちょっと! もうっ。えっちなのは優の方じゃん!」
めくられたスカートを即座に押さえて、恥ずかしそうな表情をしながら、むーっと睨む理絵。
その表情がかわいくて、まためくりたくなっちゃったけど流石にそれは怒られそうだからやめておく。
教室に入ると髪変わったね、良いじゃん、などと知り合いにポツポツと声をかけられた。みんなからの視線も結構感じる。
やっぱりこの感覚はなんだか慣れないけど、最初だけだ。この一瞬を耐えれば明日からはいつも通りの日常になる。頑張れ。
「つばちゃんおはよう」
「誰がつばちゃんだよ、なんか汚ねーからやめ……」
翼は振り返り際にこちらを視界に捉えるとびっくりした表情になった。目をまん丸くして金魚のように口をパクパクしている。
いや、何その自分の命の終わりを悟ったような顔。そんなやばいかな、私。翼にとって新しい私は怪物にでも見えているんだろうか。
「ゆう……か」
「おはよ」
「あぁ……はよ」
翼は素っ気なく答えた。
ち……。翼からは不評だった。悲しい。
そうこうしているうちに鐘が鳴ったので席に戻ると、ブレザーのポケットの部分から振動がした。スマホを取り出してみると翼からだった。
『髪型、似合ってたよ』
嘘じゃん。……直接言いに来いよ。
翼の方を見ると、目を伏せ俯きながらピースをしてきた。……本気なのか嘘なのか分からなくなってきた。とりあえず私もピースを控えめに返しておいた。
――――――――――――――
「優って好きな人できたの?」
昼休みになり、理絵と弁当を食べているとそんなことを聞かれた。
「いやいや、なんでよ」
恋愛トークも普通にする関係になったけど、こういう質問は少しびっくりする。……もしかして気がつかれた?
「だってー、急に髪切ってかわいくなったりしてさぁ。もしかして、気になってる人にショートの方が好きとか言われたの?」
失恋を疑う妹とは大違い。
この感じからして私に「好きな人がいる」ということには気が付いていなさそうだ。良かった。
理絵を意識して髪を切ったわけじゃないけど、こうしてかわいいって言われると嫌な気はしないね。
「バイト終わりに自分の髪からラーメンのにおいがするのに耐えられなかった」
「えー良い匂いじゃんラーメン!」
「今度ラーメンの汁に浸したマフラーあげる。それ首に巻いてれば私の気持ちが分かると思うよ」
「ははっ! ウケる」
理絵はクスクス笑ったので私は真顔で視線を送ることにした。
「……」
「……」
「え、いらないからね? マフラー」
「ちっ……」
「ねーねー、髪、触っていい?」
「いいよ」
理絵は髪の毛先を指で絡めとって、くるくるしている。変な感じ。あんま人に髪触られるのに慣れていない。目線のやり場に困る。
私は弁当を食べて口を動かすことで、この感じを紛らわそうとした。
一通り、くるくるし終わると今度は頭を髪の流れに沿って撫でてきた。
「もう、なんだよー。いつ終わるのこれ」
理絵が撫でてくれるのは嬉しいけど、ずっと続けられるとむず痒い気持ちになる。
「いやぁ、かわいいなって。優ちゃん、ほら、よしよ~し」
「ワンワン」
「それは合わないからやめて」
「は……?」
突然の否定に戸惑いを隠せない。
「……」
理絵はニコニコしながら撫で続けている。
「じゃあどう鳴けば良かったの?」
「ご主人様大好きーって……鳴いて?」
「コンシュウカラ、ホンノダイイドウガアルソウデスネ」
ロボットのように抑揚をつけずに鳴いてみると、私を撫でる指の動きが急に止まった。理絵の手の重みをじかに頭に感じる。
「ゲッ……優に話してたっけ。せっかく忘れてたのにどうしてくれんのー。もー困ったちゃんだなぁ」
再び私の頭を今度は無造作に撫でる理絵。髪はぐしゃぐしゃになった。これで今日セットした髪は台無しになったぞ、どうしてくれるんだ。困ったちゃんはどっちなんだ。
「今度私の髪の毛ぐちゃぐちゃにしたら罰金ね」
「えーいくら?」
「1万」
「高くない?? 髪の毛にそんな価値ある??」
「なんかそういう言い方されるとしんどい」
「あはは。今度からってことなら今は良いっしょー?」
理絵は笑いながら再度ぐしゃぐしゃと髪を撫でている。もういいや。好きにしてくれ。
「図書委員、大変そうだけど深瀬と話せるね」
「あーうん。そうだね」
私の頭に置かれていた手はゆっくり離れて持ち主の元へ戻っていった。
どことなく目が泳いでいる理絵。照れ隠しのつもりだろうか。
私は手櫛で髪を整えながら深瀬の方を見る。机に突っ伏している。いつも寝てるけど昨日も本読んで夜更かしでもしてたのかな……。
少なくとも、この前のアルバイトで分かったのは、話したこともないような私にオレンジジュースをくれるくらいには良い人だということだ。これは独断と偏見だが、浮気とかしなさそう。2人の性格が合うのかは分からないけれど、深瀬と理絵だったら――
やっぱり胸が痛む。でも、理絵がそれで幸せになってくれればそれで良い。それで良いんだ。
下校時間になると理絵は、深瀬と一緒に図書室に向かっていった。大移動頑張れ。
今日はバイトもないしゆっくり過ごすか。1人帰ろうとしていると青山に声をかけられた。
「優ちゃん、この後暇? カラオケ行かね?」
どんな風の吹き回しだろうか。しかも、こいつ今私のこと、いきなり名前で呼んだよな? ……名前で呼ばれること自体は別に良いけど、相手が青山だっていうことが腹立たしい。
「気分じゃないから今日はそのまま帰りたい」
「え、カラオケ嫌いー?」
「I'm not good at singing」
「おっけ! 俺別に気にしないから大丈夫。ほらー、失敗しちゃったけどさー、この前の屋上の件でお礼したいし頼むって」
歌うの好きじゃないって言ってんのに、何がおっけーなの? 全然おっけーじゃないんだけど。是が非でも自分の要求を通す気かよ。
「お礼ならイチゴキャンディーでもらったと思うけど」
「それはそれとして。おごるからさ。もうすぐテストだし、遊べるのも今のうちじゃん」
私はわりとおごりに弱い。
「2人で行くんですか?」
「……嫌?」
「うーん……」
カラオケで2人か……。おごりはありがたいが、青山と2人は結構嫌だ。でもここで面と向かって嫌って言ったら傷つけてしまいそうな気がする。
青山のことは好きでもないけど嫌いでもない。特段深く関わったことがないから何とも言えない。でも服装とか話し方とかで、やっぱり受け付けないものがある。
青山はチャラいし、軽い気持ちで遊びに誘っているかもしれないけれど、さすがにカラオケで2人は抵抗がある。私の今のこの顔つきで全てを察して欲しい。
眉間にシワを寄せて険しい顔を作ってみると、青山も私の顔つきを真似てきた。やめろ。
「俺もカラオケ行きたい」
そこに翼が会話に入ってきた。
「んだよ、別に良いけど。春日井の分は奢んないぞ」
「へー優は奢りか、羨ましいな。まぁそれはオッケー。久々に発散したかったし、ちょうど良いわー。駅前のカラオケのクーポン持ってるからそれ使えば安くなるぜ」
スマホの画面をチラつかせる翼。
2人なら抵抗はあったが翼がいるなら安心なので断る理由もなく……結局3人でカラオケに行くことになってしまった。
私を挟むようにしてソファーに座る2人。
翼はランキングに入っているような、ありきたりな曲を大声で熱唱。声が大きいだけで歌はそんな上手くなかった。
対して青山は、びっくりするくらい歌が上手かった。洋楽も歌っていたけれど、発音が綺麗で抑揚もあった。英語の成績悪いくせにね。青山が女子とカラオケに行きたがる理由分かったかも。
アップテンポな曲が流れる中、さりげなく肩を組んできた青山。翼は歌いながら青山の手を払った。それに対して青山は演奏停止ボタンを押して翼のターンを強制終了させた。
……この2人仲悪いよね? なんでこんな展開になってしまったのか。もうこの3人で何かすんの嫌だな。
最悪の空気の中、無難に歌い終わり解散。
方面の同じ翼と一緒に帰ることになった。
「人の会話盗み聞くとかどういう趣味ですか」
放課後の教室で青山との会話に無理やり入ってきた翼。ダメとは言わないけれど、ちょっと大胆だったよねあれは。でも青山と2人きりは回避できたからそこは感謝しないとだけどさ……。
「たまたま聞こえただけだし良いじゃんか。歌いてぇ気分だったのー。てかさ、俺からも聞きたいんだけど、なんで優が青山に奢られてんの? 前も青山と2人でどっか行って話してたしお前らって、ひょっとしてさ……」
「ない。絶対ない」
「そうかよ。なんか……優が彼氏作ったら寂しいなって思った」
「……」
寂しい。友達が恋人を作って自分から離れていってしまうかのような寂しさは私も分かる。
理絵にも言われたし翼にも言われるなんて。みんな結局、周りが恋人を作るのは寂しいんだね。
「……無理やり入り込んでごめん。でもあいつとカラオケ行くの渋ってるみたいにも見えたから」
「うん、正直2人だと抵抗あったから翼がいてくれて良かった」
「そっか……」
翼はははっと小さく笑った。
「翼も寂しいとか思うことあるんだね」
「はぁ? 何だと思ってんだよ。そりゃ人間だから寂しくもなるわ」
「そっかー」
「俺、男だしさ。せっかくこうやって仲良くなれても優が彼氏作ったらもうあんまり一緒に居られないなって。妬かれそうだし」
「私は翼が彼女作っても全然良いと思ってるけどね」
「少しは寂しがれや」
翼に彼女ができても、翼という友達を失うわけじゃないと思っている。私はこのまま友達として仲良くしていたい。でも、男女という性差がある以上、それを無にして考えることはできないのかもしれない。
口ではああ言ったけど、私だって寂しい。
私が男だったら、理絵に堂々と片思いできて、翼に彼女が出来たとしても末永く親友として仲良くいられるのにな。
私の前には大きな壁が2つある。
恋愛という壁、友情という壁。
でも私はその壁を越えることはできない。
それは、私が女だからだ。
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