第8話 親友の好きな人
私はラーメン屋でアルバイトをすることになった。
春日井こと、翼と食べに行ったラーメン屋。結構おいしかった。その時に、やってみれば? と翼は壁に貼られているアルバイト募集の広告を指さした。その場では、やらないと返したけど……。考え直してみたら、やっぱりやってみようかなと思った。店主も良い人そうだったし。
もう日向ぼっこ部は休止期間だ。放課後の時間が暇になる。受験勉強などしなくちゃいけないことはあるけれど、時間には余裕があった。同じく部活をしていない理絵も最近になって、カラオケ屋でアルバイトを始めたそう。
自由に使えるお金があるのは悪いことじゃないよね。でも、まさか自分がラーメン屋で働くなんて思ってなかったからちょっと笑えるな。やってもコンビニとかかと思ってたから。
初めてのアルバイト体験。
お金をもらうことって結構大変なことなんだなと思った。慣れない作業に苦戦しながらも、仕事を少ずつ覚えて慣れてきた頃のこと。
現在お店にはお客さんは誰も来ておらず、バックヤードで店長と一緒にお店のチラシを折っていた。
壁には調理のレシピや衛生管理表などお店の機密情報が貼られている。それらをぼうっと見ながらひたすらチラシを折っていく。正直接客よりもこういう地味な作業の方が私には合っていると思う。
何の気なしに従業員名簿を眺めていると、名簿の1番上に「
「え、深瀬……」
「あぁ、気づいた? 深瀬君から七瀬さんのことは聞いてるよ。同じ高校なんだってね」
見慣れた名前に思わず深瀬の名前を呟くと、店長が話しかけてきた。
深瀬は私がここで働いているのをもう知っていたようで、恥ずかしい気持ちになる。履歴書の写真とか見られてたら嫌だな。
「同じ高校どころか、同じクラスですよ」
「あはは、面白いね。深瀬君は部活あるからそんなシフト入れないみたいだけど、いつか被るように調整しておくから」
グッと親指を立ててはにかむ店長。年齢はまだ20代後半なこともあって、笑顔が無邪気な少年のように見える。
店長は教え方も丁寧で、従業員の面倒見も良い。昔からラーメンが好きで、お店を出すのが夢だったそうだ。
人一倍のラーメン愛で、生き生きと働いている店長を見ると、このお店で働いてて良かったなって思うし、私もラーメンが以前よりも好きになった。
「いや、大丈夫ですよ、そんな気使わなくて」
店長の心遣いはありがたいけれど、深瀬とシフトが被ったって何話して良いか分からないし。
「クラスメイトと仕事したら楽しそうじゃない」
うーんと考える。
私は深瀬とまともに話したことがない。1番最後に会話をしたのは、確か彼に図書委員のプリントを渡された時だった。
『もし読みたい本があれば、リクエストをこの紙に書いて、成宮さんに渡して欲しい』
『うん、分かった』
深瀬は教室で暇そうにしている生徒1人1人に回ってプリントを配っていた。役割的に彼がプリントを配り、理絵が回収するといったところだろうか。
思えば業務連絡くらいしか会話を交わしたことがないな。
私は深瀬のことを全然知らない。悪い人じゃなさそうだというのは雰囲気で分かるが……。
知りたいか? 知っておいても良いかもしれない。それは単に私が彼のことを知りたいのではなくて、深瀬が親友の好きな人だからだ。
理絵は深瀬のどんなところに惹かれたのか気になる。仲良くなれば、理絵に深瀬の情報を教えてあげることもできるだろうし……。
「クラスではあまり深瀬さんと話さないんですけど、これを機に仲良くなれたら良いなとは思います」
「おっけー。任せて!」
店長はガッツポーズを決めて笑った。
――――――――――――――
店長の計らいからか、日ならず深瀬と一緒のシフトに入ることになった。店のバックヤードに入ると、既に着いていたようで更衣室から腰にエプロンを巻いた深瀬が出てきた。今日はよろしくね、と声をかけられたので、よろしくと返した。
シフトを確認すると同じ時間から入り、上がりの時間まで同じだった。これから一緒に働くのか……。と思うとなんだかワクワクする。
深瀬と一緒に働いてるところをクラスメイトが見たら、驚くだろうなぁと思う。
「これ、テーブル席2番までお願いできる?」
「分かった」
普段なら、「はい」と返すところをタメ口で返せるので気が楽だ。
深瀬の小麦色の手から塩ラーメンが渡される。この前はプリントだったけど今日渡されたのはラーメン。
一応先輩バイトにあたる深瀬がラーメンを作って、私が運ぶ。そんな役割分担だったので、その日は塩ラーメンを始め、味噌、醤油、とんこつと色んなラーメンを渡された。美味しそうで思わず食べたくなってしまうが我慢。
額のあたりで巻かれている白いタオルに汗を吸わせ、厨房で店長と共にせっせととラーメンを作っている姿はなかなか、様になっていた。
「お疲れ様」
「お疲れ様」
業務が終わると、どこから買ってきたのか、今度はオレンジジュースの缶を渡される。
「これは何番テーブルに運べば良いの?」
「はは、もうシフトは終わってるでしょ」
「……もらって良いってこと?」
「うん。嫌いじゃなければ。先輩に何本かもらったんだ」
丁度喉が渇いていた。私の中で深瀬の好感度が一気に上昇した。
オレンジジュース1本で安い女だな、って我ながら思う。
「クラス同じなのに、全然話したことなかったよね」
オレンジジュースの缶に口をつけて喉に流し込む。オレンジの酸味が体中を巡っていくのを感じる。業務後の一杯はとても美味しい。
「そうだね。何となく話しかけづらくてさ……」
深瀬から出てきたのは意外な言葉だった。
「え、なんで?」
「僕からしたら七瀬さんは別次元というか、そんな感じがしてたから」
深瀬はオレンジジュースの口を開けて苦笑いした。
特に深瀬はクラスでも目立つ方じゃないのは確かだけど、それで言ったら私もそうだ。別次元だなんて少し大げさな気がする。
「同じ教室で同じ空気吸ってるんだし別次元なんてことないと思うけど」
「なんかあるじゃん、スクールカースト的なやつ」
スクールカースト……。
1年生の頃はギャル系のグループがクラスを仕切ってたけど、今のクラスではそういうのはない。みんな平和にやってると思う。
「カーストとかよく分からないけど、一緒にラーメン作って、オレンジジュース飲む仲になれたよね」
「はは、ほら、そういうところ。会話の返しが秀逸というか。東大寺建てたの誰って先生に聞かれた時、七瀬さん大工って答えてたでしょ。あれ本当面白かった」
「あの時先生笑ってたくせに、テストで大工って書いたら罰つけられたんだけど。許せない」
「そりゃつけられるでしょ! あーでも分かんない。僕が教師だったらうっかり丸にしちゃうかも」
なんだ、案外フレンドリーじゃん。
深瀬はオレンジジュースを飲み終えたのか、テーブルにコトッと置くと制服のカバンからプロテインを取り出して飲み始めた。
……業務後のたんぱく質補給ですか。あなたの逆三角の身体はプロテインのおかげなのかな。なんか普通にプロテイン飲み始めたからビックリしちゃったよ。
「プロテインっておいしいの?」
「おいしいよ。3時間に1回はタンパク質を摂取しなきゃいけないんだ。筋肉のために」
思ったよりも極めてそうだ。
「それ飲んだら強くなれる?」
「飲むだけじゃなくて筋トレもしないとだめだけどね。でも強くなってどうするのさ」
「今日理絵と腕相撲して負けたから」
細いくせにどこからあんな力が出るんだか。何か一つでも理絵より優っているものを作りたいなと思う。
「あはは、本当に仲良いよね。七瀬さんと成宮さんって見ていて微笑ましいというか。お似合いって感じ」
「お似合いって……。全然そんなことないと思うけど」
何をもってお似合い、なんて言ってるんだろう。
「そう?」
「私は理絵の陰に隠れてるから」
「自分が思っている自分と、他人が思ってる自分って違うこと結構あるよね。僕は少なくとも七瀬さんが陰に隠れてるなんて全く思ってないよ」
深瀬はこちらをまっすぐに見て言った。冗談とか言えなさそうだし、きっと本心から言ってるんだろう。
美人で人気者の理絵とお似合いなんて言われるのはすごく嬉しい。
人によって、見え方は違うというのは分かる。じゃあ深瀬から見た私って具体的にどういう風に映っているのだろう。そして、深瀬から見た理絵はどのように映っているのだろう。
「そういえば深瀬君は図書委員で理絵と同じだよね」
「そうだね。成宮さんが最初に図書委員になるって聞いた時は驚いたな。釜田さんあたりなら納得だけど」
「確かに、釜田さんいつも本読んでるしね。深瀬君は本好きなの?」
「好き好き。毎日夜遅くまで本読んでるから寝不足でさ……こうして働いて、もらったお金も本で消えてる。あまりシフトには入れないから金欠だよ」
店長も深瀬はあんまシフトに入れないと言ってたな。バイトの募集欄には週2からって書いてあったけど、深瀬は見たところ週1ペース以下くらいでしか入っていない。そして金欠の中、貴重なオレンジジュースを恵んでくれる深瀬は良い奴だ。
深瀬から見える理絵の像をさりげなく聞き出すつもりが、話題が完全に逸れてしまった。また次の機会にでも聞けたらいいなと思う。深瀬と恋愛トークする光景は想像もできないけれど、せっかく同じバイト先なんだしこれを機にもっと仲良くなれれば良いな。思ったより深瀬、話しやすいし。
「部活もあるもんね。次のシフトっていつ?」
「分かんない。だいぶ先になるんじゃないかな。……来週から図書委員の皆で、放課後に今ある本の場所を総入れ替えするんだ。年に1回これをやってて、去年も僕は図書委員だったからやったんだけど……。ただ移動させるならまだしも、本を名前順で配置しないといけないし、古い本は地下倉庫に移さないといけないしで結構大変でさ。土曜は部活だし、再来週はテスト勉強をしなくちゃだし……うん、次いつシフト入れるんだろうなぁ……」
「そうなんだ、図書委員って思ったより大変なんだね」
委員会に放課後持ってかれるのは嫌だな。聞いた感じだと力仕事多そうだし大変そう。理絵大丈夫かな。……力持ちだから平気か。
「楽そうって思って、2学期に図書委員に入った人は出鼻挫かれるだろうね」
学校生活で何かしらの委員を1つ以上やらないといけないルールがあって、私は去年成り行きで球技大会の委員をやった。
やる気のない生徒は、楽そうな委員会を選ぶけど2学期の図書委員はキツそう。理絵、どんまい。
でもこれを機に深瀬ともっと話せそうだし良かったね。
深瀬とまともに話したのは初めてだけど、良い人だということは確信した。店長の計らいでまたシフトが同じになる日はいずれ来るだろうが、また一緒にバイトできるのが先になっちゃうのはちょっと残念だ。
オレンジジュースを飲み終わり、ゴミ箱に捨てる。時計を見ると時刻は21時半だった。お店は22時で閉店する。店内の客は1人しかおらず、店長が1人クロージングの準備を進めていた。
「私もう帰るけど深瀬君は?」
「僕はやらないといけないことがあって。もう少し残るから先帰ってて」
深瀬はスマホを持った手を持ち上げてそう言った。
ストラップには水着姿で水泳帽とゴーグルを着用した2頭身フィギュアと、アルファベットの「S」を模ったプラスチック製のものがぶら下がっている。おそらくこの「S」は「
「分かった、お疲れ様」
「お疲れ様」
店を出て、肌が外気に触れる。
こんな時間からやることって何だろう。バイト先で宿題でもするつもりだろうか。なんて思いながら歩みを進めた。
夜風を浴びながら結んでいた髪をほどくと、ラーメンの油臭さが自分の髪から香った。アルバイト、嫌いじゃないけど本当毎回こうなるのはいただけない。
明日は初めての給料日。
深瀬は本の為にお金を使うと言っていけど……。
私は――
休みだし、髪の毛でも切ろうかな。
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