第7話 甘味vs塩味

 寒さが本格的になってきた。

 あれから私はいつも通りの学校生活を送っていた。

 好意は悟られないように、でも極力自然に。元々、感情があまり顔に出ないタイプなこともあってか、思ったよりも普通に振る舞えてると思う。



「優、おはよー!」



 教室に入ると理絵にギュッと抱きしめられた。



 保健室での一件以来、理絵はよくこうして抱きついてくるようになった。おはようのハグ、ばいばいのハグ。抱擁を交わす度に心が満たされる気分になる。

 あの時、人を抱きしめる心地良さを覚えたのは、理絵ももしかしたら同じだったのかもしれない。



 私は、ハイハイ、と理絵の背中を軽く叩いた。

 親友だからこういったコミュニケーション――スキンシップがとれるのは美味しいポジションだ。だからこそ、下心は見せてならない。



 一方で、春日井との仲もだいぶ深まって来たように思う。

 ここ最近、春日井の友情ポイントが上昇中。まぁ、あくまでポイント。それ以上はない。

 今では親友一歩手前の良き男友達といったところだろうか。



「おい、メッセージ無視すんなよ!」



 座席にバッグを置いて、教科書を出していると、春日井が小突いてきた。



「いや、だって春日井が食べたラーメンのこととかに興味ないし」



 昨夜、『駅前のラーメンまじ美味しい』という文章と共にラーメンの画像が送られてきた。正直、だから何だよとしか思わない。私にどう返して欲しいわけ? そういうつぶやきは青い鳥にでも投稿しておけば良い。



「美味いものは共有した方がいいだろ? 最近できたんだってよ。今度行こうぜ」


「野球部の人誘えばいいじゃん。私ラーメンより、つけ麺派だから」


「つれねーなー。野郎と食うラーメンには飽きたってのー」



 ふーん。一応私のことは女として認めてくれてるんだ。



「ねー、七瀬ちゃん」



 ハスキーボイスに名前を呼ばれた。

 私を七瀬ちゃんと呼ぶのはクラスで1人――青山だった。

 理絵の隣の席の男子である。バスケ部のチャラ男といったところで、ダボダボの制服にネクタイをだらし無く結んでいる。ズボンにはジャラジャラとしたチェーン。ほとんどない眉毛に、ワックスで盛り盛りのやや長めの茶髪。派手なピンで前髪が留められている。

 バスケやってるだけあって、身長は春日井くらい高いけど、その格好は品がないというか、受け付けられないものがある。



「何?」


「ちょっといい?」



 腕を軽く掴まれ、廊下を出て人目のないところに移動させられた。春日井はそんな私を黙って見ていたが追ってはこなかった。



「何?」



 訝しげな表情で再度尋ねた。



「今日の放課後、理絵ちゃん呼んで欲しいんだけど。屋上に」


「屋上……」


「分かるっしょ? 頼むよ」



 青山は両手を合わせて懇願ポーズをとった。

 我が校の屋上は告白スポットとして有名だった。うちの生徒たちはあまり屋上に行かないから、唯一、人目につかない且つ開放的な広さのある空間として、その場はよく利用されている。

 つまりは青山は告白するわけか。胸の奥がズキっとする。深瀬ならともかく、青山に理絵をとられるのはちょっといただけないな。まず服装から出直して欲しい。

 理絵の隣に立つ青山を想像した。ギャルっぽいところは多少雰囲気似てるかもしれないけど、理絵には品があるから。やっぱり青山じゃ釣り合わないよ。



「……それ今日じゃなきゃダメなの?」



 急なんだよな。わざわざ屋上に呼び出さなくても、連絡先知ってるなら電話かなんかで言えば良いじゃんって思う。



「今週部活休みなの今日しかないのよー。あ、ちなみに俺が呼び出したってことは言わないでくれる? サプライズ的な」



 青山のサプライズのどこに需要があるの。



「無茶言うね、得体の知れない人からの呼び出しに理絵が応じると思うの? 伝える私の身にもなってよ」


「そこをなんとかさぁ、七瀬ちゃんならできるっしょ? 頼んだよー」



 青山は私の制服の胸ポケットに何かを入れると、教室に1人戻っていった。

 本当、強引な奴。……直接胸触られてたら屋上にあいつを1人にして寒い風に晒す予定だったけど、器用に何か入れてきたな。

 胸ポケットを確認するとイチゴのキャンディが2つ入っていた。



 ――――――――――――――



「理絵、今日の放課後、屋上行かない?」


「屋上?」


「そう、屋上」


「いいけど、何かあるの?」


「それはお楽しみ」


「えーなんだろ」



 結局、青山の名前を伏せて1人で屋上に行かせるような伝え方は思い浮かばなかったので、私も一緒に屋上に行くことにした。

 放課後になり、階段を上がり外に続くドアを開けると、ひんやりした風が吹き付ける。日も落ちてきていて思ったよりも寒い。



 5階まである校舎。こだまする生徒の声。部活動の準備に明け暮れている運動部員を一望することができた。何となく春日井を探したけれど、今日は野球部の練習は無い日だったのを思い出した。



 この寒さの中、屋上にいる生徒は私たち2人だけだった。

 とりあえずベンチに腰掛けると、理絵も隣に座った。



「で、何かあるんじゃないの?」



 理絵は身を乗り出して、期待した目をこちらに向けてきた。



「ごめん、特にない。ただ屋上に行ってみたかっただけ」


「何それ。優って芝生の上に転がったり、意味なく屋上に行ったりなんか我が道行ってる感あるよね」


「我が道行く人のことゴーイングマイウェイって言うんだよ」


「いや、知ってるよ?」


「……」



 無言で理絵を見つめた。



「……え、なに? あたしがまるで語彙力ない人みたいじゃん、なんなの?」


「語彙力なくても見捨てたりしないから」


「勝手に語彙力ない人に仕立て上げないでくれる……? もう……優がここで告白でもしてくれるのかなって期待しちゃったんだけど何この仕打ち。つらぁー」



 ベンチに足をぶらぶらさせながら理絵は残念そうに笑った。



「私、今日の下着ピンクなんだ。上下セットで」


「そうなの? てかなにその情報」


「今、理絵に告白した。私の下着の色を」


「なにそれ、屋上で自分の下着の色を告白って……それはさすがに頭おかしいと思う」



 理絵はハハハと声を出して笑った。私もそれにつられて笑う。

 我ながらこれはちょっとおかしい。



 笑いの波が収まり、沈黙がやってきた。押し寄せる寒さに意識が傾く。早くしろよ青山……。



 理絵は距離を詰めて座ってきた。スカート越しに感じる体温が温かい。

 彼女は、私の腕に自分の腕を巻きつけ、手を下にスライドさせ――

 指を絡めとられた。



 理絵の手は相変わらず冷たかった。指と指の間、手のひらから感じる小さな熱。

 理絵の手が冷たく感じるのは、腕を組まれたあたりから私の体温が上がったせいもあるだろう。

 そのまま私の肩に理絵は頭をもたげてきた。



「あの……なんですかこれ」



 とうとう耐えきれなくなり、尋ねる。

 理絵のスキンシップには慣れていたつもりだけれど、2人きりのこの空間でさすがにちょっとヤバい。反応に困る。



「……寒いから。優、あったかい」



 握られた手に力が込められた。理絵の手は私の熱で温められ、だんだん調和され同じ温度になっていた。

 本当に寒いだけ? と聞きたくなった。寒ければ校舎に戻ると言う選択肢がある中で……。私が抱いているような、やましい感情は理絵にはないということは分かっているけれど。

 内心とてつもなく動揺しているが、触れる肌の温もりは私を満たしてくれる。そこは理絵も同じ気持ちなってくれていると良いな。



「あのね、こういうのは深瀬にやるんだよ。きっと一発で落ちるよ」


「優は?」


「え?」


「あたしに落ちてくれないの?」


「落ちたって言ったら?」


「付き合う」



 本当はもうとっくに落ちてる。そう冗談の流れで言いたかった。

 でもそれはダメだ。少しでもその気を見せてはダメだ。

 私は喉からあふれ出るソレをグッと押し込んだ。



 何か適切な回答を……

 口を開いたその時だった。



 ガチャっとドアが開いて青山がやってきた。

 私たちを視界に捉えると、



「レズかよ……」



 とつぶやいた。

 その言葉はグサっと心に刺さった。

 今、私と手を繋いでいる女は、この男に告白される。今の私のポジションは、この男と入れ替わるかもしれない。胸がジクジク痛む。



「青山じゃん。邪魔すんなよー」



 何も知らない理絵はそのままの体勢で青山に言った。

 青山は私を睨んだ。

 はいはい、邪魔者は退散しますよ。



「青山がね、理絵に話があるんだって」



 理絵は驚いたような顔をして、青山を一度見て、そして私を見てゆっくりと頷いた。

 状況は理解できたようだ。



「分かった」



 私は組まれた腕をほどいて、屋上のドアに向かう。

 青山とすれ違った。



「告白が成功したらジュースおごってやるから」



 と声をかけられ不愉快な気持ちになる。

 どうか、青山に奢られませんように。



 ――――――――――――――



 親友が青山に告白された。

 私が気持ちを自覚してからの初めての告白。何となく落ち着かない。理絵はモテるから、この先もきっとこんな気持ちに苛まれることがあるだろう。親友の幸せを願わなきゃいけないのに。……つらいな。

 足早に下校していると河原に坊主頭の男が横になっているのが目についた。



「もう日向ぼっこできる季節は終わったと思うけど」



 坊主頭はそのままの体勢で答える。



「優を待ってたって言ったら?」


「悪いけど寒いから私は帰るよ」


「なぁ、朝、青山になんて言われたの?」


「たいしたことじゃないよ」


「ふーん。なんか面白くねーな」



 そう言いながら、春日井はゆっくり起き上がった。

 寒い中待っててくれた男に対して、青山からの報酬であるイチゴのキャンディを1つ渡した。春日井はすぐにそれを自分の口に放り込んだので、私も残ったキャンディを取り出して口に入れた。

 甘い。子供用だろうか。沈んだ空気の中で、容赦なく口の中に広がり、溶けていく不快な甘さに苛立ちが蓄積され、思わず飴を噛みそうになる。



「ねぇ、理絵が他の人と付き合ったらどうする?」



 落ち着かない気持ち。理絵に片想いしてるのは私たち同じなんだ。気持ち、分かってくれるよね。



「俺は成宮が幸せならそれで良い」


「……」



 本気なのかな。

 私は今こんなにつらい思いをしているのに。そんなに都合よく相手の幸せを願えるものなのかな。



「なんて言うとでも思ったか? すげー悔しいなそれは。好きな人に対しては俺が1番幸せにするって思うし。取られたとか、どうしようもなくイライラして壁殴ると思う」


「壁かわいそう」


「着眼点そこかよ」



 春日井は人間らしいな。私も男だったら同じように思えていたのだろうか。思えたとしてもこの男みたいに声に出して誰かに言うなんて無理だろうけど。



「壁殴ったら手も痛くなりそうだね」


「これは例えばの話だからな? 壁殴ることに対してなんでここまでがっつくんだよ。本題はそこじゃねーだろ!」


「じゃあ本題に戻るけど実際に壁殴ったことある?」


「いい加減にしろよ……」


「ごめん、ちょっと調子乗った」



 春日井はつっこみが的確だからつい……。



「正直……今、成宮のこと好きかって聞かれたらよく分からない」



 驚いて春日井を二度見する。ぼりぼりと首元をかいている。



「男は諦め悪いんじゃなかったの?」


「俺も人間だから、変わるんだよ」



 人間だから変わる。

 私も今、理絵に抱いている気持ちはそのうち変わるのかな。だとしたら、それはきっと良いこと。

 でも――叶えちゃいけない好意なのは分かるけど、唯一手に入れたこの片思いという感情は手放したくないって思う。

 この感情があるからこそ、毎日が楽しくなったのは確かだ。でも、それと同時に今日みたいに胸が締め付けられる思いもしてしまう。結局は理絵は私のものにはなってくれないのにどうして理絵をずっと好きでいたいと思ってしまうのだろうか。



「彼氏がいる相手を好きになったことはあるの?」


「今日はやけに質問してくるな……。あるよ、彼氏持ちを好きになったこと。早く別れてくれないかなーって思ってた。その彼氏側が結構仲良い友達だったから、好きなのをバレないようにするのに必死だったな。友情壊しちゃいそうだし」



 これだ。私の今の感情はこれに似てるかもしれない。春日井も苦労していたんだな……私の感情を理解してくれる春日井に親近感を覚えた。



「翼」


「あ?」


「私も春日井のこと名前で呼ぶよ」


「なんだよ急に。俺なんか良いことでも言った?」


「言ってない」


「なんなんだよ」


「翼」


「な……んだよ」



 春日井は僅かに頬を赤らめて、飴を噛み砕いた。



『ブーッ』



 携帯のバイブが鳴った。

 メッセージは青山からだった。



『ふられた』



 ちぇ。青山にジュース奢ってもらえないじゃん。喜びの舞を踊りながら心の中の私はそう言った。



「……ねぇ、これからラーメン食べに行こっか」



 今までのモヤモヤが吹き飛んでいった。気分は晴れ晴れとしている。



「帰るんじゃなかったのかよ。まぁいいけど。飴が甘いから塩っけ欲しくなってきたとこだったし」


「飴がーって?」


「つっまんねーな! 優ってつまんない時はとことんつまんねーよな」


「ゴーイングマイウェイ」



 手でLの字を作って顎元に当てた。



「そんなんでカッコつけんな」



 駅前のラーメンはとても美味しかった。

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