第6話 冷めない熱
昨日は、春日井が家の前まで私のことを背負って送ってくれた。家に着いてから母親に連絡を入れると、仕事を早退して家に帰ってきた。そして、そのまま病院に連れて行かれた。鼻に棒を突っ込まれる痛い検査をされた。インフルエンザではなかった。棒をつっこまれて終わりじゃ突っ込まれ損だと思ったけれど、インフルエンザでなかったことは良かったと思う。
病院で出された薬を飲んで寝たこともあってか、今朝熱を測ったら微熱まで下がっていた。ほぼ熱は下がっているといえど、熱は熱だ。良くなるまでは大事をとって休むことにした。
両親は働いているし、妹は学校。私は1人で自室のベッドに仰向けになっていた。しんとした家の中。特にやることもなく物思いに耽る。
2年生になってから初めて学校を休んだ。いつも一緒にいる理絵は今日、1人になってしまう。1年生の頃は4人グループだったからそんなこと心配しなくても良かったけれど。理絵には申し訳ないことをしたなと思う。大丈夫だろうか。
皆と戯れる理絵の様子が浮かんだ。彼女は人気者だから心配いらないか。きっと、どこかしらのメンバーと仲良くやっていることだろう。
スマホに手を伸ばす。朝のやりとり以降、理絵からは連絡はない。今何をしてるんだろう。時間帯的には国語の授業を受けている頃か。……会いたいな、声聞きたいな。理絵のことを思うと言葉では言い表せないような変な気持ちになるのは何でだろう。
まだ微熱だからかもしれないが、昨日理絵を抱きしめた感覚を思い出して胸が熱くなるような感覚になっている。柔軟剤と微かな汗の匂い、柔らかい胸、身体、そして心臓の音。頭を包むように抱きしめてくれた腕の感覚。息がつまるような感覚。甘く切ない空間。幸福感に包まれた瞬間だった。
私は抱き枕をぎゅっと抱きしめた。
人に抱きしめられるって何て心地の良い感覚なんだろう。こういうのが「悶える」という感覚なのだろうか。
……でもちょっと待って。友人にもこういう感情って抱くもの?
それはちょっと違う気がする……。だとしたら私は彼女に友達以上の家族愛的な感情を抱いてしまっているのだろうか。
家族愛……それもまたちょっと違うと思う。妹を抱きしめたってあんな感覚になったことないし。
私は理絵と密着した。そしてその後、春日井とも密着した。でも記憶により印象深く残っているのは理絵との時間だ。春日井のゴツゴツとした背中を思い出すと余計に理絵の柔らかさが恋しくなる。
イケメンの男子におんぶしてもらうなんて、少女漫画でよく出てくる萌えシチュエーションの一種だろうが、ちょっと恥ずかしいという思いだけで「悶える」という感覚にはならなかった。
春日井に抱かないのに、理絵には抱く感情の正体が分からない。
ずっと友達やってきたのに、今になってどうしてこんなことになってるんだろうと戸惑いを隠せない。理絵が私の脳内を支配していく。
会いたい。
もう一度抱きしめたい。
冗談を言い合って笑いあいたい。
手に触れたい。
理絵の唇に――
そこまで考えて頭を抱えた。おかしい。
友達に対して何を考えているんだ。
……友達ってなに?
昨日のことがきっかけで、そんなにもガラッと相手に対する意識が変わることなんてあるのか。冷静になれ。相手は理絵だ、しかも同性だ。
自分らしからぬ感情。熱がきっと私をおかしくしている。熱があるとメンタルは沈むものだから。家に誰もいない中で、ただ寂しくなってるだけ。こういう時に人恋しくなったりするのはしょうがないこと。だから私が今抱いている感情は一時的なものだろう。
体温計で再度自分の熱を測ってみたが、ほぼ平熱まで下がっていた。熱が冷めても私の中にいる「熱」は冷めてはいなかったということが分かった。嘘だ……。
何かの発作のように訪れてきたソレを追い払ってしまいたいが、同時にこの感情を捨てたくないと、抵抗している自分もいた。
もう何も考えたくない。現実から目を背けるように私は目をつむり、眠りについた。
そして夢を見た。
――――――――――――――
真っ暗な空間。私は1人、スポットライトに照らされていた。ここはどこだろう。周囲を見渡すが依然として闇に包まれたままで何も見えない。呆然とその場で立ち尽くしていると足音が聞こえてきた。恐怖に体をビクつかせていると、パッと頭上から光が差し込んだ。スポットライトが1つ増えたかと思うと、そこに人間の姿――現れたのは理絵だった。
「理絵……?」
理絵のいるところまで歩み寄ろうとすると手のひらで制された。
「来ないで」
「え、どうして……」
足を止めて相手の返答を待つが、理絵の姿はスポットライトごと突然消えた。
視界がまた真っ暗になった。理絵の姿が見えなくなったことで私の心の中には不安が渦巻く。どこに行ってしまったのか。何故来ないでと言ったのか……。
「優、気持ち悪いよ」
右耳に囁かれる。
理絵の声だった。
「気持ち悪い……?」
咄嗟に右を見るが誰もいない。理絵の姿を探すがどこにもいない。
「もう優とはこれ以上一緒にいられないね。だって女の子が好きなんでしょ」
次は左耳から声がした。
「ち、違うよ」
左を見ても理絵の姿はない。
……どうして私の気持ちを理絵が知っているの? 拒絶されているという事実、闇の中での孤独がじわじわと私のHPを削っていく。
「嘘つくのやめてよ。そういう目でずっとあたしのこと見てたんでしょ? 友達だと思ってたのに……」
次は背後から。
浴びせられる容赦のない言葉。振り返る気力も失せ、私は唇をかみながら自分の足元をただ見つめた。
「ガッカリだよ、優」
正面から聞こえてきたその声は私にトドメを刺した。絶望に打ちひしがれる。
私のつま先の先には理絵の足が見えた。声だけだった理絵が姿を現した。でも正面を向くのが怖い。どんな表情をしているのか見るのが怖い。
「うわぁあああ」
振り払うようにして後ろに走ったが、声は付いてきた。どこにも逃げ場がない。
「違うよ理絵、これは違うんだよ。私は女の子が好きなわけじゃないよ……!」
暗闇の中を進む恐怖、追いかけられる恐怖、拒絶される恐怖に情けのない声でもうやめてくれと懇願するが、いくら逃げても理絵の声は私を追いかけ、そして否定する。
足がもつれて転び、地面の前方に手をついた。
「ううぅぅ……」
物理的な痛みではなく、心の痛みが全身を覆っている。
お願いだから嫌いにならないで。
思うことはそれだけだった。
「優もあの子と一緒だったんだよ」
「あの子って……?」
私がそう言うとスポットライトが消え、理絵の姿は消滅した。入れ替わりのように現れたのは、佐竹真由美だった。1年前に私に告白をしてきた女の子だ。
「優ちゃんも女の人が好きなんだ。じゃあ真由美たち、今度こそ付き合えるね」
口元だけ笑った表情で真由美は近づいてきた。
「はぁ……? 待ってよ、なんでそうなるの……」
「優ちゃんは真由美のこと愛してくれるよね……?」
近づいてくる真由美。
動けと命令しても身体は言うことを聞いてくれなかった。
「うわぁあああ!!」
――――――――――――――
目が覚めた。腕で目元を拭う。息は乱れ、額には冷や汗をかいている。息を整えながら天井の照明をぼんやりと見つめていると意識がだんだん覚醒してくるのを感じた。
ドクン、ドクンと心臓に押し出された血が脈打ちながら全身を回っている。
天井に手を伸ばして何度かグーパーを繰り返した。
「夢……か」
ここが現実。さっき起こったものは夢だ。とんでもない悪夢だった。もしあの夢が現実で起こっていたら、どうなっていたことだろう。夢で本当に良かったと思う。
「でも……私は……」
これ以上は言葉に出せない。ここが現実なのに、あれはただの悪夢だったのに……悲しくて切なくていたたまれない気持ちになってくる。
この夢で私は理絵への思いを今度こそ自覚してしまったからだ。それは、私にとって悲劇的なことだった。
真由美に向けていた嫌悪感――。
「そんなの間違っている」と思ったこと。
「気持ち悪い」と思ってしまったこと。
これは紛れもなく、
でも夢の中では理絵から向けられた。私が真由美にそう思ったように、理絵も私のことを軽蔑し、拒絶するかもしれない。そんなことになったら、私はもう生きていくことはできないだろうと思う。
夢で見た映像を現実と照らし合わせた時、吐き気がこみ上げて来た。
「違う、私はそんなんじゃない」
口に出して否定して、自分を安心させようとする。認めたくない。私は真由美とは違うんだと思いたい。だって……おかしい。なんで私が理絵のことを? 今までそんな目で見たことなんてなかったのに。なのにどうして……。
いくら言葉に出したって、一度自覚した感情は消えてはくれない。理絵のことを好きになってしまった。つらい、切ない。息苦しい。
私は耐えきれなくなり、トイレに駆け込んで吐いた。
口から出たものと一緒に私の中に渦巻く闇を全部流してしまいたかった。苦しさで目を瞑ると、脳裏には私を拒絶する理絵の姿が浮かんだ。目を無理やり開けると大粒の涙が頰を伝って流れ落ちる。
理絵だけじゃない。
お母さんが知ったら?
お父さんが知ったら?
妹が知ったら?
クラスメイトが知ったら?
恐怖が私を支配する。
――――私を嫌わないで。
胃の中のものを出し切り、よたよた歩いて部屋に戻ると、携帯のディスプレイが光っていた。
理絵からメッセージだ。
『具合大丈夫?』
……良かった。
現実の理絵からは嫌われていないことに安堵する。
『大丈夫だよ。明日には学校行けそう』
私が抱いてしまったこの感情は絶対に理絵に悟られてはならない。そうすれば私たちはこのままでいられる。夢で見たものを現実で起こさないよう、初めて芽生えた片思いという感情に自ら蓋をした。
私は物語の主人公にはなれない。ならない。
嫌われたくないから。
気持ち悪いと思われたくないから。
失望されたくないから。
好意がバレた瞬間、お互いが不幸になるだけだ。
絶対に叶わない好意。
――『……優が大事だからだよ』
理絵は、私のことを心から心配してくれた。
私の幸せを切に思ってくれる子だ。
それに比べて自分はどうだ。親友が遠くに行ってしまう不安から、理絵が彼氏を作ることを望まなかった。
自分のことばかりで、本気で理絵の幸せを私は考えていたのか?
気持ちを自覚した上で理絵が誰かと付き合うのを想像するのは、これまで以上に胸にくるものがあるけれど――
私だって好きだからこそ心から理絵の幸せを願いたい。私のせいで理絵を不幸にはしたくない。
……理絵を幸せにできるのは私じゃない。ただの親友だから。女だから。物語の中で理絵の恋を応援する脇役だから。
自分の感情に従って関係を飛び越えようとした時点で私も理絵も不幸になるだけだ。彼女の隣にいるべき人間は私ではない。
「深瀬……」
ぽつんと漏れる名前。
深瀬、理絵を幸せにしてあげてよ。そうしたら私もこの気持ちに見切りをつけられるから。
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