第4話 予兆の鼓動

 風が冷気を帯びてきた。

 少し涼しい。冬の訪れの予兆を微かに感じる。

 空には寒色系の色が混じり始め、心なしか人影も以前より少ない気がする。乾いた音、河原から見える風景も全体的に背景に白の絵の具を足したような感じになってきた。



 私と春日井は河原の芝生に寝っ転がっていた。

 理絵との一件以来、春日井は部活がない日はこうして私の隣に来るようになった。そして一緒に日向ぼっこをする日々。もう話すことはないと思っていたけれど、春日井は私に話しかけてくる。春日井が隣にいても別に無害なのでそのままにしていたのを良いことに、気が付いたら奴は「日向ぼっこ部」の部員になっていた。ちなみに部長は私だ。



 空を見ながら話す内容は昨日何食べただの、授業がだるいだの、そんなたわいも無い話ばかり。中身のない会話だ。でも、それで良い。私はぼーっとしながら日向ぼっこするのが好きなんだ。頭を使って考えなくちゃいけないような会話より、何も考えず喋れるこっちの方が心地良かったりする。だからこそ、春日井には私の隣で寝っ転がることを許可している。



 中身のある会話といえば――。

 私は視線を横に向けた。通った鼻筋が見えた。

 春日井は目を瞑って寛いでいた。



「春日井ってまだ理絵のこと好きなの?」


「んー……男ってのは諦めの悪い生き物だからな」



 春日井は目を開くと顔を傾けて、私を見た。寒色系の色を反映した黒い瞳はまっすぐにこちらに向けられている。いつもの砕けた感じとはまた違ったものを感じて、私は視線をずらして再び空を見た。

 まだ理絵のこと好きなんだ。自分に気がないのにあきらめ切れないなんて、残酷な話だよね。



「大変だね。つらそう」


「俺が告ったら気持ち変わるかもしれないじゃん」



 告白されて意識しちゃうことあるよね、それは分かる。



「じゃあ告ってみたら? 私の知ってるかぎりみんな振られてるけど」


「なんだよ、人ごとだと思ってよ。お前も一回こっ酷く振られてみろっての」


「こっ酷く振ってやったことなら何回もあるけどね」


「おえー」



 春日井は喉から気色悪い声を出した。

 その声色から色々悟るものがある。失恋ってそんなつらいもの?



「春日井は私が羨ましい?」


「ん、羨ましい? どゆこと?」


「失恋したことがない私が羨ましい?」


「失恋したことないの?」


「ない」


「言っとくけど、付き合ってから別れてもそれは失恋だからな?」


「先に気持ちが冷めるのは私の方だから失恋したとは言わない」


「そうかよ、まぁ別に羨ましくはねーかな。俺は失恋した分だけ人間的に成長してる自覚があるから。恋愛で傷つくこともあるけど、改めて自分に向き合える機会はもらえてると思うし」



 何それ、かっこつけちゃってさ。経験して良かったなんて思えるくらいなら失恋の痛みなんてたいしたことないじゃん。



「人間的に成長したってどういうこと?」


「えー。経験値積めた的な」


「それで強い魔物を倒せるようになるの?」


「なんだそれ、RPGゲームじゃねーんだから……。知らねーけど、人に優しくはなれるんじゃないかね」



 ……失恋したら優しくなれるなら、私は優しくないってことを春日井は間接的に言いたいのだろうか。



「私は優しくない?」


「優しくない」



 デリカシーない奴。



「春日井大嫌い」


「おら、そういうとこだぞ!」


「優しいって言ってくれたら嫌いで済ませてあげたのに」


「どっちも嫌いじゃねーかよ!」


「……あのさ、妹が最近付き合ったらしい」



 案の定、毎晩毎晩毎晩メッセージアプリでのやりとりを、これ見よとばかりに自慢してくる妹。初めての彼氏で相当浮かれている。私からしたら中学生の恋愛なんておままごとだと思う。でも「好きだよ」なんてメッセージを見たら少し良いな、と思ってしまう。好きな人に好きって言われたらそりゃ浮かれるか。

 対して、もう私は諦めている。妹に彼氏ができた時は焦ったけど、無理して作るのも違う気がした。周りが付き合い始めたからってどうだと言うんだ。

 私は私だ。



 ――妹は、付き合った。

 ――春日井が、付き合ったら?

 ――理絵が、付き合ったら?



 うーん、でもやっぱり寂しいかも。春日井とは最近よく話すけど、きっと付き合ったら「日向ぼっこ部」からは退部するだろうし。

 ……特に理絵が彼氏を作ると思うと特段に切なくなる。可能であれば付き合わないで欲しいなんて思ってしまう。

 周りが付き合わなければ私の心は平和でいられるのにって。劣等感から? ただ私が性格が悪いだけだろうか。



「まじか、おめでたいな。妹いくつなの?」



 春日井はいつものペースで尋ねてきた。



「中2」


「へー。お前良いのかよ、中2の妹にも先越されてんじゃん」


「先越されてなんかないよ。妹より先に私は先輩と付き合ってたんだし」


「ちげーよ、片思い実らせたって意味で言ってんの」


「うるさいなぁ。どうせ私は片思いもできない、人間的成長に欠けた優しくない人間ですよ」


「なんだよ、さっき俺が言ったこと気にしてんの?」


「別に」



 なんで私は、自分から人を好きになれないんだろう。

 なんで好きになってもすぐに冷めてしまうんだろう。



「……そのうちできるんじゃねーの。今はまだ良い人見つけられてないだけでさ。人生まだまだあるんだし、あんま気にすることじゃねーと思うけどな」


「周りが一緒のおもちゃ買ってたら自分も欲しくなるでしょ。そういうもんだよ」


「あーそれは分かる」



 日が落ちてきた。カラスの鳴き声が聞こえる。

 最近、外が暗くなるのが早くなり始めている。こうして日向ぼっこできるのもあと何回だろうか。



「さて、そろそろ行こうか」



 身体を起こしてバッグを肩にかけた。



「おう。あー腹減ったな」



 春日井も身体を起こすと、ぐっと上に伸びながらあくびを漏らした。



「そうだね」


「どっか食いにいく?」


「んー今度」


「……なぁ」


「なに」


「優って呼んでいい?」



 春日井は真面目な表情で言った。妙な雰囲気だ。



「嫌だ」



 そっぽを向いて立ち上がる。



「おい、なんでだよ!」


「春日井に呼ばれると違和感ある」


「親しい友達は名前で呼びたいんだよ!」



 振り返ると、少しむっとした表情の春日井が芝生に座っている。

 親しい……友達……か。



「いつから私と春日井は親しくなったの?」


「放課後よく話してるじゃんか! 本気で傷つくからそういうこと言うのやめろや」


「分かった。じゃあ今日から友達ね」


「本当かわいくねー奴」



 口をとがらせ、やれやれといった感じで立ち上がって私についてくる春日井。

 こうして一緒に帰るのも当たり前みたいになってきた。



 私から人を好きにならないことを知っている春日井、そして理絵が好きな春日井。私と春日井は恋愛的な関係にはならない。だからこそ、こうして友情を保っていられるんだと思う。



 ――――――――――――――



「優」



 ――昼休み。

 箸を止めて、意を決したかのような表情を作った理絵は私を呼んだ。真剣な眼差しが向けられる。



「何?」



 改まってどうしたんだろう。

 箸を持つ私の右手に両手を添える理絵。緊張してるのか手が冷たい。



「春日井と付き合ってるの?」


「は?」



 想定外の言葉に固まる。



「……」



 理絵は私の手を握ったまま無言で見つめている。

 返答待ちの様子だ。



「いや、付き合ってないよ、なんで?」



 確かに最近よく話すようになったことは否定できないが……。



「……クラスの子がね、いつも優と春日井が一緒に帰ったり河原でイチャイチャしてるから付き合ってるのかってあたしに聞いてきたんだよね。最近仲良いみたいだし、あたしが知らないだけで本当にそうなのかなって思って」



 理絵は気まずそうに机の斜め下に目線を移している。



「イチャイチャって……ただ日向ぼっこしてたらアイツが勝手に来ただけだしそんなんじゃないよ」



 クラスメイトに目撃されていたか。誰なんだろう。家近い子とかかな。……まぁ通学路の目立つ場所だったししょうがないと思う。別に見られて困ることじゃないけど、変な誤解はされたくなかった。

 それは春日井のためだ。まだ理絵のことが好きみたいだし、私との噂が立つことは本人にとって良くないんじゃないかと思ったから。でもこうして理絵の耳まで届いてしまった。

 時すでに遅し。



「春日井のこと好き?」



 ちゃんと否定したのに理絵の表情は変わらない。



「ただの友達だよ。別にそういう意味では好きじゃない」


「春日井は優のこと好きなのかな」


「絶対にないと思うよ」



 だって春日井が好きなのはあなたですから。

 自分に光が向いていないと知りながらもあなたを想い続けてますから。



「本当?」



 握られた手に力がこもっている。

 私の目を覗き込むように顔を傾けながら理絵は聞いてきた。



「なんでそんなしつこく聞いて来るの? 理絵は春日井のことも気になってたりすんの?」


「え、違うよ!! 真偽を確かめたいだけ!」



 理絵の両手は更に私の右手を締め付けた。



「……だからないって」


「そっか、なんか安心した……いや、安心っていうのはその、優が誰かと付き合うのが嫌とかそういうんじゃなくて! ……えと、付き合ってるのに報告されてなかったら悲しかったなというか……」



 珍しく理絵が吃っている。

 目は泳いでいて、何度も瞬きを繰り返していた。

 ちょっと面白い。少し意地悪してみたくなってきた。



「ふーん。理絵はさ、私が誰かと付き合ったら嫌?」



 理絵の身体がピクッと跳ね、握られた手の力が少し緩んだ。



「え、嫌じゃないって! ……だっておめでたいことじゃん! 優がそれで幸せだったらあたしも嬉しいし!」


「そっか」



 なんかそれもそれでどうなのかな。ちょっとモヤっとするのなんでだろう。



「……でも……ちゃっと寂しいかも。あたしは彼氏いないから。1人になっちゃうなって……」


「私も理絵が彼氏作ったら寂しい。だって私も彼氏いないから」



 寂しいという言葉を聞いて安心して私も同じように言葉を返した。

 理絵から深瀬が好きだと聞いてから、私は理絵が彼氏を作る想像をしては、寂しい思いをしていた。そんな日はやってこないで欲しいとさえ最近は思ってしまっていた。

 自分だけが懐の狭い人間であるかのようで惨めな気分になる。親友なのに、理絵の幸せを願えないなんて自分は最低だと。

 でも理絵も寂しいんだね。理絵は私が誰かと付き合っても祝福してくれそうだけど、本心はどうなのかな。少しでも付き合わないで欲しいって思ってくれてたら、ちょっと嬉しいかもしれない。私と同じだから。



「もうあたし達で付き合っちゃう?」



 私の左手の指に、自らの左手の指先を絡め、いたずらに笑ってそう言う理絵。また冗談言って。いつも以上にスキンシップがすごい。



 なんて思っていたら急に記憶が蘇りトクンと心臓が鳴った。去年、同性に告白された時のことを思い出した。

 あの時、自分は嫌悪感を抱いた。でも今はどうだろう。理絵の言葉が本気だったらどうだろう。少なくともあの頃感じた不快感は覚えない。その先に踏み込んでも差支えはないだろう、とまで思ってしまっている。



 もし理絵と付き合ったら――。



 恋人同士のそれが脳内に流れてくる。

 心臓が脈打っている。体の体温が上がっていくのを感じる。

 友達なのに、何を考えているんだ私は。



「そうなっちゃったら理絵はもう深瀬と付き合えないね」



 上昇した体温を悟られないよう、手をほどいて話題を変えた。大丈夫、平然を装えてるはず。



「別に気になってるだけで付き合いたいとかは……」


「そういえば図書委員は順調?」



 深瀬と近づくために図書委員になった理絵。最近、近況を聞けていなかった。



「うん。一応。まだ少ししか話せてないけど。連絡先は交換したくらい」



 連絡先は交換したんだ。



「そっか、良かったね」


「ねぇ、今、寂しいって思った?」



 前かがみになってこちらを見てくる瞳。私は思わず目をそらした。

 こういうのなんだか照れ臭い。



『理絵はさ、私が誰かと付き合ったら嫌?』



 でも、自分もさっき同じような質問を理絵にしたし、おあいこか。



「少し思ったかも。でも応援してるよ」


「少ししか思ってくれないの?」



 若干甘え口調に聞こえる。私は理絵から視線を逸らしたまま考える。

 一体何のつもりで聞いてるんだろう、今日は妙に踏み込んでくる気がする。

 いつものように冗談で言ってるんだろうけど、上手い返しがなかなか思いつかない。



「妬かせたいのかな?」


「うん。いっぱい妬いてほしい」



 ニコニコ顔の理絵。

 どう答えたら良いのか分からない。とりあえず話題を変えよう。



「お肉ならいっぱいけどね」



 私はお弁当の中の豚肉をつまんで見せた。



「優、それは面白くないよ」



 と言いながら私の箸からぶら下がるお肉を口で挟む理絵。



「は? 何してんの」



 面白くないなら食うなよ……。

 そもそも君に食べさせるための所作ではなかったんだけど。



「美味しい!」



 モゴモゴと肉を頬張っている。

 肉泥棒め……。私はタレのついた箸を見た。

 妙にリアルな油のテカり。再び体温の上昇を感じた。私、なんか変だ。

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