第3話 君は私の卵焼き

「おはよう!」


「おはよー」

「理絵おはよう」

「おはよう」



 理絵は今日もたくさんのクラスメイトと挨拶を交わしている。朝登校してきただけでこの挨拶量。席が近い人からぽつぽつ声がかかるくらいの私とは大違いだ。理絵と挨拶を交わす生徒は男女関わらずみんな笑顔。爽やかな笑顔でおはようと言われると、抱えている悩みやため込んでいる鬱憤が全部吹っ飛んでしまいそうになるもんね、分かるよ。こうして見ると理絵は人々の心を照らす太陽みたいな存在だよね。

 一方私は、窓際の席で本物の太陽の光をめいっぱい浴びているわけだけれど。夕べはなかなか寝付くことができなかった。眠気が未だに消えず、半開きの目をこすっている頬杖をつく。



「優おはよう」



 肩下まである髪の毛も綺麗にまとまっており、毛先にかけて緩やかなカールを描いている。毎日欠かさずコテとかで頑張っているんだろうな。対して手櫛てぐしで整える自分って何なんだろうな。

 大きすぎず、小さすぎずな形の良い胸。ウエストの少し上の位置でスカートが留められていることもあってか、キュッとしたくびれが強調されてスタイルの良さが際立っている。そして短いスカートからは細く長い白い綺麗な脚。

 理絵の身長は平均くらいで私よりも少し大きい程度。華奢な方ではあるけれど無理なダイエットで顔色が悪いわけでもなく、健康的。そして誰もが振り返るような美人と来た。そりゃモテるわ。外見だけで何一つ勝てる要素がない。隣に並ぶと、劣っている方が私だと間違いなく認識されるだろう。



「優ってば!」


「あっ」



 机を叩かれて我に返る。



「どうしたの? 一瞬無視されたかと思って焦った」


「ごめん、ぼうっとしてた。えっと……何?」


「何って……おはようって……」



 理絵は少し怪訝そうな表情でそう言った。語尾にいくにつれて声が小さくなるような言い方だった。

 意識してやってるのかな。その拗ねた様子もまたかわいらしいですね。



「おはよう……」



 理絵の真似をして、語尾にいくにつれて声が小さくする。



「優のバカ」


「ごめんて。ちょっと眠くて」


「デコピンしてあげよっか。目覚めるよきっと」



 理絵は親指と中指でわっかを作って笑った。



「やめて。先生に言いつけるよ」


「はぁ? そんなんで言いつけないでよ!」


「もう次の授業はじまりますよー席に戻りましょうねー」


「もー、授業中寝るなよー!」



 あっかんべーのポーズをして理絵は自分の席に戻っていった。



 ふうっと一息。

 私が誰かと付き合うためには、まずモテなければならない。モテるためには、モテる人の真似をする。

 それが私の出した結論だった。理絵は格好の的である。こんなにも近くにいてくれて私は運が良い。



『お姉ちゃんは彼氏作んないの?』



 昨日の妹のドヤ顔を思い出すと手が震えた。

 これからきっと毎日毎日毎日毎日、惚気話を延々と聞かされることになるだろう。脱いで対抗したとしてもやがてそれにも慣れてしまうだろう。裸の私を前にしても妹は惚気話をするのを辞めなくなる。その時、私はどうなるか……一糸まとわぬ姿、衣服の暖かさも拠り所にできない中で自慢話を聞くという地獄絵図が生まれてしまう。それだとあまりにも可哀そうだ。私が。



 入りだしは形から。まずは理絵の外見をまず真似するところからだ。顔は変えられないから、できることから意識してみる。自分のやぼったいスカートに目がいった。まずはこれだろうか。手始めにスカートを短くしてみることにした。

 立ち上がり、スカートのウエスト部分を数回、外側に織り込む。仕立て屋さんに頼まなくてもできる簡単な方法でスカートを短くすることができる。すると、外の大気に触れた太ももがひんやりした。慣れない感覚だ。



 視線を感じて後ろを振り返った。オカッパ頭の釜田さんと目が合った。釜田さんは私と視線が合うと、すぐに手元の本に視線を落とした。

 今やばい奴見る目で私のこと見てた気がしたんだけど……。スカート短くするってそんなにおかしいこと? 私がやってると変なのかな。急に恥ずかしくなって元に戻そうかと思ったけど、これではいつまで経っても先に勧めないので一旦は気にしないことにした。



 休み時間になり、教科書を後ろのロッカーに入れるために席を立つと理絵に声をかけられた。



「どうしたの?」


「何が?」


「スカート短くない?」


「理絵に言われたくないんだけど」


「嫌だ、戻して」



 理絵は咄嗟に私のスカートを両手で掴んで、下に引っ張ってきた。

 スカートを下に引っ張ったところで元の丈になんか戻らない。ウエスト部分がきつくなるだけだ。



「やめっ」


「やだ!」



 私はウエスト部分を持ち上げて抵抗する。なんで止められなきゃならないの。自分は短いくせに。



「私の遅めの高校デビューの邪魔をするな!」


「あたしの知ってる優に戻って!」



 屈んで、泣きそうな顔で私のスカートを引っ張る理絵。

 私は逃げるように体を斜めに反らして力を加える。この女……スカート破れたらどうしてくれるんだ。



「あのさー、お前ら何してんの」



 背後で聞き覚えのある低音が聞こえたので振り返ると、春日井がジト目で私たちを見ていた。側から見たら、必死にスカートをずり降ろそうとする女と、それに抵抗する女の絵。



「聞いてよ春日井! 優が急にスカート短くしたの」



 理絵は春日井の肩に手を置いて、私のスカートを指さした。



「べ……別に良いんじゃねぇか? スカートくらい」



 春日井は私のスカートに一瞬目を移した後に頬を赤らめながら答える。内容が内容なだけあって答えづらそうだ。



「良くない! 優がチャラいの嫌! お母さん泣いちゃう。お父さんからも何か言ってやって」



 理絵は春日井の肩の部分を引っ張りながら言った。



「いつから俺はお父さんになったんだよ!」



 春日井は赤面しながらもなんだか嬉しそうだ。理絵にボディタッチされてるのも少なからず影響してそう。

 この2人が実際の夫婦だったらめちゃめちゃ絵になるくらい美男美女なのに。理絵が実際に好きなのは深瀬なんだもんね。



「子供よりもスカート短いお母さんってどうなのかと思うけど……分かったよもう」



 お母さんがあまりにもしつこいので、一旦スカートを元に戻した。



「優……おかえり」



 理絵はしみじみした表情で私にハグをした。フワッとシャンプーの香りがする。良い香りだ。こういうところにもモテポイントというものが出てくるんだ。妹が使ってるコロンを1つ拝借しよう。そうしよう。



「ただいまお母さん」



 背中に手を回して軽くポンポンと理絵の背中を叩いた。

 スカートの丈を短くするのは許してくれなさそうなのでひとまず諦めます。



「俺は何を見せられてるんだ?」



 春日井は頭をかきながら呆れ顔で呟いた。



 ――――――――――――――



 昼休みになった。

 箸で器用に枝豆を持ち上げて1つずつ口に運ぶ理絵。

 小刻みに口が動いていて可愛い。食べるときは私も一度に口に入れる量を少量にしよう。でも、それだとなかなかお腹いっぱいにならなさそうだな。……枝豆ってそもそも箸で食べるものだっけ。

 そんなことを考えていると理絵と目があう。



「今日の優、なんか変」


「なんで?」


「ずっとぼーっとしてる。朝もそうだった。スカートもいきなり短くするし。何かあったの?」



 困り顔で心配する理絵。モテるために理絵の真似をしたい。だから観察しているんですなんて口が裂けても本人には言えない。



 今日1日、意識して見たけれど、理絵は何から何まで魅力的に見えた。運動神経抜群で徒競走はいつも1位なのに威張らず、転んでしまった子には手を差し伸べて保健室まで連れて行っていた。血が少し出るくらいの軽い怪我なのに手厚い。隣の席の青山が消しゴムを落とした時だって、落とした本人に拾わせれば良いところを即座に拾って取ってあげてた。

 こうやって親友の変化にもすぐに気がついて心配してくれるし、本当に良い子だ。スカートのことでガミガミ言われることを除いては。



 そんな容姿も内面も素晴らしい子がなんで私の親友なんだろう。

 クラスのグループはいくつもあるけれど、だいたい似たような人たちが固まっていることが多い。漫画やアニメが好きなグループ、アイドルが好きなグループ、オシャレやコスメが好きなグループ。不思議なもので、一緒に固まっている人たちは容姿のレベルも似通っていると思う。

 私と理絵を比べると何から何まで釣り合わない気がする。フィーリングが合うのでお互いに居心地の良さは感じているのは分かる。一緒にいてくれるのはありがたいけれど……深瀬を好きになるくらいだし、理絵がただのもの好きなだけだったりするのだろうか……。



「別に何かあったわけじゃないよ。……あのさ、理絵ってどうして私と一緒にいてくれるの?」


「どうしてって……そりゃ好きだからに決まってるんじゃん、どうしたのいきなり。熱でもある?」



 ピタッと私のおでこに細い手が添えられた。冷たい。



「冷たいんだけど」


「さっき水で手洗ったからねー。良い冷えピタでしょ?」


「平熱だから。これ以上冷やされると凍る」


「それはさすがに大袈裟すぎない!?」



 理絵の手をやんわりと払った。



「むー」


「理絵は顔もかわいくてスタイルも良くてオシャレで、性格も良くて、明るくて、バカで、それでいて気取ったりしないし、私みたいなのと釣り合わなくない? なんで一緒にいてくれるのかなって思った」


「さりげなく褒め言葉の中でバカって言ったでしょ?」


「言ってない」


「言ったよ! ……釣り合うとかどうかなんて優が決めることじゃないでしょ。誰かにそう言われたの?」


「言われてないけど皆そう思ってると思う」


「あたしは優と一緒にいたいと思ってるからいるけど、優は違うの? 嫌だ?」


「そりゃ一緒にいたいけどさぁ……」


「じゃあそれで良いじゃん、一緒にいよ?」



 理絵の表情は少し不安気だった。連動するかのように私も不安になる。



「理絵みたいな外見になりたかった。そうすれば少しは私も自信持てると思う」


「……待って。スカート丈短くしたのって、もしかしてあたしに揃えようとした?」


「まぁ間違いではない」


「……ねぇ、卵焼きの好きなところ10個言ってみて」


「え」


「言ってみて」


「いきなりそんなこと言われても……あ、味とか?」


「うん、どんな味? まだあるでしょ?」


「だしの効いた味。あとは食感……とか」


「後は?」


「うーん……」



 話題が唐突すぎるし、いきなりそんなこと言われても困る。



「好きな要素なんてすぐパッと出てこないよね。これが他の友達だったら? あたしだったら……? 10個つらつら言える?」



 理絵の好きなところ……フィーリングがあうところ、明るいところ、優しいところ、顔、冗談にサクッと突っ込んでくれるところ……



「理絵だったら5個とかかな」



 パッとはって話で、じっくり考えれば10個は余裕で出てきそう。



「……聞いといてアレだけど、うん……5個か……」


「何かさっきの話と関係あるのそれ」


「あたしにとって優は卵焼きだってこと」


「そのセリフだけ切り抜くとすごいバカみたい」


「あんまバカバカ言わないでよぉ!」


「言ってない」


「言ったよ! ……ねぇ、言いたいこと伝わった? 好きなところをいっぱい言えれば好き度が高くなるわけでもないし、価値が高くなるわけでもないんだよ。あたしも優の好きなところ10個言えって言われたらすぐには言語化できない部分はある……でもめっちゃ好き。優には優の魅力があるんだよ。あたしは優が釣り合ってないなんて全く思ってないから! 逆に一緒にいさせてもらってるとさえ思ってるよ。だから自分を卑下しないでよ……!」



 卵焼きに例えるのはどうかなと思ったけど、理絵の言いたいことはわかった。

 私は理絵みたいに運動できないし、気も効かないし、顔とかスタイルが良いわけじゃないけど、要するに気にするなってことだと思う。



 シンプルな考え方だ。



 性格が明るいから良い、暗いからダメ。

 運動神経が良いから良い、運動ができないからダメ。

 かわいいから良い、ブサイクだからダメ。

 それは私の偏見で生まれたものだ。

 無意識のうちに良い、ダメ、の判断を無理やり枠の中に当てはめて、自分はこうだから劣ってるだとか勝手に決めつけて結果的に自分自身を苦しめることになってしまっていたかもしれない。



 今の例でいうと、理絵は顔もかわいくてスタイルも良くてオシャレで、性格も良い。私は理絵みたいに可愛くないしスタイルもそこまで良くない、性格は悪い、自分は劣っている。釣り合えない、と決めつけてしまっていた。

 でも理絵にとっては、そうは見えていなかった。



 俳優は全ての人が美男美女ではない。

 役柄的に太っている人を求めるポジションもあるし、主人公を支える3枚目のポジションがあるように、世の中は需要と供給で成り立っている。



 比べてどうこう以前に、理絵にとって私は需要のある存在だったというだけの話になる。



「じゃあ今度私の好きなところ10個言えるように言語化しておいて」


「分かった。……釣り合う釣り合わないとかそんなくだらない理由で避けたりしたら泣くからね!?」


「はいはい、避けないよ」



 私からしたら深瀬と理絵は釣り合わないと思うけど、理絵にそんなこと言ったら怒られそうだな。



 周りの目を気にせずに自分の感情、感覚に従って生きる。

 きっとそんな生き方ができれば楽なんだろうけど、無意識に人と比べて劣等感にかられてしまうことはよくあること。



「でも理絵みたいになりたいなと思った」


「そう思ってくれるのは嬉しいけど、あたしはそのままの優が良い……」



 自分を偽って演じて、それで集まってくる人々は本当の友人、恋人とはきっと言えない。理絵の真似をして仮に私に人気が出たとしても、この先も私は「理絵」を演じ続けなければならなくなってしまう。「優」としての要素が失われて、本当の友達はいなくなっていく。よくよく考えると、苦しくなるのは自分だよね。



 人からどう見えるかを気にして、一緒にいる友達を選ぶ人がいる中で、理絵はこんな私でも好きだと、一緒にいたいと言ってくれた。



 これを「本当の友達」とでも言うんだろうか。



 私も理絵の本当の友達でいるために、自分は釣り合わないだとかそんなことを考えるべきではなかったのかもしれない。



――『あたしにとって優は卵焼きなんだよ』



 この一言でだいぶ気づきを得た気がする。理絵って本当すごい。



 一番前の席で机に突っ伏してる角刈りを見る。

 深瀬は幸せ者だな、心の中で呟いた。

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