第2話 私は物語の主人公にはなれない

「理絵の好きな人、春日井じゃなかったよ。残念だったね」



 いつものように河原で日向ぼっこをしていると、横から物音がして春日井が隣に腰掛けてきたので、空を見上げながら不愛想に調査結果を報告した。

 これを聞いて本人はショックかもしれないけど、そんなの知ったこっちゃない。私は頼まれたことをしただけだ。



「えーまじかー。誰が好きだって?」


「それは内緒」



 理絵の好きな人は深瀬だった。

 今までお互い誰が好きなのか、気になっているかなどの恋愛トークはしたことなかったのに、私にならと教えてくれたことだ。簡単に口外してはいけないと思う。だからこれは私の心の中に留めておく。



「ちぇ。あー失恋した」



 両手を組んで思いっきり伸びをしながら春日井はだらしのない声で言った。



「やっぱ好きだったんだね、理絵のこと」


「じゃなきゃあんなこと聞かねーっつーの」


「春日井、失恋中のとこ悪いけど、理絵のどこを好きになったの?」



 理絵は人気者。モテる要素を兼ね備えているから、そりゃそうなんだろうとは思う。でも具体的に春日井は理絵のどんなところを好きになったんだろう。何となく参考までに聞いておきたいと思った。



「え、顔」



 悪びれる様子もなく、返される言葉。



「最低」


「大事じゃん、顔」


「まぁ分からなくもないけど」



 理絵は美人だ。これは認める。至近距離で理絵の顔を見て、心臓が高鳴ったのを思い出す。前から美人だと思っていたけれど、至近距離で見るともっと美人だった。きめ細かい肌。整形でもしたんじゃないかと思うくらいの綺麗な二重に色素の薄い潤った目……あげるとキリがない。

 でも理絵の魅力は顔だけじゃないと思う。気さくで人を選ばない優しさや、ふざけて場を和ませる明るさ、そして屈託のない笑顔。忘れ物が多くておっちょこちょいなところもあるけど、返ってそれが彼女の人間性を際立たせている。飾らない美しさという言葉がピッタリ当てはまる。

 男子は女子を顔で選びがちなように思う。人間の本能的にそれは仕方のないことかもしれないが、春日井が外見だけで理絵を選んだなら出直して欲しいところだ。



「顔だけってのは冗談だよ。でもさ、男は顔から入るってのは間違いじゃねーよ。かわいくないと内面を知りたいってまず思わないから」



 顔が好きになる「きっかけ」か。イメージ的には外見という書類審査を経て、初めて面接フェーズに移って内面を確認していくって感じなのかな。そう考えると容姿の良さって結構重要だね。だって容姿が整ってなくちゃスタートフェーズにも立てないってことでしょ?

 理絵も深瀬の外見から入ったのかな。見上げた青空に深瀬の顔写真が並ぶ。……それはあんま考えづらいな。



「顔の知らない相手と文通してたとして、その人を好きになるってことはある?」



 所詮恋愛は外見なんだと思うのは現実的すぎるというか、夢がない。

 内面に惹かれて好きになるっていうのは絵的には美しいなって思う。



「うーん、考えたことない。仮に好きになっても顔見たら冷めることもあると思う」



 やっぱり顔か。



「私も理絵みたいに美人だったらモテたのかな」


「既にモテてんじゃん」


「そういうのいいから」


「無自覚野郎」


「は?」


「……逆にお前はどうなの。イケメン好きじゃないの?」


「イケメンは好きだよ」



 イケメンとフツメンならイケメンを選ぶに決まってる。でもそれは容姿だけで決めろと言われたらの話だ。春日井みたいに外見だけで決めるような人間にはなりたくないと思う。



「イケメン好きなら俺のことも好きっしょ?」



 何言ってんだろこの人。春日井の方に首を向けると、いたずらな表情を浮かべて私の顔を覗き込んできた。



「顔が良くても内面がゴミだったら嫌だよね。今の質問で春日井の内面が嫌いになったから無理だわ」


「ひっでーなオイ! 今傷心中なんだからもっと優しくしろよ!」



 傷心中のくせに冗談は言えるんじゃん。空元気だったのかな。

 ……片思いってどういう心境なんだろうか。

 私はどんなに外見が良い人がいても、自分から人を好きなったことはない。イケメンだな、と遠目に思うだけで、付き合いたいという感情まで結びつかない。興味が湧かない。

 相手に好意を寄せられて初めて相手を意識し始めてから私の恋愛は始まる。能動的な恋愛をしたことがない私にとっては、片想いという経験がないから春日井の気持ちが分からない。



 風が優しく吹き付け、川が流れる音に木々の揺らめく音が少し交じる。

 小さな男の子が「カップル、カップル」と私たちのことをゆび指さして叫んだ。やめなさい、とその母親が子供の指を握って制止させている。

 あーあ、なんか言われてるじゃん。河原に男女が寝転がってたら誤解を招くのも無理はない。

 自然の音に身を任せている時間は心地良い。私だけの時間だったのに隣に許可なく寝転がって来たのは春日井なんだ。他の人に勘違いされるのが嫌だったらさっさと帰って欲しいと思うが、春日井が動く気配はない。

 そのまま目を閉じた。気まずさもあって春日井の顔を見ることができないから。私たちはしばらく無言だった。



「七瀬は好きな人いねーの?」



 沈黙を断って春日井が話しかけてきた。やけに落ち着いたトーンだった。



「いない」



 目を閉じたまま不愛想に答える。



「つまんねーな」


「私あんまり人を好きにならないんだよね」


「ふーん。でも良太君のことは好きだったんだろ」



 大滝良太。私の元彼の名前だ。



「なんで知ってんの?」


「良太くんは兄貴の幼馴染だったから。今でも結構遊んでる」


「そうなんだ。大滝先輩のことは好きだったよ」


「なんで別れたの」


「なんとなく」


「なんだそれ」


「告られて好きになったけど、付き合ってからは気持ちが離れていった感じかな」



 最初の頃は順調だったのに、毎日を繰り返すうちに彼の存在は私の中で薄くなっていった。



「ふーん」


「告られないと好きにならないんだよね、人のこと」


「意地張っちゃってさ」


「本当のことだよ。片思いしてみたいなー」


「1回もないの?」


「ない」


「まじかー」


「……妹が絶賛片思い中で、今日もだれだれ君と話せたーって聞いてもないのに報告してくるんだよね。話せただけで、妹の1日をあんなに明るくできるなんてすごいよ。楽しそう」



 こう、生き生きしているというか。両想いとは違った、恋が実っていないからこその喜びみたいなものがあるのかな、と思う。



「まぁ確かに楽しいかも。そういう意味では」


「いいなー」


「でもさ、片思いってのは失恋するリスクがあるわけ。すげー好きでも拒絶されたり、告白を断られたらしたら流石にダメージでかいぜ。今の俺みたいにさ。ねぇ、知ってた? 今俺絶賛失恋中なんだけど? 知ってた?」


「そういえばそうだったね」



 失恋の痛みは私にはよく分からない。

 拒絶されたり、振られたらするのは恋を実らせた先――付き合ってても経験することだが、ほとぼりが冷めていつも別れを切り出すのは私の方からだった。長く付き合った相手でも、別れた後に未練が残ることなんてなかった。別れた瞬間に私のキャンパスは真っ白に上書きされるだけなのだ。

 理絵に告白して撃沈している男子を見てきた。人は初めて殴られて、「殴られること」の痛みを知る。彼らはショックを受けているようだったが、どれくらいの攻撃力で心身にダメージを与えてくるものなのか「殴られたこと」のない私にはよく分からないのだ。



「実らない恋ほど辛いものってないよ。告白されないと人のことを好きになれないなんてある意味贅沢な悩みだと思う」



 春日井は小さく言った。



「そっか……」



 春日井も実は落ち込んでいるんだろうというのは今の声の感じからして分かる。しかし、接点のない相手に対して励ましの言葉をかける道理はない。



「いつか自分から好きになった人ができても、お前は失恋とかしなさそうだよな。七瀬から来られたら断らないよ大概は。……まぁ世の中には俺のこと振る人もいるわけだし油断はできないけどよ」


「もういいよ、この話は。帰る」



 失恋中なのに、私のことなんて考えてくれなくて良いよ。なんだか気恥ずかしくなって起き上がり、制服についた草を払った。

 それを見ると、春日井もすかさずに起き上がって草を払った。



「もう帰るのか」


「ついてくんなってー」



 少し早足で距離を取るが、しっかり追いかけられる。



「いいじゃん、クラスメイトなんだし仲良くしようぜ」



 今日も春日井と帰ることになった。



 ――――――――――――――



 誰かを「好きになる」のが始まり。そして「付き合う」が次に来て、その人の物語は進んでいく。RPGのゲームのように。

 もちろん人生は恋愛だけではない。でも高校生の私としては青春を大きく司るものは恋愛だ。私たちが日ごろ聞いている歌の歌詞、「君の名を呼び」過ぎだし、「君に会いた」過ぎ、「会いたくて会えなさ」過ぎ、「もう一人じゃなさ」過ぎ……。

 歌の歌詞は8割が恋愛ソングと言われているように、高校生に関わらずとも常に私たちの周りには恋愛が渦巻いているように見える。



 教室の座席の上に置かれている冒険の書を覗いてみると、ジェットコースターのような恋、おだやかで平和な恋など、ストーリーは十人十色で味がある。理絵の冒険の書、春日井の冒険の書、そして妹の冒険の書……。

 それぞれがそれぞれの物語をプレイヤーとして進めているのに対して、私のゲーム画面は真っ白のまま。私の机の上には冒険の書がない。「好きになる」というスタートラインに立たないから。

 「私」という登場人物は、誰かの物語の中で脇役、あるいはヒロインとしてしか動かない。



 私は物語の主人公にはなれない。



 皆を遠くに感じる自分がいた。別に自分のストーリーを進めたいわけじゃない。ただ、遠いのだ。取り残されたような感覚になる。

 理絵の物語は既に始まっていた。深瀬という気になる相手を見つけたから。私は「親友」というポジションで理絵の物語で生きているんだろう。恋を応援する役割として。春日井の物語の中では私はただの調査員。

 結局は脇役にしかなれないんだ。



「はぁ」



 お風呂に浸かりながら嘆息を漏らす。今になってどうして急にこんな感情に襲われているのか分からない。お風呂のお湯は私の心を温めてくれるわけではない。意味もなく、水面に鼻をつけてぶくぶくと息を吐く。

 誰が誰と付き合おうが私には関係ないのに。でも、身近な人間が自分から離れていくような感覚でモヤモヤする。別に失うわけではないのに。



 理絵に彼氏ができたら――

 喜ぶ。

 やったじゃんってハイタッチくらいはする。

 でも、……寂しい。


 

 きっと今こんなことを考えてしまうのは、理絵に好きな人がいるって分かったからだ。付き合ったら必然的に相手との時間が増えて、私との時間が減ってしまう。そうなったら取り残された気分になる。

 ……きっと理絵はすぐ付き合う。だって理絵の告白を断る男子なんてそういないだろうし。



 私もそろそろ誰かと付き合えっていうことなのかもしれない。理絵が付き合う前に私が誰かと付き合えば、この虚しさはどっかに行ってくれそうな気はしてる。

 でも面倒臭いな。1人って気楽だし。……こう考えてしまうのは、私に好きな人がいないから。

 誰か告ってくれないかな。

 私の一番身近な男子って誰だろう。春日井の顔が過った。



 ……あれは、違うな。

 春日井にとっては私は理絵に近づくための駒だったわけだし。

 理絵の好意は春日井にはなかった。これで話は終わった。もう私と春日井がこれ以上関わる理由はなくなる。



 ――『七瀬は好きな人いねーの?』



 そう聞いてきた彼の姿が脳内で再生される。

 あれはただ私が恋愛相談を受けたからその話の延長線上であって……。

 いや、ないって。私に興味なんてあるはずがない。頬が赤くなるのを感じる。長風呂しすぎてのぼせてしまった。



 風呂から上がると、妹が脱衣所で待ち構えていた。



「ちょ! 何してんの!」



 咄嗟に2つの膨らみと下半身を手で隠す。

 驚かさないでよ。



「お姉ちゃん、私付き合うことになった」



 ニンマリ顔で笑う妹。



「……おめでとう」



 どうやら報告のために風呂の前で待機して待ち構えていたようだ。

 妹は1歩また物語を進めたようだ。私は脱力して身体を隠していた手を垂直に垂らした。



「え、なに、隠してよ!」


「舞が包み隠さず話してくれたから私も隠し事はやめようと思って」


「なにそれ……やめてよ!」


「裸の姉に祝福される感想は?」



 足を大股に開き、両手を広げて大の字になる。



「頭おかしいんじゃないの?」


「このまま抱きしめてあげようか」


「――!」



 妹はそそくさと脱衣所から出て行った。

 バスタオルを手に取って身体についた水分を拭き取る。

 裸を晒せば妹は逃げるということが分かった。あいつがまた彼氏自慢してきたら脱いでやろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る