時の流れの中で

風丸

第1話 動き始めた歯車

 君の好きな人は――



 私ではない。



 知ってる、そんなこと。



 でも、私の好きな人は君だから。

 君の幸せを願う私でいても良いかな。



 『時の流れの中で』



 ――――――――――――――――



 私、七瀬優ななせ ゆうはクラスメイトの成宮理絵なりみや りえのことを好きになった。

 この好き、というのは友達以上……すなわち恋愛感情を含んでいるものだ。



 私は今年で高校2年生。今まで好きになったり付き合ったりしたのは、ずっと男子だった。異性と恋愛するのが当たり前。そんな価値観で生きてきたのに、自分が同性を好きになるなんて、そんなことが起きてしまうなんて思ってもみなかった。



 過去の私は同性愛を否定していた。あり得ないと思っていた。

 でも今はどうだ。当事者になってしまった。そんな最中でどうしても、自分自身を受け入れることができない。「好き」という感情を私自身が許していないのだ。



 これは許されない恋、認められない恋だ。



 こうして自分の感情を否定してしまうのには訳があった。

 あれは高校1年生の夏だった。

 私は同学年の佐竹真由美さたけ まゆみから告白された。球技大会の委員会で知り合った他クラスの女子だ。

 同性に告白されたのは初めてのことだった。困惑した。訳が分からなかった。好きだと告白した彼女に対して、私は「こんなの間違っている」と思った。理解ができなかった。

 同性で且つ友達と思っていた子から性的な目で見られていたということに激しい嫌悪感を抱いた。



「ごめん、付き合えない」



 映画やドラマの中で同性愛者のコンテンツは見たことがあった。それらはフィクションだと思っていた。現実世界で、露骨に姿を現したそれに私は動揺した。多様性、認めていくべきもの。排除すべきではないのは分かっている。けれど、無意識に溢れ出てくる唾棄だきをひた隠しにすることもできなかった。



 告白をその場で断ってから真由美とはそれきりだ。

 同じ学年で同じ階。学校で姿を見かけることはあってもお互いがお互いを見て見ぬ振りだった。私が気まずいと思っているようにきっと真由美もそう思っている。たまたま委員会が同じだっただけでクラスも違うし、お互いが歩み寄らない限りはもう接点を持つことはない。

 だからもう彼女とはこれきりだと思っていた。



 時は経てある日のことだった。


 

 私は、前を歩く2つの影を見つける。真由美が男子生徒と手を繋いで下校していた。真由美は男子と付き合ったのだ。

 その時、「やっぱり、これが正しい」と思った。男子と女子が手を繋いでいる光景はとにかく絵になった。身長の差や体格の差、私が今まで見てきたドラマや漫画の恋愛の形に当てはまっていた。

 そもそも同性である私を好きになるなんておかしな話で、結局は思春期特有の気の迷いだったんだ、と、そう思うことで同性愛に対する違和感を払拭しようとしていたように思う。



 成宮理絵。後に私の親友となる女子。

 高校2年生になり、クラス替えで同じクラスになった。名前順に並んだ、「七瀬」と「成宮」で席が前後になったのが話すきっかけとなった。



「ねぇねぇ、優。教科書忘れちゃったから見せてよ」



 背中をつつかれる。後ろから聞こえる陽気な声。



「私も忘れたから無理」


「なんでそんな嘘つくの? 思いっきり机の上に置いてあるよね??」


「気のせいだと思うよ」


「気のせいじゃないから! 教科書見せるのそんな嫌?」


「忘れた分際のくせに、私が教科書見せる名目で後ろ向いて授業受けるのはおかしいと思う。前後逆だったら良いけど。恨むなら自分の名字を恨むんだな」


「もー! いじわる!! めっちゃ授業妨害してやる〜」



 拗ねた口調。再び背中をつつかれる。こういったように理絵はいつも何かしらちょっかいをかけてくる。それを煩わしくは全く感じない。



 理絵はセミロングの毛先がカールした焦げ茶なヘアスタイルに、短いスカート、胸元の緩んだリボン。見た目は今時の女子高生といった風貌。

 黒髪でスカート丈もそこまで短くない、比較的地味で真面目な部類の自分とは合わない気がしていたけれど、冗談を言い合うような会話パターンが心地良く、打ち解けるのも早かった。

 新学期が始まりしばらくして席替えが行われたが、離ればなれになっても理絵と私の関係は変わらなかった。



 親しみやすい性格に、ぱっちり二重の愛嬌のある可愛らしい顔つきもあってか、理絵は非常にモテた。外見からしてチャラチャラしてるし、勉強や学校行事には不真面目かと思っていたけれどそんなことはなかった。

 程よく抜くけれどやる時はやるのが理絵だ。不真面目そうに見えて真面目で健気なところ、そういうところがギャップがあって人気なのだと思う。



 2年生になって約半年が経った今。

 理絵と2人でいることが当たり前になり、よく男子から話しかけられるようになった。話しかけてくるその大半は私を通じて理絵に近づきたいのが理由だろう。

 男子からの恋愛相談も増えた。もちろん理絵に対して恋愛感情を抱いている男子からだ。またか、と幾度も思うが私が彼女の親友である以上は仕方ない。私は特に人見知りはしないし、話しかけられればそれなりに話せることもあって都合が良いんだと思う。

 私に相談したところで、気の利いたアドバイスなんて、できやしないのに……。



 放課後、特に部活に入っていない私は通学路の河原で、バッグを枕にして生い茂る草の上に横たわり日向ぼっこする。人通りも疎らな中、聞こえる川の音、そして沈んでいく太陽の残した暖かさが心地良くて、ここ最近の放課後は河原に寝っ転がるのが習慣化していた。

 理絵に話したら、制服汚れちゃうじゃんなんて言って笑ってた。背中に草はちょっと付くけど、そんな汚れたりしないよ。理絵は部活に入っていないので、現在おひとり様の「日向ぼっこ部」に誘いたいところだが、彼女の家は逆方向なので諦める。

 


 子供たちの遊ぶ声が微かに聞こえる。今日もこの街は平和だなぁと思いながら目を閉じる。



「あのさ、七瀬。くつろいでるとこアレなんだけど、成宮って今好きな人とかいたりするの?」



 誰かに話しかけられた。目を開けるとクラスメイトの春日井翼かすがい つばさの逆さの顔があった。また恋愛相談ですか。理絵に対する立ち振る舞いや行動からして好きなんだろうとは思っていたけれど。私が1人でいることを良いことに、話しかけてきたようだ。

 野球部で、ピッチャー。坊主頭だけど、眉毛はキリッとしていて、切れ長の目を持つ高身長イケメンの春日井。時折はにかむクシャッとした笑顔は少年のようで、多くの女子の心を掴んでいる。



 私は安らぎの空間を邪魔されて、少し機嫌が悪くなった。



「特に好きな人がいるとかは聞いてないけど」


「お願い、お前ら仲良いじゃん。いるか聞いといてくれると助かる」


「はいはい、じゃあ今度聞いとくよ」



 理絵は言ってくれないけど、結構な人数に告白されているのを知っている。クラスメイトからの噂や、相談を持ちかけてきた男子からの涙の自白もあってか、だいたい把握している。

 でも未だに理絵には彼氏ができない。断っているからだ。春日井ならイケメンだし人気あるし、少しは可能性あるかもね。



 モテモテの理絵に嫉妬している訳ではないけれど、こういった相談が多いといい加減うんざりする。みんな「私」と話したいわけじゃない。自分の存在を利用されているようでやるせない気持ちになる。さっさとどっかに行ってくれないかな、と思っているとドサッと音がして私の隣に春日井が横になった。



「え、何してんの?」


「いや、いつもお前こうやってるから。どんな感じかなと思って」


「感想は?」


「うーん。よく分かんねーけど、青春って感じ?」



 春日井はハハッと笑った。



 私はいつも恋愛に関しては受け身で、告白されて初めて好きになるタイプだから自分から好きになったことはなかった。

 だからよく想像する。この人がもし告白してくれたら私は好きになれるだろうか、と。今の春日井の笑顔を見て直感でなれるかなと思った。親しみやすいし。別に春日井から恋愛対象に見られたいとか思ってるわけじゃないけど。現状こいつは理絵のことが好きなわけだし。



「今日部活は?」


「今日はないよ」


「そっかー。で、いつまでこうしてんの?」


「えー、俺が気の済むまで」


「ふーん。それじゃ私はもう気が済んだから帰るわ」



 このまま一緒にいても話題がないし、この並びは意味が分からなので去ることにする。



「おい、待てよ! 俺も今気が済んだわ、帰る!」


「ついてくんなー」



 クラスメイトの頼み。理絵に好きな人を聞かなければならない。

 思い返せば、あの先生面白いだとか、駅前のパフェが美味しいだとかたわいも無い会話ばかりで恋愛のことは全然話していないなかった。

 親友と聞かれれば、親友だと自信を持って言える。一緒にいると居心地が良いのは確かだ。でも恋愛トークらしいものは全然してこなかった。誰々がイケメンだの、かっこいいだの、そういう話で盛り上がることは時々あるけれど、そこから先に話が派生することはないのだ。そして相談事や誰かの悪口も特に言うことはなく、中身のない会話で私たちは繋がっていた。



 今分かっているのは、お互い彼氏がいないってことくらいだろうか。理絵は高校1年生の頃に半年付き合っていた人が居たって言ってたっけ。

 対して私は2年生に進級してからすぐ、大学生になる先輩と別れた。それ以降はずっとフリーだ。



 ――昼休みでのこと。



「理絵ってさ、今好きな人いる?」



 今日は大好きな卵焼き弁当。

 例の件を聞くならこのタイミングかなと思い、席でお弁当を食べながらさりげなく聞いてみた。



「えーあたしの好きな人……? 唐突だね。優が好きだよ」



 理絵はニコッと笑ってほっぺを人差し指でつついてくる。



「いや、真面目に聞いてるんだけど」



 そういう冗談で話題を晒す作戦だろうが、こっちは真面目に聞いているのだ。



「真面目だよ?」


「ライクじゃなくてラッヴの方で聞いてるんだけど。ラッヴね。ラッッッッヴ」



 唇の形状をフル活用して音を出す。



「うん、ラッッッッッッヴの方で優好きー。優ラブ」


「……はぁ。もういいよそういうの」



 ため息をついて卵焼きを箸でつつく。

 はい、もうこの話は終了。ごめんね春日井、好きな人は私らしいですよ。失恋だね。



「優」


「何?」



 名前を呼ばれたので顔を上げると理絵の顔がいつの間にか至近距離にあった。机に手をついて身を乗り出している。



「優ってさ、よく見ると美人だよね」



 その言葉に、口に入れた卵焼きを吹き出しそうになる。なんで今このタイミングでそれを言う。こんな至近距離に人の顔があったことなんていつぶりだろう。心臓が跳ねた。

 至近距離にある理絵の顔をまじまじと見ると、茶色の瞳に吸い込まれそうになった。まっすぐに向けられた瞳。長い睫毛の下にあるキラキラとした黒星が私を映している。あなたも近くで見ると普段にも増してとてつもなく美人に見えますが。



「いきなりどうしたの? てかよく見るとってひど」


「よく見るとっていうのは失礼だったね。普段からかわいいと思ってたけど、改めて見ると美人さんだなーって思った」



 さっきまでの表情と打って変わって、いたずらな顔をして理絵は笑った。



「美人なんかじゃないよ」


「じー」



 更に近づいてきた顔。



「……なに」


「優があんな質問してくるから。何か企んでるのかなって。表情を観察したら何か読み取れるかもって思った」



 姿勢を戻しながら、理絵は人差し指を上に突き立ててウインクした。



「メンタリストのつもりですか」



 2つ目の卵焼きを頬張る。

 味が分からないくらいに心臓はまだ脈打っていた。不意打ちとはいえズルい。

 美人は同性だろうと相手に顔を近づけるだけで人をドキッとさせられるんだね。



「……実はさ、深瀬のことが気になってるんだ。誰かに言っちゃうと恋が実らないってジンクスがあたしの中にあるから、誰にも言わないって思ってたけど。優とも長い付き合いになるし、この際言っていいかなって」


「え、あの深瀬?」



 理絵からの思わぬ自覚に目を丸くする。深瀬勝ふかせ まさるは同じクラスで、水泳部に所属している男子だ。日焼けで小麦色の肌、水泳で鍛えられた肩幅と胸筋は見事で、逆三角形の上半身。身長は並。顔も並。特にこれといって印象的ではない生徒だが……。



「うん。他に深瀬っていなくない?」


「意外。なんで深瀬? そこは王道の春日井とかじゃないんだね」


「うーん、なんていうか……。あたしもなんで好きか分からないんだけど、なんか気になっちゃうんだよねー」



 恥ずかしそうに顎を引き、目を斜め下に泳がせながら、カールした毛先を指でくるくるしている。



「理絵ならすぐ付き合えそう」



 理絵は可愛いし、性格も明るくてクラスの人気者。深瀬はいわゆるフツメンだ。逆三角形のプロポーションを持っているという以外に、これといって特徴がない。私だったら深瀬と春日井なら絶対に春日井を選ぶ。

 理絵が深瀬レベルの男子を好きになるというのであれば、自分を卑下している多くの男子に夢と希望を与えることになるだろう。



「そうかな? でもまだ全然喋ったことないし。……今度の図書委員の募集、深瀬が立候補するらしくて、あたしもやろーかなって思ってるんだよね」



 図書委員は男女1名ずつ。

 クラスで本を返していない人を取り締まったり、図書室に置いて欲しい本のリクエストをまとめるのが仕事だ。

 地味な仕事だし、理絵が図書委員なんてなんか似合わない。



「読書嫌いなくせに」


「嫌いってわけじゃないし! これを機に好きになるかもしれないじゃん?」


「そうなると良いね。応援してるよ」


「う……うん。っていうか優は? 好きな人いるの?」


「いないよ」


「本当に? 私に言わせておいてそれズルくない?」


「もし好きな人ができたらその時は言うから」


「ねぇ、なんで私に好きな人がいるか聞いてきたの? もしかして深瀬のことが好きって分かってた?」



 先程と同じように理絵は身を乗り出して聞いてきた。

 もう何度私の心臓をビクつかせるのか。近づいてくる顔に人差し指と中指の2本をおでこに当てて静止させた。



「メンタリストモードやめて。深瀬のことが好きなのは初めて知ったし、好きな人を聞いたのはなんとなく。特にこれといって理由なんてないよ」


「そっかぁ」



 なんだか残念そうな表情。

 確かに一方的に、話をさせてしまって悪かったかもしれない。でも、私にならと好きな人を教えてくれたのは嬉しかった。今日は少しは親友らしい会話ができたのかな、と思う。



 春日井、残念だったね。

 私はお弁当箱を片付けて席を立った。

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