第四話 「Diaspora」
ⅰ
賽は投げられた。彼の顔を見つめる。真剣な表情。黙々と、原稿用紙に目を通していく。やがて、彼は顔を上げる。
「なるほど。君の想いは理解できた」
「じゃあ……!」
思わず、飛び上がりそうになる。
「だが、待ってほしい。あくまで『理解できた』というだけだ。それに応えるかどうかは別だ」
目の前が真っ暗になる。振られた……ということなのだろうか?梓はこんな痛みを……
「さて、君の物語に応えるまえに、僕の物語も聞いてほしい。何故ならば、これはぼくたちの物語だからね」
かくして、彼は語りだす。彼の物語を。
『ありがとう。君との日々は楽しかった。この身体のなかに入ってからというもの、僕は孤独を抱えてきた。けれど、君のおかげで、僕の孤独は解消された。やはり、同族というものは良い。だが、お別れの時間だ』
お別れの時間……?どういうことだろう。まさか……!思わず、口を挟もうとする。その瞬間、口元にそっと指があてられる。彼の指だ。いつものように、彼は微笑む。卑怯だ……こんな時に限って……
『そうだね。僕は君に話してこなかったことがある。それは、種としての問題だ。端的に言おう。僕たちは、種としての袋小路にあった。それは何故か。僕たちは、他の生命を媒介にして、その意識を発現させるということを話しただろう? 僕たちはどこまでも広がることができる。この身体に宿ったようにね。だが、言い換えれば、僕たちは、他の生命なくしては存在できないほどに脆弱なんだ。そう、それ自体では意識を持つこともできず、増えることもできない。種と言えるかも怪しいものだ。だが、突破口を見つけた。この袋小路の……』
分からない。彼が何を言っているかを理解できない。種としての問題、袋小路……?
『そして、それを教えてくれたのは他ならない、君だ。僕も君も特殊な事情を抱えるがゆえに、それを封じ込めることを強いられてきた。だが、物語のなかでは自由だった。物語を通して、個を発露し、繋がることができた。そうして、僕たちの物語は広がっていく。きっと、読み手は僕たちのことを様々に解釈するだろう。ある人は、僕のことをクレイジーと言うかもしれない。また、ある人は、好青年と言ってくれるかもしれない。こうして、僕たちは何度も生まれ直すんだ。分かるかい?言語を媒介にして、個はどこまでも広がることができる。そう、これこそが種としての袋小路の突破口だった。確かに、言語を媒介にしており、それを用いるものに依存するという点において、いまだ、種としての脆弱性を抱えていると言えるかもしれない。それでも、これは進化への道程なんだ』
彼は滔々と語る。種の進化を。けれど、わたしにはそのことがさっぱり分からない。急に、彼のことが遠く感じられる。そのまま、手の届かないところに行ってしまいそうで……
彼を繋ぎとめようと手を伸ばす。だが、その手はそっとのけられる。そして、彼はこう言った。
『だから、君の想いに応えることはできない。これからも、僕は種を蒔き続ける。ここではないどこかで。いままで、ありがとう。そして、さようなら』
そう言い終えると、彼は倒れ込んだ。思わず、彼の身体を抱きとめる。そうして、彼の顔を見る。その顔は穏やかだった……まるで、眠っているかのように。背中を冷たいものがつたう。彼の色を確認する。白色だった。そこなしの空虚。そこに、彼はいなかった。そうして、わたしの初恋は終わった。ある春の日のことだった。
ⅱ
エンドマークは打たれた。だから、ここからは、エピローグだ。結局、わたしたちの作品が表彰されることはなかった。審査員によると、話が飛躍しすぎとのことだった。それでも、わたしたちの作品は、一冊の本に纏められ、図書館に置かれた。他の作品と一緒にであるが。彼に言わせれば、これも種が広がるための道程なのだろう。彼はここまで見透かしていたのだろうか。
あれから、何度目の春になるだろう。あれからも、わたしは小説を書き続けている。勿論、専業というわけにはいかない。アルバイトをしながら、細々と食いつないでいる。梓はある出版社の編集者になった。なんでも、わたしが小説を書くならば、その手伝いをしたいらしい。どこまでも純粋な想い。いまだに、彼女には頭が上がらない。どうして、そこまでして、小説を書くのかと聞かれたことがある。いまだ、わたしは、彼を諦めきれずにいる。自分でも馬鹿げているとは思う。あの日、宙野くんの身体から、彼は忽然と消えてしまった。彼の言葉を信じるならば、今も、彼は種を蒔き続けているのだろう。言葉を通して……きっと、わたしは期待しているんだ。わたしの言葉が届くことを。
だから、わたしは種を蒔く。ささやかな祈りをこめて。彼、あるいは、いつかのわたしのように、苦しみや孤独を抱える人に届きますように と。そして、いつの日か、わたしの種が実を結び、花開かんことを。
宙に捧げられし祈りたち~Scattered wishes to cosmos~ 仔月 @submoon01
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