第二話 「わたしと彼の物語」
ⅷ
自分の耳を疑う。聞き違いではないだろうか?
「えっと。『少年はね……宇宙人なんだ』と聞こえたのだけれど……?」
「そのとおりだとも。少年は宇宙人だ。より正確に言うならば……」
チャイムが鳴る。予鈴だ。もう、これほどの時間が経っていただなんて……
「おっと、時間がきてしまったようだ。それでは、放課後にまた会おう。この屋上で」
背を向け、立ち去ろうとする。思わず、呼び止めてしまう。
「待って、最後に一つだけ。」
「なんだい?」
「ここであったこと……いいえ、これから起こることは秘密にしておいてほしいの。教室では、いままでと変わらないようにしてほしい……」
「共作を行っていることが露見すると危ういからかい?」
「それもある……けれど……」
言葉に詰まる。風の音だけが聞こえてくる。どう……伝えればいい?
「これはぼくたちの共同戦線だから だろ?」
そう言って、彼は微笑む。心は定まった。彼が、わたしの意図を明確に把握できているかは分からない。それでも、賽は投げられたのだ。
「ええ、そうね」
「大丈夫、みだりに口外することはしないさ。君がそうであるように、僕にも事情があるからね。それじゃあ」
屋上のドアが閉まる。不安がないわけではない。当然だ。なにせ、自身の能力を間接的に明かしてしまったのだから。それに、彼のことを信頼していいかもわからない。けれど、どこか心地よいものがあった。そう、わずかな解放感。誰にも話すことができなかった。孤独だった。それでも、秘密を共有するものができたかもしれない。その事実が、わたしの心を満たしていく。
「っと、マズイ。わたしも行かないと」
扉を勢いよく開ける。これから始まるのだ。「わたしの物語」が
ⅸ
本鈴がなる。それと同時に席につく。ギリギリだった。わずかに冷や汗をかく。入学して以来、遅刻はおろか、欠席したこともない。遅刻してしまった日には、父と母がどのような顔をするか……とにかく、間に合って良かった。
「透華(とうか)、おはよう~珍しいね。透華が遅刻しそうになるなんて、もしかして、初めて?」
「梓……おはよう。ええ、初めてよ」
「そういえば、宙野(そらの)くんも遅刻しそうになってたね。びっくりしたよ~もしかして、何かあった?」
思わず、顔がこわばりそうになる。鋭い。表面上、梓はのんびりとしている。おっとりした口調もあって、そのように判断されることは多いらしい。けれど、彼女の眼は本物だ。このまえの悪夢の件のように、他者の心の機微を敏感に察する。
「いえ、たまたまよ。今朝は家の用事があわただしくて、そのせいで遅れてしまったの」
また、嘘をついてしまった。罪悪感が心を締めつける。だが、あのことを話すわけにはいかない。今や、この問題には彼も関わっているのだから。
「そっか~ごめんね。変なことをきいて」
恐らく、完全に納得したわけではないのだろう。その証拠に、心がわずかにくすんでいる。彼と交流を重ねることが増えれば、このようなことも増えてくるだろう。そうなれば、梓に隠し通すことはできないかもしれない……いや、隠し通さなければならない。そう気持ちを改める。
ⅹ
屋上への階段を昇っていく。彼の言葉の続きが気になって、授業に集中することができなかった。一刻も早く、このモヤモヤを取り除きたい。もう、彼は来ているのだろうか。そのことを確かめるべく、屋上の扉を勢いよく開ける。そこには彼の姿があった。念のため、色を確認する。間違いない。
「随分と早いのね。いつから、来ていたの?」
「やあ、ついさっき、来たところさ」
まるで、デートの会話だ。こんな会話をしたかったのではない。頭を切り替える。
「さて、今朝の言葉の続きを聞かせてもらえるのかしら?」
「勿論だとも。だが、長い話になる。立ちっぱなしでは辛いだろう?どこか落ち着けるところを探そう。そうだね……あそこなんていいんじゃないかな」
そう言って、彼は屋上の隅を指さす。給水塔だ。ちょうど、そこには日陰ができている。
「そうね。じゃあ、そうしましょうか」
給水塔に背をもたれさせ、腰をおろす。瞬間、おしりにヒンヤリとした感触が広がる。思わず、変な声が出そうになる。どうやら、ここはあまり日に当たらないところのようだ。少し考えてみれば、十分に分かることだった……
「もしかして……知っていたの?」
「まさか、知っていたなら、事前に伝えているさ。だが、配慮が欠けていたことは確かだ。すまない」
さらりと言い放つ。今も、彼の心の色を正確に読み取ることはできない。だから、彼が何を考えているかまでは分からない。それでも、悪気はないのだろう。恐らく……
「とにかく……続きを話してもらえるかしら?」
「いいとも、まず、少年は宇宙人だ。正確に言うならば、少年には宇宙人が寄生している。そして、これはその遍歴の物語だ」
そう言って、彼は語り始めた。
ⅺ
「彼の故郷はこの宇宙のどこかにあった。そこには、いくつもの種族がいた。ちょうど、この地球のようにね。そして、それぞれの種族たちは各々の土地と資源を求めて、争い続けていた。土地も資源も有限であったから、不足するものは補うしかない。他のなにかで……やがて、争いは終結する。ある種族の台頭をもって。そう、彼はその種族に属していたんだ。だが、その種族は星を統べるだけでは飽き足りなかった……ここまではいいかい?」
あまりに突飛な話だ。それに、いくつもの疑問が浮かび上がってくる。
「ちょっと待って。『少年には宇宙人が寄生している』って言ったわよね。でも、今までの話には寄生なんて言葉は一度も……それに「この宇宙のどこか」ってどこ?」
「もっともな疑問だ。一つずつ答えていこう。まず、寄生という言葉はでてきていないこと。まだ、物語は始まったばかりだ。焦る必要はない。この疑問には後で答えよう。さて、「この宇宙のどこか」とはどこか。申し訳ないが、この質問については、答えられない。何故ならば、彼もそのことを知らないからだ。だからこそ、「この宇宙のどこか」と表現した。これでいいかい」
「……ええ。釈然としないところもあるけど、分かったわ」
要するに、彼も故郷がどこにあるかを知らないのだろう。だが、そんなことがありえるのだろうか?
「では、物語の続きを語ろう」
「さて、その種族はどうしたか。まず、宙を目指した。何故ならば、彼らは地に満ち足りていたからだ。だが、その道は前途多難だった。なにせ、飛べないものを宙に打ち上げようというのだから。当然、計画が成就するまで、いくつもの犠牲があった。たくさん亡くなった。それでも、諦めることはなかった。そうして、彼らは宙に辿り着く。新しい時代の始まりだ」
彼は滔々と語る。種の歴史を。
「ところで、一つ質問してもいいかしら?」
「構わないとも。何だい?」
「どうして、その種族は宙を目指したのかしら?たくさんの犠牲を出してまで、それを成し遂げる必要はあったのかしら」
「なるほど。確かに、フィクションにおいて、理由は重要であると聞く。そう考えれば、君の疑問も尤もだ。質問に答えよう。何かを目指すことに理由は必要かい?彼らは気になったんだ。そこには何があるのか」
「それだけ……?たった、それだけなの?」
「ああ、それだけさ。それで十分だろう」
分からない、宙を目指す理由も、彼がそれで十分だと考えていることも……思えば、未知のものを目指し、それに邁進したことなどないかもしれない。それもそうだ。幼いころから、自分に枷をはめてきたのだから……
「疑問は解消できたかい?」
彼が問いかけてくる。心の色を読もうとする。が、そこにあるものは形容しがたいものだ。いまだ、彼の心は分からない。けれど、今は信じるしかない。彼の言葉を。
「ええ、大丈夫。続けて」
「どこまで話したかな……そうそう。新しい時代が幕を開けた。彼らは宙に拡がろうとした。だが、上手くいかなかった」
「え……」
まさか……でも、それならば、彼が寄生していることの説明がつかない。
「ふふっ、どうやら、困惑しているようだね。それもそうだ。計画が頓挫していては、どのような経緯をもって、彼が少年に辿り着いたのかが分からない。でも、計画は頓挫した。このことに間違いはない」
「じゃあ、どうやって……?」
「話を戻そう。計画は上手くいかなかった。それは何故か?彼らは宙を甘く見ていた。そう、異なる星の環境に適応することは困難であったからだ。この問題を解消することなくして、計画の成功はなかった。だが、彼らが折れることはなかった。問題を解決すべく、ある技術を生み出した」
「ある技術……?それは何なの?そもそも、その種族の技術ってどういうものなの?」
いくつもの疑問が浮かび上がってくる。
「そうだね。簡潔に説明するならば、彼らは生命の構造に干渉することを得意としていた。そう、微細な機械を用いることによって、生体を作り替えようとした。あらゆる環境に適応できるものに」
微細な機械?ナノテクノロジーのようなものだろうか。彼の物語を理解しようと、頭を必死に働かせる。
「それで?その計画は成功したの?」
一応、尋ねてみる。だが、そんなものが成功するわけない。何故なら……
「勿論、駄目だったとも。まず、あらゆる環境に適応できるもの という前提が馬鹿げているからね。何事にも想定外というものは存在するものだ。そして、想定外がある以上、その計画が頓挫することは約束されているようなものだ。だが、彼らは諦めなかった。自分たちの肉体を改造することに失敗した。それならば、元からあるものを利用すればいい」
「まさか……それで寄生することにしたの?」
「ご名答!彼らは他の星の生命を利用しようとした。まず、ナノマシンを挿入することによって、器官のなかに、微細な網の目を構築する。その網の目は彼らの神経のパターンを模している。やがて、それは意識を創発し、他の星の生命のなかに、彼らの意識が再現されると。これならば、さきの問題を解決することができる。だが、この計画も難航した」
「なるほどね。星々の環境には違いがある。そして、それらの違いは生態に影響を与えうる。そうなれば、規格も異なってくるかもしれない。つまり、規格の違いをどのように乗り越えるかで難航していたというわけ?」
「そのとおり。決して、着想は悪くなかった。だが、その計画を実現するには、困難があった。そう、君が指摘したとおりだ。彼らはいくつもの星々を巡り、生命の多様性に驚愕させられた。一つの種に適合可能なものを作り出すことならば、可能だったかもしれない。けれど、彼らが目指したものは、あらゆる生命に適合可能なものだった……」
何という計画なのだろう。頭がどうにかなりそうになる。
「それで……計画はどうなったの……失敗したのよね?」
「では、続きを語ろう。彼らは計画を推し進め、やがて、一つの問題に行き着いた。それは、暫定的なものが完成したとして、それが機能するかどうかは、実際に試してみないと分からないということだ。何せ、規格が違う。そうして、彼らは宙へと旅立った。計画の成就を夢見て。だが、不幸なことに、彼らの船は事故にあってしまう。隕石との衝突だ。宇宙航行において、隕石との衝突の確率は限りなく低いとされる。それでも、事故は起こってしまった。彼らの船は修復不可能なダメージを受けた。もはや、母星に帰ることはかなわない。だから、彼らは希望をたくした。ナノマシンに」
そんな馬鹿な話が……それでは、彼がここにいることは偶然の産物ということになってしまう。
「ナノマシンには、彼らの神経のパターンが記録されていた。それらを蒔いたんだ。祈りをこめて。恐らく、長い長い時間がかかったのだろう。それでも、試みは成功した。偶然だけどね」
「まさか、それが彼だというの?」
「ああ、そうさ。遍歴の末、彼は少年のもとに辿り着いた。そこまでにどのような経緯があったかは分からない。なにせ、ナノマシンはそれ自体では機能しない。他の生命の身体を苗床として、網の目を広がらせる。そう、意識がないのだから、何があったのかを知ることはできない。気が付いたら、彼の意識は少年のもとにあった」
なるほど。それならば、母星がどこにあるのかを知らないことに頷ける。意識がないならば、どういう経路をもって、ここに辿り着いたかなんてこと、分かるはずもないのだから。.
「それで?少年は……」
口元に指をあてられる。一瞬、何が起こったのかが分からなかった。そして、彼のしたことを理解し、後ずさる。
「なにを……するの……!」
「すまない。でも、僕ばかりが話していては不公平じゃないか。これは共作だろう。君のプロットも聞かせてほしい」
確かに、これはわたしが持ちかけたものだ。だから、そうしなければならない理由がある。けれど、あんなことをしなくても……
「分かった。それについては謝るわ。ごめんなさい……けれど、あれは……びっくりする…」
言葉に詰まる。どうにも、こういうことは苦手だ。あんな距離で、異性と接することなんて、今までなかったのだから……
「……すまない。どうやら、君を傷つけてしまったらしい。以後、こういうことは控える」
勿論、彼の心の色を読むことはできない。けれど、彼の表情はあまりに真剣で……
「分かった……でも、次はないわよ……」
自分の頬を軽くたたき、気を取り直す。次はわたしの番だ。
間接的に、自身の過去を明かすのだ。そこに抵抗がないわけではない。だが、彼は語ってみせた。ならば、応えなければならない。そうして、わたしは語り出す。少女の遍歴を。
ⅻ
息をつく。語りきった。これがわたしの全てだ。思わず、彼の顔を見てしまう。語っているときはそのことに精一杯で、彼がどんな顔をしているかを意識していなかった。彼は真剣な表情をしていた。心の色は見えない。けれど、しっかりと受け止めてくれたという感覚がある。
「なるほど……色々と合点がいったよ。僕たちがこの物語を紡ぎ始めたのは必然だったのかもしれない。」
「……どういうことかしら?」
「そうだね。それを語るまえに、君には彼の遍歴の末を知ってほしい。少年の身体に宿り、どうなったのかを……」
「彼は意識を取り戻した。だが、まわりには見知らぬものだらけだった。最初、状況を理解することができなかった。言葉、文化、あらゆるものが未知だった。けれど、時間を経て、彼は学びとっていく。地球の文化を。それにあたっては、ナノマシンが大きな助けとなってくれた。少年の脳内では、ナノマシンが網の目を張り巡らし、少年の記憶領域と彼の記憶領域の橋渡しをしてくれた。おかげで、言語を習熟するのにそれほどの時間を要さなかった。やがて、彼は表出する。そう、物足りなかったからだ。少年のなかにいるとき、彼は夢を見ているようだった。そうだね……一人称視点のRPGを想像してもらえればいい。ところで、RPGは知っているかい?」
「RPG……名前だけは知っているわ。やったことはないけれど……」
「ふむ。RPGというのはRole Playing Game の略称だね。一般的に、プレイヤーがゲームの人物になりきり、ゲームが進行するものの総称らしい。まあ、僕もやったことはないんだけどね。そうだね……知らないなら、カメラを意識してもらえばいい。彼にとって、世界とはレンズ越しに覗かれたようなものだった」
それならば、わたしにも分かる。それよりも、一つの疑問があった。
「彼にとって、世界がどのように感じられるかは分かったわ。ところで、少年にとって、世界はどのように感じられたのかしら?例えば、彼が表出しているときは……?」
そう、これは彼の物語だ。つまり、今の彼はこの物語の延長線上にある。だからこそ、彼が表出しているとき、宙野(そらの)くんは何を感じているのかが気になった。
「そうだね。彼は少年ではない。だから、少年が何を感じているかまでは分からない。けれど、類推するならば、少年にとっても、彼が表出しているとき、世界はレンズ越しに覗かれたもののように感じられるのだろう。もっとも、その現象に対して、少年がどのように整合性をつけているのかは分からないけどね。」
なるほど。事情が見えてきた。だからこそ、『あなたは誰?』という質問をぶつけても、ボロを出さなかったのだろう。それもそうだ。彼の話が真実ならば、今、この瞬間の会話も宙野くんは知覚していることになる。そして、わたしの疑問を肯定したならば、自分のなかに、異質な存在があることを意識させることになってしまう……
「話を戻そう。少年の視界を通して、あらゆるものを経験することはできる。だが、そこには『彩り』がなかった。味気なかったんだ。そうして、彼は外の世界を知り、その『彩り』に圧倒された。ああ、今までに見てきたものは何だったのかと。世界の美しさに魅了され、彼は有頂天になる。これがまずかった。気付いたときには取返しがつかなくなっていた。確かに、彼は言語を習熟した。だが、文化についてはまだまだ未熟だった。そのこともあって、彼はあちこちで奇妙な振る舞いを見せてしまった。結果は容易に想像できるだろう。少年は排斥された。周囲の友達、そして、家族からも。彼は自身の過ちに気が付いた。少年の社会的立場を危うくすることは自身の立場を揺るがしかねないこと。幸いなことに、少年は当時のことを覚えていないらしい。よほど、辛かったのだろう。そうして、彼は学び取っていった。『社会的な振る舞い』を。誰にも悟られないよう、少年を演じきることを……」
そう言い終え、彼は息をつく。
「これで分かっただろう。彼と少女は……」
「同族なのだと」「同族だ……」
確かに、それぞれの事情は異なる。だが、いずれも特殊な事情を抱えるがゆえに、それを封じ込めることを強いられてきた。そう、わたしたちは孤独を抱えてきた。勿論、同じというわけではない。けれども、重なるところはある。そんなわたしたちだからこそ、できることがある。
「改めて、僕からもお願いしたい。共同戦線を張らないかい?」
「ええ、そうね。共同戦線、張りましょう」
今朝の言葉が繰り返される。でも、そこに込められたものは異なる。共感、同族意識、それらがわたしたちを結びつける。このとき、わたしと彼の物語が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます