八月二日その二

 一目惚れだった。

 来栖はまさしく一瞬で恋に落ちた。

「おっ、新しい娘?」

 ハシモトが切り出す。

「はい、今日からお世話になります、愛理です」

 やや緊張した面持ちで、体をくねらせながら愛理は答えた。

 なんて可愛らしい娘だろう。来栖の脳内でドーパミンがどんどん分泌されていく。

 目鼻立ちがくっきりしていて、気が強そうなくらいの印象を受ける顔立ちなのに、はにかみ屋さんなのだ。それがどうにも来栖の庇護心をくすぐった。

「俺はハシモト、でこっちの冴えないのが来栖」

 デリカシーのない紹介をしてくれる。

「来栖です。ここにはちょくちょく飲みに来てます」

「そうなんですね。よろしくお願いします!」

「でさぁ、誰でも蘇らせられるアプリってのがあるんだけどね」

 今はそんな話はどうでもいい。

「それすごく気になります!」

 愛理は乗り気だった。

 ハシモトは再びサークルオブライフについて説明を始めた。

 実際に、マイクロチップを生きた人間に埋め込むという技術は確立されていて、スウェーデンでは四千人以上が実施をしているそうだ。

 それについてはもちろん、人格をコンピューターに移すなどと大それた用途ではないのだが、確かに存在する技術という事だった。

 しかしそれと死者をどう結びつけるか?

 頭の中には納得出来ず疑念が残る。

「話はまあ分かったけど、アプリ自体はダウンロードしたのか?」

 来栖は煙草のフィルターを上にして、カウンターにトン、トンと叩く。来栖の酔った時のクセの一つだ。

「それがさあ、ストアからではダウンロード出来ないんだよ」

「どういう事ですか?」

 愛理が身を乗り出し尋ねる。黒いワンピースから胸元を覗かせる。

 来栖はつい見てしまうが何か罪悪感のような、自己嫌悪のようなものに襲われ、すぐに視線をハシモトにやる。

「コンピューターの事は俺も詳しくないんだけどさ、スマホを改造して入れないといけないみたいなんだよね」

 スマホを改造。OSの縛りから抜け出す必要でもあるのだろうか。

「データ自体はネットに転がってんの?」

 いつのまにかきょっつぁんまで話に参加している。

「いや、それがいくら探しても見つからないんだよね。だからまず、記事を書いたライターの元を訪ねようと思ってる。もうすぐお盆だしさ」

 ハシモトは昔から興味がある事への探究心、行動力は他の追随を許さない所がある。

「お前は自称物書きなんだから、お盆関係ないじゃん」

 チェーン居酒屋の店舗マネージャーとしてキリキリ働いている来栖にとっては、ハシモトのフットワークの軽さが羨ましい。

「自称は余計だよ。一応書籍化もしたんだ。三百部しか売れなかったけどな」

 それに、とハシモトは付け足す。

「みんな休んでる時の方が堂々と休めるってもんだよ」

「そういうもんか?」

「そういうもんだ」

 そういうもんなのか。

「私も行きたいです!」

 愛理ちゃんが一枚噛むのか。目尻を下げて柔らかく微笑む瞳に吸い込まれそうになる。

「場所はどこにあんの?」

 きょっつぁんが質問する。話を聞いてわくわくしているのか、ガッツリと刈り上げられた後頭部をジョリジョリ撫でている。

「福島だよ」

「福島?! 移動手段は?」

「金ないからなあ。アースマラソンになるな」

 ハシモトは事もなげに答える。

 存在するかどうかも分からないものの為に東北まで走るのか。

「そしたら俺が車出すよ。来栖はどうすんの?」

 はっきり言って、サークルオブライフについて興味がない訳ではなかった。愛理ちゃんも興味を示しているようだし。

 しかしながら仕事に穴を空けるのは駄目だ。何か問題が発生すれば対応するのは来栖なのだ。

「俺も行くよ! お盆は予定を空けておく」

 先ほどの懸念にケリを入れて決断した。

「私も行きたいんだけど」

 声のする方を見ると、いつの間に酔ったのか、たこみたいに顔を赤らめたサキがいた。

 サキはこんな話は馬鹿馬鹿しいと一蹴するタイプだと思っていた。自分の下らない先入観に喝を入れる。

「いいね! そうしたらお盆前にまたみんなに連絡入れるよ」

 ハシモトが話を締め、いつものドンチャン騒ぎが始まった。

 あとの記憶といえば、ハシモトが泣きながらレイニーブルーを歌った事、きょっつぁんが煙草の葉の部分を口に咥えフィルターに火をつけてしまい盛大にむせた事、酔っ払ったサキが来栖の二の腕にしがみついてきた事くらいだった。


「おっ、すいません」

 左手をあげる。念願のタクシーにありつけた。

 近頃増えてきた東京オリンピック仕様の、妙に天井の高いタクシーだ。

 タクシーの中はたっぷり冷房が効いていて、汗ぐっしょりの体を即座に癒してくれた。

 タクシーでの記憶はほとんどない。決して筆者の怠慢ではなく、単純に来栖は体力の限界を迎えていた。


「あっ、ここで止めてください」

 いつのまにか来栖の家のすぐそばまで来ていた。料金をクレジットで切ると、タクシーから降りる。

「若いの、お酒はほどほどにしときなさいよ」

 なぜか運転手にたしなめられる。

「あ、はい。すみませんでした」

 つい謝ってしまう。

「ちっ」

 運転手は追い打ちで舌打ちまで浴びせ、アクセルを吹かし去っていった。

 来栖は今更になって腹が立ったが後の祭りなのであった。

「そんなに吹かさんでも車は走んねん」

 ベンチに座ってハイボール缶を片手に持つおじさんが来栖の気持ちを代弁してくれた。

 タクシーから降りると再び灼熱地獄に見舞われる。もくもくと湿気を帯びた熱気が来栖の体にまとわりつき、その熱気の海をかき分けるようにして歩く。

 左手の駐在所から二本目の十字路を左に曲がれば来栖の家はある。

 家に着くと、鍵を閉め、明かりをつけ、冷房を入れ、換気扇を回す。

 この一連の流れるような動作を煙草に火をつける事で締めくくると、深くゆっくりと煙を吸い込む。

 吐き出した煙は空間を漂い、気の向くままに軌道を変え、姿形を変え、最後は換気扇のファンへと収束する。

 人生の縮図かよ。来栖はこんな事でもセンチメンタルな気分になってしまうシャバガキであった。

 これは、そんなシャバガキがトッポい兄ちゃんへと成長する冒険譚である。


 というのは嘘である。次回、愛理編に続く

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