八月一日
「来栖、誕生日おめでとう!」
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スナック「酔花(すいか)」のマスター、きょっつぁんが小気味の良い音を立ててシャンパンのコルクを飛ばす。
この酔花というスナックは、世田谷の金持ちや芸能人がこぞって豪邸を構える高級住宅街の隣町で(対照的にその町はずいぶん田舎臭く、東京のミリ刻みの土地への厳しさを感じる)、潰れようが潰れまいがどうだっていいという面構えの小汚いビルの二階の一室を借りて営業していて、外観からしてかなり怪しい雰囲気を漂わせているのだが、数年前に、縁あって来栖はきょっつぁんと知り合い、以来週末は酔花に顔を出してしたたかに酒を飲むというのが習慣になっていた。
「ありがとう!」
来栖は精一杯の大声を出して喜びを表現する。シラフで調子に乗るのは少し恥ずかしい。
きょっつぁんはそのまま卓上に並べられたシャンパングラスに精緻に均一にシャンパンを注ぐ。
「じゃあ、主役の来栖。 乾杯の音頭を」
幼馴染のハシモトが場を仕切る。皆の視線が来栖に集中する。
少しの緊張と興奮で体を震わせながらグラスを傾ける。
「えー、今日はね、僕みたいなもんのためにね、集まってもらってね」
「かんぱーい!」
誰かが水を差しさっさと乾杯する。
シャンパンを勢いよく喉に流し込む。強烈な酸味と炭酸を気合いで乗り切る。
来栖はシャンパンが苦手だった。というよりは、来栖にとって心を許せる唯一の酒は焼酎だけだった。
麦焼酎のソーダ割、それが来栖の短い人生ではじき出した一番「安全」な酒だった。それ以外の酒は、いつ胃の中で反逆の炎を燃やし、喉元へと総攻撃を仕掛けてくるか分からない。
今まさに胃に流し込んでいるそれは反骨精神にあふれていて、重力に逆らって上へ上へ登ろうとしてくる。右胸を軽く叩き、何とか落ち着かせると、軽く周囲に目線をやる。
来栖の為に集まった人数はざっと四人といったところか。
あとは近辺の店ではほぼ出禁の申し出を受けているろくでもないおっさん達が数人シャンパンのおこぼれに預かっている。
「来栖、はい」
おそらく酔花の売り上げのほぼ全てを背負っているであろうサキが、丸いガラスの灰皿を来栖のグラスの隣に置く。
短く切りそろえた前髪、化粧は薄いが口紅だけは一際明るく、端正な顔立ちを強調させていた。
「誕生日おめでとう。二十二歳になったんだっけ?」
少し前かがみになって尋ねる。ブルガリの香水の匂いが鼻につく。この人は少々香水をつけすぎなのだ。
しかしその暴力的なエロスにくらくらしつつ、
「そうですよ。これでサキさんとタメだな」
と平静を装い返す。何だかんだとドレスがエロい。
「学年は一個下じゃん」
焼酎の水割りを作りながら来栖の返しを受け流す。
「そういえば今日、新しい女の子が入ってるよ」
きょっつぁんが煙草を吹かしながら話しかけてくる。
「マジ?楽しみだな!」
酔花は長らくきょっつぁんとサキさんだけでお店を切り盛りしていたので、新しい女の子と聞くと自然に期待が高まる。
「今裏で支度してるだろうから、あと少ししたら来るんじゃないかな」
来栖の反応を見てきょっつぁんはある程度見透かしているのだろう。
にやにやしながら来栖を見ている。
来栖は全然期待してない風を装い、焼酎の水割りを飲んだ。
美味くはないけど不味くもない。酔っ払う為の道具。いつもの感想だ。
「なあ来栖」
ハシモトが酒臭い息を吐きかけてきた。
もう酔っ払っているようだ。
どこで買ってくるのか、テラテラの、大きなバラの花がいくつも刺繍されていて、シワ加工が施されている、赤色の下品なシャツが目立つ。
二万したんだぞ、と以前自慢をしてきたが、来栖にはその価値が分からなかった。
「なんだよ?」
「誰でも蘇らせられるアプリって知ってるか?」
「はぁ?」
着ているシャツに劣らずキテレツな事を言うな。
「この間ネットで見たんだよ」
ハシモトがにやりと口角を上げる。醜い。
「意味が分かんないよ。アプリって、スマホとかの例のアプリか?」
「そうだよ。サークルオブライフって名前でさ。」
話を聞くと、何らかの方法でDNAを採取出来れば、それを特殊な技術でコンピュータに落とし込み、人工知能として擬似的に人格構築が可能なのだそうだ。メッセージでのやり取りや対話も出来るらしい。
ざっくり説明するとこんな感じだ。
荒唐無稽な話だとは思うが、少し興味を惹かれる内容ではある。
「その話、本当ですか?」
カウンター越しに、か細く、少し低く掠れた声がした。
光の塊の様な少女がいた。
前田の視界を通した世界がめきめきと色めき立つ。薄暗い照明がやけに暖かく見え、ハシモトのシャツですら光沢を帯び、神々しく輝いていた。
肩まで伸ばした髪は金髪に染められていて、ブリーチにより痛んでいるのか、少しパサついている。前田を見て、猫みたいな瞳を三日月のように歪ませて、恥ずかしそうにはにかむのだった。
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