みりか⑬ 人生で最後に聞こえた言葉

 祐樹に気持ちを伝えたあと、私は放心していた。さっきまで無我夢中だったのが嘘のようだ。


 もう耳は聞こえなくなっている。

 視力と聴力が再交換され、全ては元に戻ったのだ。


 私はまだ祐樹の手を握りながら、夢心地で彼を見つめていた。

 一ヶ月ぶりに見る祐樹の顔。瞼は既に閉ざされている。

 月の光が彼の輪郭を照らし、私の目を奪い続ける。

 まさに、夢にまで見た顔だ。


 聴力が失われる寸前、微かにだけど祐樹の声が聞こえた。私の聞き間違いでなければ、みりかが好きだと言ってくれていたと思う。

 それが、たまらなく嬉しかったな。


 ちょっとだけ甘い余韻に浸ったあと、気を取り直した。

 いつまでもこうしていたいけれど、そういうわけにもいかない。


 私はさっき落とした白杖を拾い、祐樹の手に持たせた。

 そろそろ戻らないとパパとママが心配してしまう。

 話の続きはあとでゆっくりするとしよう。


 でも問題はここからだ。

 来るときは祐樹が抱えてくれたけど、私にはそんなことできない。祐樹が転ばないように気を付けながら、ゆっくりと歩こう。


 自分には聞こえなくても、声を掛けることはできるかもしれない。でも、告白した直後で恥ずかしいからやめておくことにする。

 

 私は黙ったまま祐樹の腕を掴んで歩き出した。石の階段を下りるときは、ほとんど抱きつくような姿勢で彼を支えた。これも胸が破裂しそうなくらい恥ずかしかった。


 なんとか一番下まで下りると、また普通に腕を引っ張りながら歩いた。

 娘が男にベタベタくっつきながら帰ってきたら、パパとママがひっくり返ってしまうから。


 無音の公園を歩きながら、夜空を見上げた。秋の星がきらきらと瞬いている。


 ふと祐樹の横顔を見上げると、彼の耳が欠けた月の形に見えた。

 どんな音も届かない静謐な空間で、ひっそりと浮かんでいる月。

 何も聞こえない耳というのは、まさに月みたいなものなのかもしれない。


 いや、違うか。

 祐樹の耳は既に聞こえている。

 今ではもう「月の耳」の持ち主は、私なんだ――。


 これで本当に終わったんだな、なんて思ったりもした。

 私はもう二度と誰かの声や色々な音を聞くことができなくなった。神様は、どうして私にどちらか片方しか与えてくれないのだろうか。


 駐車場に着くと、あたりを見回してうちの車を捜した。

 車はほとんど停まっていなかったから、黒の軽自動車をすぐに見つけることができた。


 近づくと、車内にいるパパとママが驚いて私の目を見た。

 本当にお願いごとが叶うとは思っていなかったのかもしれない。


 二人はすぐに車から飛び出し、私たちに抱きついた。


 一ヶ月ぶりに見るパパの顔は本当に嬉しそうだ。

 ママは瞳にきらりと光るものを浮かべている。

 祐樹は二人の勢いにたじろぎながらも、頬が緩んでいた。


 なんて言っているか分からないけれど、みんなの喜ぶ顔を見て私も嬉しくなった。


 神様、早くも前言撤回するよ。

 やっぱり私は


 パパとママの温もりを感じながら、私は月の耳を優しく撫でた。


 たしかにこの耳はもう永久に聞こえないのかもしれない。

 でも、聴力がなくなる前に私が人生で最後に聞いたのは、祐樹の「僕もみりかが好きだ」という言葉だ。

 私はその言葉を、祐樹の声を、ずっと鼓膜の上に残したまま生きていける。

 だから、こっちでいいんだ。


 そういえば、最後に聞いたのが祐樹の声なら、最初に聞いた言葉は何だったのかな……。

 分からない。聴力を得た直後は、それぞれの音や声が何を意味しているかなんて理解できなかったのだから。

 でも、最初に声を掛けてくれたのも祐樹だったらいいのにな――。



 車が公園を出発し、私たちは自分たちの家へ向かった。あるいは、元の日常へと戻っていった。


 窓の外を眺めながら、物思いにふける。

 あの公園ももうすぐ取り壊されるのか、と。


 結局、この不思議な日々は一体何だったのだろう。

 これからはどんな人生が紡がれていくのだろう。


 ま、そんなこと誰にも分かんないんだけどね。


 とにもかくにも、私は祐樹に告白した。賽は投げられたのだ。

 帰ったらすぐにメッセージを送らなきゃ。



 祐樹のアパートの前に着いたとき、私は彼に折り畳みキーボードを返した。

 せっかく祐樹に貰ったものだけど、これからは彼に必要となるものだから。


 心配なので、一応祐樹の部屋の前まで連れて行ってあげた。

 だがしかし、中には入らないでおく。それはもっと関係が進展したときの楽しみに取って置くことにしたのだ。


 うちに帰って晩ご飯を食べたあと、私は自分の部屋に戻った。

 毎日生活しているのに、この目で見るのは一ヶ月ぶりだ。

 ここで祐樹と過ごした思い出が、瞼の裏に甦る。


 私はさっそく祐樹にメッセージを送ることにした。

 いちいちイヤホンとキーボードをスマホに繋がなくていいのが、こんなに快適だとは。


【みりか】帰ってきたよ


【祐樹】おかえり


 返事はすぐにきた。

 祐樹は今、暗闇の中で読み上げ機能の音声を聞いているのだろう。


 それから、光の世界と闇の世界の交信が始まった。


【みりか】そっちは大丈夫そう?


【祐樹】大丈夫だよ。長い間こんな生活だったからね


【みりか】よかった

【みりか】ねえ、今日話したことだけど

【みりか】あれ本当だからね


【祐樹】うん


【みりか】私は祐樹が好き


【祐樹】うん


【みりか】祐樹も最後にそう言ってくれたよね?


【祐樹】どうだったかな


【みりか】なに、今更ひよってるの?笑


【祐樹】もう忘れちゃった


【みりか】今はそれでいいや

【みりか】正直、祐樹と付き合うのって、どうしたらいいのか自分でも分からなくなっちゃった


【祐樹】盲目と難聴だしね


【みりか】私がもう少し大人になってからにしよう


【祐樹】せめて成人してからかな


【みりか】でも、パパとお母さんは19歳で結婚した

【みりか】子供まで作った


【祐樹】未成年同士ならOKなの


【みりか】で、でたー


【祐樹】とにかく、みりかはもう一度よく考えてみた方がいいと思う

【祐樹】僕もちゃんと考えるから


【みりか】うん。そうしてもらえると嬉しい

【みりか】それともう一つ


【祐樹】なんだなんだ


【みりか】本気で目の治療してみない?


【祐樹】治療?


【みりか】前にも言ったけど、祐樹は元々見えていたんだから、治す方法があるのかもしれない

【みりか】祐樹の目が治れば、私たちもうまくやっていけるかもしれない


【祐樹】たしかに

【祐樹】この一ヶ月で見てきたものを、もう一度見たい


【みりか】決まりだね


【祐樹】やれるだけのことはやる


【みりか】うん


【祐樹】みりかが20歳になるまでには治したい


【みりか】うん

【みりか】嬉しい


【祐樹】それじゃあ、今日はそろそろ寝るよ

【祐樹】いつでも連絡して


【みりか】わかった

【みりか】おやすみなさい


【祐樹】おやすみ

【祐樹】またね

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