みりか⑫ 大きな手の温もり

 お墓参りに行った日の夜、私たち家族はいつも通りリビングで食卓を囲った。

 今日のメニューの一つ、五目炊き込みご飯は私の大好物だ。それに、お米はうどんと違って目が見えなくても掴みやすいから助かる。


「ちょっと、話したいことがあるんだけど」


 食事中、私はそう切り出した。なるべく変な空気にならないように。


「どうした?」


 パパの声は少し緊張しているように聞こえた。


「私たちの視力と聴力のこと」

「何かあったのか?」

「ううん。今度の火曜日、また満月になるから、祐樹にーちゃんとあの公園に行きたい」

「みりか……」


 ママが心配そうに声を漏らす。やっぱり満月の力なんてものは信じていないのかもしれない。


「前と同じことをすれば、元に戻るかもしれない」

「いいよ、行こう」


 パパはあっさりと了承してくれ、拍子抜けしてしまった。


「前はそんな話信じられなかったけど、一ヶ月手を尽くしても何も分からなかった。やれることは全部やろう」

「ありがとう!」

「車で連れて行ってやる。麻里も来れるか?」

「うん、もちろん」

「大丈夫、きっと元に戻るから!」


 残りの日々は祐樹に言われた通り、なるべく今しかできないことをやって過ごした。

 祐樹にオススメの音楽を教えてもらい、私はオススメの漫画や小説を教えてあげた。感想も語り合った。

 年の差さえなければ、本当にいい雰囲気の男女に見えるんだけどなぁ。


 満月の日に告白するということは、当然パパとママには話していない。

 車で公園の駐車場まで連れて行ってもらったら、そこから先はなんとか言いくるめて二人きりで行かなきゃならない。自分の両親が見ている前で愛の告白をする女なんて聞いたことがないし。


 時間は矢のように過ぎ去り、あっという間に前日の夜となった。


【みりか】明日は夜7時に迎えに行くね


 私は、明日自分が告白する相手にメッセージを送った。


【祐樹】了解


【みりか】上手くいくかなぁ?


【祐樹】大丈夫、きっと元に戻るよ


 心配しているのはそのことじゃないけどね。


 明日の今頃には、私たちは恋人同士になっているのだろうか。正直なところ、どんな風に付き合ったらいいのかも分からない。


 愛の告白というのは、九割方いけると自信を持ってからするのが定石だ。私だって、できることならもっと仲を深めてからにしたい。

 でも、ちゃんと告白をすることができるのは明日しかない。私は明日やるしかないんだ。


【みりか】うん

【みりか】明日が楽しみだね



 当日の夜、私は緊張でどうにかなってしまいそうだった。

 何もせずにリビングのソファーの上でじっと固まっている。


「それじゃあ、行くか」


 パパが声を掛けてきた。

 動悸がして、告白する前にまた気絶してしまうのではないかと思った。


 三人で車に乗り、我が家を出発する。

 雲一つない、月の綺麗な夜だ。天候に恵まれて本当に良かった。


 祐樹の家に向かう途中、隣に座っているママが話しかけてきた。


「ねえ、みりか」

「何?」

「みりかは元に戻りたいと思うけど、私はどっちでも大丈夫だよ」

「どういう意味?」

「前の満月の日、私がどんなお願いしたか分かる?」

「ううん」

「みりかがずっと元気でいられますようにって。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、みりかがいてくれれば、それだけで充分幸せだから」

「ママ……」


 張りつめていた私の心が、柔らかいものに包まれるのを感じた。祐樹のことしか考えていなかった自分が恥ずかしくなった。


 前方から、運転席にいるパパが口を挟んできた。


「でも、祐樹も関係しているからなー」


 せっかくママがいいこと言ったのに、空気の読めない男だな。


「あっ、そっか」


 ママは別に気を悪くしているわけでもなさそうだ。


「でも、


 それは分からない。視力を取るか聴力を取るか、簡単に決めることはできない。

 でも、私たちは元に戻すことを選んだ。その道はお互いにとって間違いではないはずだ。


「さーなー」


 パパの返事は能天気なものだった。


「ねぇ、パパはどんなお願いをしたの?」

「そりゃあ、みりかの幸せに決まってるだろ」

「うわぁ、嘘くせー」


 でクスクスと笑う。

 緊張もすっかりほぐれ、心を落ち着けることができた。


 やがて祐樹のアパートの前で彼と合流し、車は再び目的地に向かって走り出した。



 一ヶ月前のあの日以来、私はずっと闇の世界で生きてきた。

 闇の世界といっても悪の魔王や怪物がいるような場所ではなく、ただ突然に、あるいは理不尽に、視力と聴力が交換されたというだけの話だ。

 うん、ただそれだけのことだった。


 外の空気を吸おうと思って車の窓を開けてみたけれど、予想以上に寒く、すぐに閉めてしまった。明日からもう十一月だ。


「パパ、あとどれくらいで着く?」

「うーん、五分くらいじゃないか」


 その言葉の通り、五分後には駐車場に到着した。


「着いたぞ」

「パパ、ここからは二人で行くから車で待ってて」

「えっ、なんで?」


 なるべくさらっと言ったつもりだったけど、ダメだった。

 仕方がないので、私はパパにありったけの念力を送った。


 空気読め、空気読め、空気読め、空気読め、空気読め、空気読め。


「まあ、蟹沢君がいるんだから大丈夫じゃない?」


 意外なことにママがアシストしてくれた。私の気持ちに感づいているのかな。


「うーん、足元に気を付けて行けよ」

「大丈夫、大丈夫」


 さっそく祐樹にメッセージを送る。


【みりか】ここからは二人で行くから、私を引っ張っていって


「なんで?」


 パパと同じリアクションだ。当然の疑問ではあるけれど。


【みりか】なんか見られていると意識しちゃって、ちゃんとイメージができないかもしれない

【みりか】二人の方が上手く交換できる気がする


「……わかった、いいよ」


 よし、咄嗟に思いついた嘘のわりには上出来だ。


「高台に着いたら教える。そしたら、僕の耳が聞こえるようになってとお願いごとをしてくれ」


【みりか】うん


 祐樹が助手席から出る音が聞こえた。

 数秒後、私の右隣のドアが開かれる。


 わっ……。


 祐樹が私の腕を優しく掴んだ。

 いよいよだと思い、心臓がまた激しく鼓動し始める。


「じゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃーい」


 ママがなんだか楽しそうな声で送ってくれた。

 私は白杖を持ち、車の外へ出た。



 何も見えないまま祐樹に手を引かれ、硬いアスファルトの上を歩く。

 しばらくすると、足元が柔らかい地面になっている場所に入った。


 ここから先、丘の高台へ続く道には石の階段が何箇所かあったはずだ。でも、階段を上るのはあまり慣れていないから結構時間が掛かりそう。


 祐樹はそこで、足を止めた。


 どうしたんだろう。

 上るのが遅いんだから、なおさら急がなくちゃいけないのに。


「ごめん、階段があるから一気に上るよ」


 えっ、どういうこと?


 私の見えない目が点になる。

 だが次の瞬間、予想外のことが起こった。


 いきなり肩を掴まれて後ろ向きに倒され、気付けば祐樹に抱きかかえられていた。


 えっ、えっ――。


 混乱する私をよそに、祐樹はそのまま階段を駆け上がる。


 ちょっ、怖い怖い!


 確かにこの状況下では、これが一番手っ取り早いのかもしれない。

 でも、そんなことよりもっと重大な事実がある。


 私、祐樹にお姫様抱っこされてる――。


 胸のドキドキがさらに加速し、顔がジワジワと火照っていく。


 これってそういうことなの? こんなことされたら私、勘違いしちゃうよ?


 なんとか白杖を握りながら、祐樹の体に抱きつく。


 私には見えないけど、周りには誰もいないんだよね? 大丈夫だよね?


 祐樹は階段を上ったあとも私を下ろさずに走り続け、数分後にようやく立ち止まった。


「着いたよ……。はぁっ、ごめん、疲れたからちょっと待ってて……はぁ……」


 私は無事、地面に着地した。祐樹の方はさすがに息が上がっているようだ。


 私のためにそんなに頑張られると、余計に意識しちゃうじゃん……。


 気持ちを落ち着けるために、深呼吸をしてみる。

 冷たい風が、熱くなった体を静めていく。


 ここはもう高台だ。これから視力と聴力を再交換し、私は祐樹に告白するんだ。

 今にも祐樹が声を掛けてくるかもしれない。もう頭が真っ白になりそう。


 ねえ祐樹、覚えてる?

 私が初めて祐樹にチャットで送ったメッセージ。

 実はあれ、ただの誤送信だったんだ。

 本当は送らないつもりだったのに、間違って送っちゃっただけなんだ。


 でもね。

 今やっと、それが本当の意味で叶うよ。


《大事な話があるから、二人で会って話したい》


 さあ、話をしようよ――。

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