みりか⑪ お母さんへ

 はじめまして、お母さん。

 あなたの娘のみりかです。

 お母さんとお話をするのはこれが初めてだね。

 色々あって、会いに来るのが遅くなっちゃいました。ごめんなさい。


 もう一人のママがいるんだけどね、お母さんが亡くなっていることをずっと教えてくれなかったの。

 でも、彼女のことを責めないであげて。

 ママは、本当に私のママになろうとして頑張ってくれたし、彼女がいなかったら私も生きていけなかったと思うから。

 ママのおかげで、私もパパも元気です。

 だから安心して。


 それとね、今日はもう一つ話したいことがあって来たの。

 私、今好きな人がいます。

 相手はなんと、お母さんのお友達の蟹沢祐樹さんです!

 祐樹は、私が生まれてから何回もうちに遊びに来ている暇人です。

 あ、そうそう。

 私は生まれつき耳が聞こえなくて、祐樹はなぜか私が生まれてから目が見えなくなっちゃったんだけど、

 この前、私たちの視力と聴力が入れ替わっちゃったんだ。

 ビックリだよねぇ、私もわけ分かんないもん。

 だけど、そのことがきっかけで祐樹と関わっていくうちに、どんどん好きになっちゃった。

 祐樹は、なんていうんだろう。友達のような、お兄ちゃんのような、お父さんのような……あと、一応手話の弟子でもあったりして。

 とにかく、一言では言い表せない存在なの!


 そうだ。それより、聞いてよ。

 今日はこんなにオシャレして来たのに、祐樹ったら何も言ってくれないの。

 それから、足湯に入ったあと、また来ようねって私が言ったら、またみんなで行こうだって。

 二人で来ようって意味に決まってるでしょ!

 まあ、そりゃ伝わらないか。

 でもね、やっぱり祐樹と一緒にいる時間は、楽しくて穏やかで優しくて温かくて、大げさにいえば愛おしいよ。

 そういえばお母さんが高校卒業するとき、祐樹から第二ボタンを貰ったのってどういう意味だったの?

 もしお母さんが生きていたら、お母さんの恋の話も聞きたかったな。

 まー、どっちにしろ祐樹は私のものだけどね!


 今度の満月の日、視力と聴力を元に戻そうと思ってる。

 もう一度、祐樹の顔が見たいから。

 実は私、自分のせいでお母さんが死んじゃったんだって悩んでいたの。

 でも祐樹が、未来を生きるべきなのは私なんだって励ましてくれた。

 すごく嬉しかった。

 だから、そんな彼に、好きだって告白したい。

 そのときは私に勇気をください。


 最後に、自分の命と引き換えに私を産んでくれて、本当にありがとう。

 お母さんの分まで精一杯人生を楽しみたいと思います。

 また来るね。バイバイ。



 私はお母さんへの報告を終えた。

 半分以上が祐樹の話になっちゃったけど、しょうがないよね。私の心の半分以上は祐樹のものってことなんだから。


 冷たい風に頬を撫でられ、私は空を見上げた。

 もちろん私の瞳に空の色は映らない。どこまでも暗闇が広がっているだけだ。

 でもその向こうにお母さんがいる気がして、しばらくの間、想像の青空を眺めていた。


 告白、か――。


 ふと、思う。

 お母さんに報告してしまったけど、そんなこと本当にできるのかな。


 私は今まで、自分の声で告白することに拘っていた。視力と聴力を戻せばそれも可能なのだろうか。また私の耳が聞こえなくなっても?

 確かに祐樹は聴力を失っても喋ることができている。でもそれは、彼が三十年以上普通に喋っていて、声の出し方が体に染み付いているからだ。

 私が喋れるようになったのは、ここ数週間のことだ。また耳が聞こえなくなったら、ちゃんと話せる自信はない。


 それに、できれば普通の男女のように、お互いに顔を見ながら気持ちを伝えたい。ちゃんと祐樹自身の声で返事が聞きたい。

 中途半端に聴力を得てしまったせいで、かつてはなかった願望が生まれてくる。人間の欲というのは果てしないものだ。


「パパ、もういいよ」


 これ以上考えても仕方がないので、今は保留にしておく。あまりパパと祐樹を待たせるのも悪いし。


「分かった、じゃあ帰るか」


 私が左手でパパの腕を掴むと、祐樹が右手に白杖を持たせてくれた。

 ちょっと手が触れ合っただけでも、胸が高鳴ってしまう。


 私たちは墓地を出て、駐車場に向かった。


「パパは、お母さんに何を報告したの?」

「……みりかを連れて来るのが遅くなってごめんって」

「本当だよ、まったく」

「なあ、俺のこと許してくれるか? 残り半分も」

「足湯とソフトクリームに免じて、許してあげる」

「なんだそれ」

「帰りも、美味しいものが食べたいな」

「しょーがねーなぁ」


 パパはなんだか楽しそうな声で言った。

 よく考えたら、こんなにパパにくっついて歩くなんて、小さい子供のとき以来だ。だからパパも嬉しいのかな。


 駐車場へ戻る前に、うどん屋さんに行ってカレーうどんを食べた。というか、ほとんどパパに食べさせられた。口に運ぶのがパパじゃなくて祐樹だったら役得だったのに。紙エプロンまで付けられて、完全に幼児である。


 だけど、私はこれまた寛大な心で許してあげることにした。

 特製カレー汁が絶品だったし、うどんとのコンビネーションも素晴らしかったから。


 帰り道は、満腹感と幸福感と車の心地良い揺れで眠たくなってしまった。でも、せっかく祐樹と一緒にいるんだから何か話をしたいと思った。


 そうだ、まだあのことを祐樹に伝えていないんだった。


【みりか】ちょっと大事な話があるから、チャットで返事して


 この話はまだパパに聞かれたくない。家に帰ってからパパとママにきちんと話すつもりだから。


【祐樹】何?


【みりか】今度の満月の日、一緒にあの公園に行こうよ

【みりか】視力と聴力を戻そう


【祐樹】いいの?


【みりか】うん


【祐樹】みりかが視力を取り戻せば、その代わりにまた耳が聞こえなくなる

【祐樹】もう二度と、誰かとお喋りをしたり、大切な人の声を聞くこともできなくなる


 分かっているよ。覚悟の上だから。


【みりか】大丈夫、私のことは心配しないで

【みりか】祐樹こそ大丈夫?


【祐樹】僕も構わない

【祐樹】僕が目を背けていたこと、背けてはいけなかったこと、全部見ることができた

【祐樹】だからもう見えなくなっても平気だ


 それを聞いて、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 祐樹、君は本当に凄いよ。


【みりか】そっか、安心した


【祐樹】残りの日は、両親とたくさん話して、音楽もたくさん聴いて


【みりか】うん


【祐樹】僕は綺麗なものをたくさん見ておく


【みりか】うんうん


 自分たちが本来持たざる感覚を持っていられるのも、あと三日だ。祐樹の言う通り、残された日は大切にしなきゃならない。


【祐樹】でも、いざ戻すとなると緊張するよね


【みりか】そうだね

【みりか】交換するときって、どんな感じだったっけ?


【祐樹】瞬時に変わるんじゃなくて、ゆっくり変化してたと思う

【祐樹】僕はだんだん耳が聞こえなくなって、同時にだんだん視界が明るくなった


 ああ、そうだった。確かに、少し時間が掛かったっけ。体感で一分くらいだったと思う。

 私の方はだんだん目の前がぼやけてきて、同時進行でだんだん音が聞こえてくるようになったんだ。

 そう、ゆっくりと……視力が減る分、聴力が増えていく……。


 そこまで思い出したところで、私の頭に何かが引っかかった。

 何か大事なことを見落としている気がする。

 でも、それが何なのか分からなくて歯痒い。

 もう少しで閃きそうなんだけど……。


 私は落ち着いて、今の話を反芻しようとした。

 視力……聴力……交換……だんだん……同時進行……。


 ん? 同時進行?


 次の瞬間、私は気が付いてしまった。


 あーっ!!


 そうだ、視力と聴力は同時に入れ替わったんだ。

 言い換えれば、交換中は、不完全だけど視力と聴力が同時に存在することになる、二人とも。


 だから!

 


 つまり!

 お互いに目を見ながら、お互いの声を聞きながら、告白することができる!

 自分の声で好きだって伝えて、彼の声で返事が聞ける!


 そして!

 それができるのは、私の人生の中でその一分間だけなんだ!


 そのことを意識した瞬間、私のハートのアクセルが全力で踏み抜かれ、心臓がフルスロットルで動き始めた。


【祐樹】どうかした?

【祐樹】なんというか、なんとも言えない表情をしているけど


 なんだそれ、ボキャ貧か!

 心の中で反抗してみるものの、祐樹に見られていると思うと顔が熱くなる。


【みりか】なんでもない

【みりか】疲れたから、寝ていい?


【祐樹】本当に大丈夫?


【みりか】大丈夫だって


【祐樹】じゃあ、おやすみ


 私は一旦冷静になろうとした。

 しかし、頭に血が上っているせいか、さらなる攻めの作戦を閃いてしまう。


 寝たふりして祐樹にもたれかかろうかな――。


 ありきたりでなんか頭悪そうだけど、それくらいできなきゃ告白なんてもっと無理だと思った。

 そういえば、祐樹が訪問マッサージに来ていたときも似たようなことをした気がする。思い出してまたヒートアップ。

 冷静になろうとしていたのに、冷静さは失われていた。


 大丈夫大丈夫、平気平気……。


 えいっ。


 私は左隣にいる祐樹に寄りかかってみた。

 微熱を帯びた私の頬が、祐樹の温かい肩に触れる。彼の匂いが鼻孔をくすぐる。見た目より筋肉あるんだな、なんて思ったりもした。


 私はそのまま果てしない幸せに包まれ、いつしか安らかな眠りについていた。というより、興奮しすぎて気絶したんだと思う。無念。



 目が覚めたとき、車はどこかに停止していて、隣にあるはずの温もりが消え失せていた。


「祐樹……?」


 私は慌ててシートの上に手を伸ばす。だけど、その手が何かに触れることはなかった。


「うちに着いたぞ」


 前方からパパの声が聞こえる。


 そういえば、パパがいることをすっかり忘れていた。

 帰りは全然喋らなかったから、気にせずに祐樹にくっついてしまったではないか。


「祐樹にーちゃんは?」

「先にあいつの家で降ろしたぞ。みりかがあまりにも気持ち良さそうに寝ているもんだから、起こさなかったんだ」

「そう……」


 私は言い知れぬ寂しさに襲われた。


 次に会うのは、視力と聴力を再交換し、告白するときか……。


 告白を実行すること、それ自体はたぶん上手くいくと思う。

 でも、。成就して恋人になれなきゃ、告白したって意味がないんだ。


「どうした? 降りないのか?」

「今出るよ」


 本当に、私の気持ちを伝えるべきなのだろうか。扉の先にあるのは、深い失望だけかもしれない。


 今、私の手はただ暗闇の中を漂うことしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る