みりか⑩ Mirika

 祐樹の想いを聞いて、私は息を呑んだ。


「未来を生きるべきなのは、みりかの方なんだ」


 彼はこんなにも励ましてくれているのに、私は酷いことを言ってしまった。

 お母さんが死んでしまったのは、祐樹のせいみたいな言い方をしてしまった。

 もし自分のせいだったら耐えられそうにもなかったから……。


 でも、祐樹の強く優しい言葉に胸が震え、何も映さない瞳から涙が溢れてきた。


【みりか】ありがとう

【みりか】すごく嬉しい

【みりか】酷いこと言ってごめん

【みりか】お母さんが死んだのは、祐樹がパパに会わせたせいだって


 私は必死にメッセージを打ち続けた。


「別に構わないよ。実は僕も昨日は同じようなことを考えていたんだ。でもみりかと話していたら、これで良かったんだと思えた」


 お母さんの命よりも、私が生まれることを望んでくれるのだろうか。


 祐樹にそんなことを言われると、思わず私の気持ちも告白してしまいそうになる。

 できることなら、今すぐに好きって伝えたい。


 でも私はそうしなかった。告白するときはチャットじゃなくて自分の声で伝えたいから。


【みりか】本当にありがと

【みりか】私、もう大丈夫だから


「それは良かった。健斗と麻里にも顔を見せてあげなよ」


【みりか】うん

【みりか】もう電気つけていいよ


 パジャマのままだけど、部屋を暗くしているのがなんだか申し訳なくなった。

 祐樹が立ち上がり、スイッチをパチッと押す音が聞こえた。私には見えないけれど、部屋が明るくなったはずだ。


「さっき酷い顔してるって言ってたけど、思い過ごしみたいだよ。とても良い顔してる」


 私は素早く枕で顔を隠した。

 いきなりそんなこと言われたら、嬉しさと恥ずかしさでどうにかなっちゃいそう。髪だってボサボサなはずなのに。


【みりか】うるさい! 変なこと言うな!


「まあ、冗談はさておき」


 冗談かよ! 十秒前のときめきを返せ!


「みりかを産んだお母さんに会いに行かない?」


【みりか】どういうこと?


「お墓参りだよ。健斗にお願いして連れて行ってもらうんだ」


 お母さんのお墓に行く――。

 そうだ、私は昨日話を聞いたばかりだから、まだお参りなんてしたことない。お母さんのところに行って、顔を見せて、色々と報告したい。


【みりか】行きたい!


「良かった。僕から頼んだらどうなるか分からないけど、みりかのお願いなら聞いてくれるよ」


【みりか】祐樹も一緒に来てくれる?


「もちろん」


【みりか】やった!

【みりか】本当に本当にありがとう


「お礼を言いたいのは僕の方だ。僕もみりかのおかげで元気になれた気がする」


【みりか】そかそか!


 もしかして、今ってとってもいい雰囲気なんじゃないだろうか。やっぱりこだわりなんか捨てて、今告白しちゃおうかな。なんか勢いでいける気がする。

 そう思った矢先であった。


 ぐ~。


 部屋の中に強烈なお腹の音が鳴り響いた。

 私もお腹は空いているけど、これは私が出した音じゃない。


【みりか】もしかして、今お腹空いてる?


「うん、まだ晩ご飯食べていないし」


 私は堪えきれずに吹き出した。


「あはははっ」


 腹を抱えて大笑いした。

 こんないいムードなのにお腹の音が鳴って、しかも自分で気付いていないなんて面白すぎる。


「おかしーっ」


 祐樹には悪いと思いつつも、なかなか笑いを止めることができない。

 すると、祐樹が私の足をグッと掴んだ。


 しまった――。


 そう気付いたときには、もう遅かった。


「ぎゃあああ」


 不覚にも足つぼ攻撃を受けてしまい、私は叫んだ。


「どうしたの?」


 祐樹が白々しく訊いてきた。


【みりか】押してから訊くな!


「いや、なんかもの凄くバカにされてる気がしたから」


 私はようやく笑いやみ、指で涙を拭った。

 やっぱり今日は告白するのはやめておこう。それどころじゃなくなってしまった。


【みりか】ごめん、なんでもないって

【みりか】そんなにお腹空いてるなら、うちでご飯食べていきなよ


「僕はいいよ、今日は家族三人で食べて」


 うーん、残念。

 私は肩を落とした。

 でも、そういう風に気遣ってくれるところも優しい。


【みりか】分かった

【みりか】じゃあ玄関までね


 私は部屋を出て階段を下り、祐樹もそれに続いた。


「みりか!」


 パパの声が聞こえたので、階段を下りたところで立ち止まった。


「なんか悲鳴が聞こえたけど大丈夫か?」

「あっ、大丈夫。ただの足つぼマッサージだから」

「本当にマッサージしたのか……。いや、そんなことより、俺のことは許してくれる気になったのかい?」

「半分は許してあげる。残りの半分は、お願いを聞いてくれたら許す」

「前金制かよ。で、お願いって何だ?」

「お母さんのお墓参りがしたい」

「真利の墓か……」


 パパは何かを迷っているかのような声で唸った。


「……わかった。今週の土曜日に行こう」

「ありがとう!」

「祐樹も連れていくんだろ?」

「もちろん」

「車で二時間くらいのところだ。俺が二人を連れていくからな」

「ママは行かないの?」


 そこにいるのか分からないママに向かって問いかける。

 すると、左方向からママの声が聞こえた。


「私は仕事があるんだよねぇ」

「そんなぁ」

「まあ、来年もまた行けばいいじゃないか。それより、後ろで祐樹が待ってるぞ」


 そういえば、まだ祐樹がいるんだった。黙っているとどこにいるのか分からない。

 どうしようか迷っていると、後ろからポンと肩を叩かれた。


 わっ……。


 こんなちょっとした不意打ちにもドキドキしてしまう。


「墓参りの詳しいことは今祐樹に教えるから」

「うん」


 きっとスマホを使って教えるのだろう。終わるまでこのまま待つことにした。

 すると今度はママが私の肩に優しく触れ、話し掛けてきた。


「ねぇ、ママのことも許してくれる?」


 許すも何もない。

 ママはこんな私を今まで育ててくれた。お仕事があっても毎日ご飯を作ってくれるし、私の耳が聞こえるようになってからは頑張って喋り方を教えてくれた。感謝してもしきれないくらいなんだ。


「うん。私を生んでくれたのは本当のママだけど、やっぱり私にとってのママはママだけだから」

「ありがとう……」


 気のせいだろうか、ママの声が涙ぐんでいるようにも聞こえた。


「ねぇ、みりか」


 ママが私に耳打ちした。


「さっきまで、蟹沢君とどんな話をしてたの?」


 どんな話をしていたかだって?


 私もママに耳打ちをした。


「それはね……ひ・み・つ」


 思わせぶりにそう言ってあげると、ママはクスクス笑い出した。つられて私もクスクス笑う。


「おい、みりか。こっちの話終わったぞ」


 いいところでパパが声を掛けてきた。

 パパったら空気が読めないんだから。


 祐樹が玄関で靴を履く音も聞こえた。

 しょうがないからイヤホンを付け、スマホで彼にメッセージを送った。


【みりか】今日はありがとう


「どういたしまして」


【みりか】また土曜日に


「それじゃあね」


 パパとママが見ている前なので、無難なことしか言えない。

 私は祐樹がいる方向の暗闇に向かって手を振った。何も見えないけど、そこには確かに祐樹の存在が感じられた。


 やがて玄関扉が開閉し、祐樹はいなくなった。


 私は祐樹のことを心の弱い人間だと思っていた。

 平然としてそうに見えて、誰よりも傷付きやすい人なのだと。


 でもそれは違った。私には見えていなかっただけで、本当は強い人だったんだ。

 いや、もしかしたらのかもしれない。


 いずれにせよ、祐樹はもう大丈夫だろう。

 今の彼なら、どんな暗闇の中でも生きていけるに違いない。


 お墓参りの日の三日後、いよいよ次の満月がやってくる。


 私はやっぱり視力と聴力を再交換しようと思う。それでひとまず元通りになる。

 この不思議な日々は終わりを迎え、私たちはそれぞれの人生を再び歩き出すんだ。


 無事に新しい日常が始まったら、今度こそ私の気持ちを祐樹に伝えよう――。

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