祐樹⑫ 3K

【健斗】簡単な話だ

【健斗】みりかは麻里が自分の母親だと思ってここまで生きてきた

【健斗】麻里にとってもみりかは本当の娘みたいなものだ

【健斗】だからこそ麻里は真実を打ち明けるのが怖くなったんだ

【健斗】それを言ってしまったら、麻里はみりかにとって本当の母親ではなくなってしまうからな


 さっきまで一緒にいた女性、麻里の顔を思い浮かべた。

 彼女は普段明るく振る舞っていても、そんな不安を抱えながら生きてきたんだ。


 僕は彼女の悲しい一部分を知ってしまい、やるせなくなった。

 だが、ここで話は終えるわけにはいかない。気になるのはみりかのこともだ。


「僕はともかく、みりかにもよくバレなかったな。真利の親戚に会ったりもするだろうに」


【健斗】普通の娘なら無理だっただろうが、みりかに隠すことはそれほど難しくなかった


 どういうことだ?

 頭に疑問符が浮かんだが、考えてみたらすぐにその言葉の意味を理解できた。それから、少し胸が痛くなった。


「もしかして、耳が聞こえなかったからか?」


【健斗】そうだ。他人と口頭で会話ができないんだから、そう簡単にバレることもない


「だけど、いつかはバレるだろ」


【健斗】俺たちだって時期が来たらちゃんと話すつもりだった

【健斗】親戚にはそのときが来るまで少し気を遣ってもらうだけでいい


「そんな隠し事に、よく協力してもらえたな」


【健斗】麻里は笠原家にとっては救世主みたいなもんだ。麻里がいなかったらみりかを育てるのは難しかった

【健斗】そんな麻里のただ一つのお願い事だ。麻里の覚悟が決まるまでは、少しくらい嫌でも付き合ってくれるさ


 僕は目を閉じて、健斗の言葉が自分の思考に浸透していくのを待った。


【健斗】ちなみに麻里の方の実家のことは、みりかは知らないし、顔も出してない

【健斗】麻里は麻里で実家と色々あってな


 一応、笠原家の事情については分かった。でも、僕にとって一番重要なことがまだ話されていない。


「みりかに隠していた理由は理解できたよ。でも、僕にまで隠す必要はなかったはずだ。どうして僕に教えてくれなかったんだ?」


【健斗】それは俺のエゴだ

【健斗】先に言い訳させてもらうが、最初は教えようとしてたんだ

【健斗】真利が死んだあと二回くらいは祐樹にメールした

【健斗】でもお前はそれに返事をしなかった


 そうだったのか。

 だがそれは仕方のないことだ。なにせ、そのときにはもう視力が失われていたのだから。


「ごめん、ずっと気が付かなかった」


【健斗】もちろん目が見えなくなったせいなのは分かってる

【健斗】けど次に祐樹と会おうと思ったとき、俺はもう麻里と籍を入れていた

【健斗】麻里には感謝してもしきれないけど、時間が経つにつれて真利の存在がだんだん薄れていくのが怖くなった

【健斗】だから、お前にも真利が死んだことを言えずにここまで来ちまった

【健斗】お前といるときは、俺とお前と真利の3人組のままでいたかったんだ


 3Kか……。

 僕は視力を失ったあとも、真利が死んだことを知らずに生きてきた。僕がいた暗闇の世界では、確かに真利が生きていた。それが健斗の望みだったというのか?


【健斗】だが、そんな夢物語ももう終わりだ


 そう、僕の世界においても真利は死者となってしまった。


【健斗】実はな、この前の満月の日に行った公園

【健斗】あそこは俺たち3人がよく行ってた公園なんだ


 思い出して、僕はハッとした。

 あのときは夜だから暗かったし、パニックになっていたし、十七年ぶりでもあったから気付かなかったけど、言われてみれば確かに同じ公園だったかもしれない。


「どうして今更行こうと思ったんだ?」


【健斗】あと二ヶ月くらいしたら、あそこが取り壊されて新しい施設ができるらしいんだ

【健斗】だから最後に見ておきたくてな


「高校の頃は、願いが叶うなんて話はなかったぞ」


【健斗】その話はあとからできたんだ

【健斗】ジンクスなんてそんなもんだろ


 それもそうなのかもしれない。でも一つ気になることがある。


 高校時代に僕たち三人がよく来ていた公園で、僕とみりかの視力と聴力が交換された。

 僕にはこれがただの偶然とは思えない。

 もしかして、何か関係しているのか――?


 少し考えてみたけど、それ以上は何も分からなかった。

 ひとまずこのことについては頭の片隅に留めるだけにしておこう。


【健斗】とりあえず、話はこれで終わりだ

【健斗】今まで隠していて、本当にすまなかった


 健斗は深々と頭を下げた。


 僕は怒るべきなのかどうか迷った。

 健斗に怒りをぶつけるタイミングは今しかないのかもしれない。


 でも遺影の中で笑っている真利に目をやると、どうしてもそんな気にはなれなかった。

 僕たち三人はこれまでに一度もケンカなんてしたことがないのだ。


「もういいよ、健斗だって大変だったんだから」


 僕が罰を与えなくても、健斗は僕の何倍も辛い想いをしてきた。

 僕たちはそれぞれ何かを間違えながらここまで生きてきてしまっただけなんだ。


「それに僕たち三人は今日、再会することができた。だから、これでいいんだ」


 僕は微かに微笑んでみせた。

 健斗は目を丸くした。

 それを見て、真利も笑っていた。

 十七年ぶりに3Kが顔を揃えたのだ。


【健斗】ああ、そうだな

【健斗】ありがとう


 健斗も、いつものようにニカッと笑った。


【健斗】さて、長居してしまったな

【健斗】そろそろ行こうか


「分かった」


 僕と健斗は真利の部屋を出て階段を下りた。


 帰り際、真利の母親に口頭ではなく手話でお礼を言った。

 真利が命を懸けて遺してくれた娘、みりか。そんな彼女が教えてくれた手話をここで使ってみたくなったのだ。

 ニュアンスが伝わったのか、真利の母親はさっきと同じように上品な笑みを浮かべ、お辞儀をしてくれた。

 きっと、自分の孫であるみりかが教えてくれた手話だとは予想だにしていないだろうけど。


 健斗は車で僕を自宅のアパートまで送ってくれた。

 到着する頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。


 僕は車を降りる前にもう一度ポケットからスマホを取り出した。


「ありがとう」


【健斗】それはこっちのセリフだ


「真利のこと、みりかには何も言わないでおくよ」


 もう既に怪しまれているから、なんとか言い包めなきゃいけないけれど。


【健斗】ああ。でも今晩のうちに話そうと思っている


「大丈夫なのか?」


 少し不安になった。

 本当の母親が既に死んでいると聞かされたら、今までそれを隠されていたと知ったら、きっとショックも大きいはずだ。


【健斗】大丈夫だよ。みりかは強くて賢い子だ


「僕にできることがあったら何でも言ってくれ」


【健斗】どうだろう? また足つぼマッサージを頼むかもな


「それでいいよ」


 僕は健斗の肩をポンと叩き、車を降りた。

 窓の外から手を振ってやると、健斗も片手を上げた。

 そして、彼の車は静かな夜の町中へ去っていった。


 健斗がいなくなって独りになると、急に寂しさがこみ上げてきた。

 自宅に帰ってきた僕はベッドに倒れ、真利のことを考えた。彼女がこの世界からいなくなってしまったという事実を、今更になって実感した。僕の好きだった女の子は死んでしまったのだ。


 僕はやっぱり高校生のとき、真利と健斗を会わせるべきではなかったのだろうか。真利が健斗と出会っていなければ、たとえ僕と結ばれなくても、死ぬことはなかったはずだ。真利が元気に生きてさえいれば、それだけで良かったはずだ。恋人なんて別に作ればいい……。


 いや、どうだろうな。

 僕は視力が戻ったとき、麻里を真利だと思って無意識下にあった恋心を思い出した。女々しいにもほどがある。


 だけど、今度こそ真利と結ばれる可能性は完全に消え失せた。真利という人間がもう存在していないのだから。


 僕の心はこれからどこへ向かっていくんだろう――。


 いっそのこと泣いてしまいたいと思った。

 でも、涙は零れてくれやしなかった。

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