祐樹⑪ Mari

 走り出してから二十分ほど経つとどこかの駐車場へ辿り着き、健斗はその片隅に車を停めた。


【健斗】ここから数分歩く


 僕は返事をせずに、健斗と目を合わせて頷いた。了解の合図だ。


 僕たちは駐車場を出て、物静かな住宅街を歩いた。

 どこにでもあるような町並みで、正直に言うと自分が今どこにいるのかもよく分からない。


 しかし今から真利と会うのだと思うと、心臓の音が町中に聞こえてしまいそうなくらいに高鳴った。

 一体僕は何を話せばいいというのだろうか。


 言われていた通り、数分歩いたところで健斗が立ち止まった。

 それから僕の顔を見て、表札を指差す。


 そこには「川原」と書かれていた。なかなか年季のある二階建ての家だ。

 もしかしたら真利の実家なのかもしれないと思った。真利が新しいパートナーと見繕った建物のようには見えない。


【健斗】入るけど、大丈夫か?


「ああ」


 僕は頷いた。

 いい加減覚悟を決めなければならない。


 健斗はインターホンのボタンを押し、何かを言った。

 小さな門を開けて中へ進んでいき、僕もそのあとについていった。


 玄関に入ると、六十代前半くらいと思われる女性が僕たちを迎えた。おそらく真利の母親だろう。

 やはりここは真利の実家なのだ。高校時代にも真利の家にまで遊びに行ったことはなかったから、初めての訪問ということになる。


 健斗がその女性に何かを言うと、彼女は上品な笑みを浮かべ、頭を下げた。


「お邪魔します」


 僕も同じようにお辞儀をした。頭を上げると、健斗が二階へ上がろうとジェスチャーで伝えてくれた。


 真利とは居間ではなく個室で話すのか。

 なんだか妙だなとは思ったけど、やはり積もる話があるのだろうと勝手に納得をした。


 二階にあるいくつかのドアのうちの一つの前で、健斗は一瞬立ち止まった。

 そして、ノックもせずに中へ入った。


 その部屋の中には誰もいなかった。

 学習机、白いシーツのベッド、淡いピンク色のカーペット、タンスの上にはキャラクターの小物が置かれている。

 三十五歳の女性が使うには似つかわしくない、みりかの部屋みたいな雰囲気だなと思った。まるで高校時代から時が止まってしまったような……。


 ふと、壁際に妙なものが置いてあるのを見つけた。


 なんだこれ――。


 それは仏壇だった。

 この女の子らしい部屋には明らかに場違いで浮いてしまっている。


 まさか――。


 膝をついて仏壇をよく見てみると、小さな写真が立てられていた。


 ああ、やっぱり――。


 そこには真利が写っていた。僕のよく知っている高校時代の真利だ。


 目の前が真っ暗になった。

 彼女はこの世からいなくなっていたんだ。それも、十何年前という遠い過去に。


 放心していると、ポケットに入っているスマホが振動した。

 僕は虚ろな目で画面を見た。


【健斗】真利はみりかを産んだときに死んだ。出血が酷くてな


 ああ、そうか。そうだよな。


 ちょっと考えれば分かることだ。あの二人に限って、そう簡単に離婚なんかするわけない。死んでしまったから一緒にいられなくなっただけなんだ。


 それなのに僕は、今度こそ自分が真利と結ばれるかもしれないなんてバカな期待をしていたんだ。自分のことが情けないし、反吐が出そうだ。

 第一、なんで僕は高校時代の恋なんか思い出していたんだ? いい加減、現実を見ろよ。


 そうだ、みりかの言う通り、僕はとてもとても弱い人間なんだ――。


 健斗が仏壇の前に座り、マッチでロウソクに火を点けた。

 線香をあげ、彼女に語りかけるように手を合わせた。


 僕にはその光景がただの映画のワンシーンのように見え、現実のものとして捉えることができなかった。


 しかし、健斗が立ち上がって僕に目で合図すると、我に返ることができた。

 僕も同じように線香をあげ、瞼を閉じて合掌した。


 でも心の中で真利に語りかけるようなことはしなかった。まだ彼女に対してどんな言葉を捧げればいいのか分からないのだ。


 その代わりに彼女と過ごした日々のことを思い出した。

 映画館で隣の席になったことや、ボーリングで同じチームになったこと。それから、あの公園の高台で初めて話をしたときのこと――。


 だけど、彼女の笑顔を思い浮かべるたびに僕はどうしようもなく悲しくなった。

 もう彼女の笑顔を見る機会は永遠に失われてしまったのだから。


 なんとか気持ちに区切りをつけ、瞼を開いた。

 目の前で写真の真利が動かない笑みを浮かべている。


 僕は健斗の方を向いて座り直した。


「話してほしい。今までにあったこと全部」


 健斗はまっすぐに僕の目を見た。

 僕もまっすぐに健斗の目を見た。


【健斗】分かった。長くなるから、お前は話を聞いてるだけでいい


「ゆっくりでいいよ」


 健斗は頷いた。


【健斗】さっきも言った通り、真利は出産のとき子宮内の大量出血で死んだ

【健斗】出産には俺も立ち会っていた

【健斗】子供が助かったのは不幸中の幸いだったけどな

【健斗】真利の葬儀は親族だけで行われ、うちじゃなくて川原家の墓に入った

【健斗】それはともかく、俺は実家の援助を受けながら、なんとかみりかを育てようとした

【健斗】仕事もとりあえず育休にしてもらった

【健斗】だが、あとになってみりかにも問題があることが分かった

【健斗】ご存知の通り、みりかは耳が全く聞こえない状態だったんだ

【健斗】俺は途方に暮れた

【健斗】真利が死んでしまった上に、子供にも障害があるときたもんだ

【健斗】正直、もう終わりだと思ったよ

【健斗】でも、そんな中で麻里と知り合ったんだ


 麻里?


「真利のふりをしていた彼女のことか?」


【健斗】ああ。三枝麻里というのが彼女の本名だ

【健斗】まあ、今は笠原麻里だが

【健斗】育児を始めてから自分でスーパーにも行くようになったんだが、そこに真利によく似た店員がいたんだ

【健斗】最初は正直驚いた。真利が生き返ったのだと思ったくらいだ

【健斗】俺はいつもみりかを背負っていたから、いつの間に麻里も俺のことを気にかけてくれるようになった

【健斗】俺たちは少しずつ話をするようになった

【健斗】妻が亡くなっていることも教えたら、麻里は俺たちのことを随分心配していたよ

【健斗】俺は元々いたアパートに住み続けていたんだが、いつしか麻里がみりかの面倒を見に来てくれるようになった

【健斗】麻里は俺より2歳年上で、小さい頃にあった事故の後遺症で子供を産めない体になっているらしい

【健斗】だから、あいつは子供を育てることに憧れていたんだと思う


 重大な事実が、まるでネットニュースの記事のように淡々と明かされていく。

 僕はそれを黙って受け止めることしかできない。


 顔も名前もよく似た女性、か――。


【健斗】やがて俺たちは付き合い始め、アパートで一緒に暮らした

【健斗】ぶっちゃけて言えば、最初は麻里に真利の面影を重ねていたし、みりかを育てるパートナーが必要だという現実的な打算もあった

【健斗】それでも麻里は本当の母親のようになろうと頑張ってくれていた

【健斗】そして、みりかが2歳になったときに籍を入れたんだ


 文字を打ち続けて疲れたのか、健斗は一旦スマホを置いて手をブラブラと振った。


 ここまでの話は僕にも理解できる。信じられないような話だけど、一応筋は通っている。

 しかし、問題はここからだ。


「それで、どうして真利が死んだことを隠すことになったんだ?」

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