みりか⑧ どっちの思い出

 祐樹は、私が生まれた日までに起こった出来事を断片的に教えてくれた。

 口頭ではなくチャットなので、語り終えるまでに長い時間が掛かった。だけど私は口を挟まずに、パパとママと祐樹の物語にじっと耳を傾けていた。


【祐樹】今思い出せるのはこれくらいかな

【祐樹】って、聞いてる?


【みりか】聞いてるよ

【みりか】そのあとはどうなったの?


【祐樹】その日は結局、健斗とは連絡を取らなかった。メールも見れなくなったしね

【祐樹】何週間か経って、ようやく健斗に電話をかけた

【祐樹】みりかが無事生まれたことを聞いて、僕の症状も伝えた

【祐樹】僕たちはそれぞれの生活が大変になっていて、その後もしばらく会わなくなったんだ


 祐樹は一呼吸置くようにそこでメッセージを止めた。


【みりか】そうだったんだ

【みりか】ちゃんと話してくれてありがとう


【祐樹】指が疲れた


「ふふっ」


 つい笑ってしまった。


【みりか】はー、でも羨ましいな


【祐樹】僕のことが?


【みりか】私もそんな青春送りたかったなー


 これは本音。

 結末こそバッドエンドかもしれないけれど、途中まではある種ベタと言ってもいいくらいの三角関係で、まるで少女漫画のようだ。


【祐樹】ちゃんと僕の話聞いてた?


【みりか】だから聞いてたって

【みりか】ていうか水族館のパンダ、映画の方は観てたんじゃん


【祐樹】みりかがネタバレしても意味ないね


 むぅ。一杯食わされた。


【みりか】いいもん、私も映画観ようっと

【みりか】それにしても祐樹はやっぱりヘタレだねーニヤニヤ


 仕返しにからかってみた。


【祐樹】やっぱり話さなきゃ良かったな


【みりか】ママは、パパか祐樹と結婚したら3Kのままだって言ってたけど本当にパパと結婚しちゃったんだね


【祐樹】そうだね


【みりか】ママはそのときからパパのこと好きだったのかな?

【みりか】祐樹ともいい感じに思えたけど


【祐樹】分からない

【祐樹】少なくとも僕にはそういう風には見えなかったな


【みりか】ママのボタンはまだ持ってるの?


【祐樹】いや、もうどこにあるのか分からなくなった


 安心した。今でも大切に持っていたら、さすがにちょっとアレだから。


【祐樹】結局僕が君たち家族と会うことになったのは2年後になった

【祐樹】健斗の方から呼んでくれたんだ

【祐樹】さすがにその頃には真利への未練もなかったしね


【みりか】そして2才の私と出会ったわけですな?


【祐樹】目は見えないけど、みりかを抱かせてくれたよ


 そんなストレートに言われると、自分から話を振ったのに急に恥ずかしくなってきた。


【みりか】やっぱりその話はナシ!

【みりか】感想の続きはまた今度ゆっくり聞かせるから、今日はもう休んで


【祐樹】そうさせてもらえるとありがたい


【みりか】それじゃあ、またね


【祐樹】じゃあね


 別れの挨拶とともに長いチャットのやり取りが終了した。とはいっても、今日はほとんど祐樹の方が話していたけれど。


 恋人になったら毎日こんな風にお話をして、最後に「またね」って言って一日を終えることができるのだろうか。それはとてもとても素敵なことのように思えた。



 ちょうど晩ご飯の時間になったので一階に下りた。

 リビングに入ると、香ばしい匂いに空腹を刺激された。心なしか、目が見えなくなってから、聴覚だけでなく嗅覚の方も敏感になったような気がする。


 私は晩ご飯を食べるとき、メニューを聞かずに味や匂いや食感で当てるゲームをしている。

 今日のおかずは鶏の唐揚げと蒸し鶏のサラダとわかめスープだと予想した。

 唐揚げとスープは正解だったけど、サラダの具は蒸し鶏じゃなくて白身魚だった。


 こんなことをしているから、ご飯を食べるのにも時間が掛かる。

 いつも通りパパが最初に食べ終わり、お風呂に入りに行った。


 私は残りのご飯を食べる間、今日の祐樹の話について考えていた。そして、パパとママと祐樹と峯岸さんで「水族館のパンダ」の映画を観たというエピソードを思い出した。


「ママー」

「なーに?」

「今度、水族館のパンダのDVD借りてきてくれない?」

「水族館のパンダ?」

「うん。まだ観たことなかったから」

「いいけど、また随分昔の映画だね。私も観たことないや」


 あれ?


 妙だなと思った。祐樹の話と違う。

 それとも祐樹にとっては大切な思い出であっても、ママにとっては大した出来事ではなかったのかな。


 いやいや、「観たけど内容は覚えてない」とかならまだ分かるけど、ここまではっきり「観ていない」と断言できるものだろうか。なにも幼稚園や小学校の頃の話じゃない。高校生になってからの話だ。


 ひょっとすると、思い出したくない、話したくない理由が何かあるのかな。

 そうだとしたら、なんだか寂しい。祐樹は一番幸せな日だったって言っていたのに。


「原作は面白いからママも観た方がいいよ」

「原作もあるの? 漫画?」


 えっ……。


 ママは原作の小説が好きだから映画版も観たがっていたと祐樹は言っていた。

 仮に知らないふりをしているとしたら、今の返事も演技なのだろうか。私にはそうは思えない。今のは本当に知らないという声色に聞こえた。


 どういうことなんだろう。祐樹の話かママの話、どちらかが本当ではないということになる。私は祐樹のこともママのことも大好きだし、どっちも信じたい。


「原作は小説だよ」

「ふうん、まあ明日DVD借りてくるね」

「……あっ、そうだ」

「何?」

「この前、祐樹にーちゃんと話してたときにチラッと聞いた言葉なんだけど、3Kってどういう意味?」

「……3K? 仕事がきつい、汚い、危険ってやつのこと? あ、でも最近は意味が変わってるみたい」

「そういう意味なんだ……」

「蟹沢君の仕事の話でも聞いてたの? 指圧師って別に3Kじゃなさそうだけど」

「ううん、なんでもない」


 私は晩ご飯を平らげ、逃げるようにして自分の部屋に戻った。

 ベッドに倒れ、意味もなくスマホを握りしめる。


 ママが水族館のパンダを観たかどうか。それ自体は大して重要なことではない。でも、私は一体どっちの思い出を信じればいいというのだろう。


 そうだ、このことも祐樹に訊いてみようかな。


 明日も祐樹と話をする口実ができて、私はちょっと嬉しくなった。

 その先に何が潜んでいるのかは分からないけれど。

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