祐樹⑧ 高校時代(後編)
あの夏の日以来、僕と健斗と真利はたまに三人で遊ぶようになった。
始めのうちは峯岸にも声を掛けていたんだけど、吹奏楽部の練習が忙しいみたいでなかなか予定が合わず、いつの間にか誘わなくなってしまった。
しかし、彼女と真利の友情が損なわれたわけではなかったので、僕はあまり気にしないことにした。
大変失礼で申し訳ない話ではあるけれど、僕は真利にしか興味がなかった。峯岸は峯岸で、優秀なプレイヤーになってくれればそれでいいと思った。
ちなみに僕は弓道部、健斗はテニス部、真利は水泳部に所属していた。てんでバラバラだ。
だけど、ある日それぞれが帰宅しようとしていたときに、駐輪場で三人がバッタリ出会ってしまったことがあった。
「わ、すごーい」
真利が口元に手を当て、楽しそうに驚いていた。
「なんだなんだ、お前ら友達いないのか?」
健斗が自分のことを棚上げして、からかうように言った。
友達はお前たちだ。
僕は心の中でそう思ったけど、もちろん口には出さなかった。
それから、僕たちは帰り道に公園に寄ることにした。一学期に健斗と一緒に行き、僕と真利が初めて話をした公園だ。もう街が淡い夕暮れの陽に包まれる時間で、風景が綺麗だと思うから見に行きたいと真利が言い出したのだ。
その言葉の通り、公園の高台から眺める夕景はなかなかのものだった。何の変哲もない街並みなのに、心の奥底に優しさが染み込むような気持ちになった。
「笠原君、蟹沢君、やっぱりここの景色は綺麗だねぇ」
真利も同じ気持ちみたいだ。
僕が思うにどんなVFXやプロジェクションマッピングも、この本物の夕焼け空には敵わないだろう。
「前、ここで蟹沢君と会ったんだよね」
「そうだね。健斗も来てたけど」
「えっ、一緒に来てたのやっぱり笠原君だったんだ」
真利が健斗の顔を覗き込んだ。
「あ、ああ」
健斗は曖昧な返事をした。なんだか、らしくないなと思った。
「そういえばさ、私たちって三人とも頭文字が『か』だよね」
蟹沢祐樹、笠原健斗、川原真利。確かにその通りだった。
「3Kだね」
「それ意味違くない?」
僕の冗談に真利が小さく笑った。
「いやいや、3Kは永遠に不滅だよ」
健斗がいきなりわけの分からないことを言った。これはいつもの健斗だ。
「でも将来私が結婚して別の名字になったら、3Kじゃなくなっちゃうよ」
「イニシャルがKの人と結婚すればいいんじゃないのかな」
そう言うと、真利は僕から目を逸らした。
「そ、それって蟹沢君か笠原君と結婚するってこと?」
一体何を言っているのだろう。
その問題発言に僕と健斗は固まってしまった。
もちろん僕の方はそんなつもりで言ったのではない。いや、僕と結婚してくれるなら本望だとは思っていたけれど、そのときは特に深い意味もなくそう言っただけだ。
一瞬気まずい沈黙が僕らの間に割って入ったが、すかさずにフォローをした。
「別に僕らのことではないよ」
「な、なーんだ。ビックリさせないでよ」
ビックリしたのはこっちの方だ。
この微妙な空気を変えたかったのか、真利がポンと手を叩いた。
「名前といえば、私、子供の名前には自分と好きな人の名前の字を両方使いたいんだよね」
話題が結婚から子供の話へ無理矢理シフトチェンジさせられてしまった。
「やっぱり『真』の方が使いやすいかなぁ」
「そうだね。『まゆみ』とか『まお』とかあるし」
「『かずま』とか『ゆうま』とかにも使えるぞ」
健斗も乗っかって、僕たちは意味もなく真利の子供の名前をあれこれと考えた。
だけど結局、真利は自分の名前の字を子供には使わなかった。
真利と健斗の間に生まれた子供の名前はみりか。真利とちょっと似てはいるけれど、漢字すら使われていない。
高校時代の断片的な記憶の中でも、この日の出来事はなぜか強く印象に残っていて、かさぶたのように心にこびり付いていた。でも僕たちの関係は、もしかしたらこのとき既に変化していたのかもしれない。
二年生になっても三年生になっても、僕たちは相変わらず一緒に遊びに行ったり、図書館で受験勉強をしたり、あるいは互いの誕生日を祝ったりもしていた。三人の関係は少なくとも表面上は何も変わらないように見えた。
しかし、どこかの時点で真利は健斗と両想いになっていたはずだ。そして、ずっと二人の近くにいた僕はその気配に気付くことができなかったのだ。
僕たちはそれぞれ別の大学に進学することになり、やがて別れの季節が近づいた。
結局、真利に告白はしなかった。健斗に相談することもなかった。大学生になってからでも告白するチャンスはあると思っていたからだ。
僕にとってそのとき一番重要だったことは、この素晴らしき高校時代を、あるいは青春の時代を完璧な形で完結させることだった。だから、真利に振られて終わりという結末だけは避けたかった。
視力を失う前、最後に真利の姿を見たのは高校の卒業式だ。
僕たちは卒業式の日に集まる約束はしていなかった。夜はそれぞれのクラスの打ち上げがあるし、春休みになったらどこかへ遊びに行こうという話になっていた。
僕は、卒業式が終わったあと一旦家に帰ってから打ち上げに参加しようとしていた。
教室でクラスメイトと別れの挨拶を交わし、駐輪場へ向かうと、そこには真利がいた。
「あっ、蟹沢君」
「真利……」
「もう帰るの?」
「一旦うちに帰る。真利は?」
「これから水泳部に顔出してくる」
「そっか」
それなら、なぜ駐輪場にいるのだろうか。
僕は不思議に思った。
「あっ、そうだ」
「何?」
「蟹沢君の第二ボタン、私にちょーだい」
「えっ!?」
予想外の言葉に一瞬頭の中が真っ白になった。
「私のもあげるから」
真利は鞄の中からコンパクトなソーイングセットを取り出し、ブレザーに付いている二つのボタンのうちの下側の方を小さなハサミで外した。
「ほれ」
金色のボタンを僕の顔の前にずいと差し出す。
僕はそれを指で摘み、とりあえずポケットに仕舞った。
「あ、ありがとう」
わけが分からないまま学ランのボタンの留め具を手で外す。そして、心臓から一番近い位置にあるボタンを真利に渡した。
「んっ」
真利は満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、また春休みにね」
「ああ」
真利は僕に背を向けて歩き出した。
真利が僕のもとから去ってしまう。手の届かないところへ行ってしまう。
なぜかそんな気がした。僕は何か声を掛けるべきか迷った。
すると、真利の方がこちらを振り向いた。
「蟹沢君」
「何?」
「3Kは永遠に不滅だよ」
「……ああ、またな!」
いっぱいいっぱいになりながらなんとか返事をすると、真利は桜の花びらのような淡い笑みを浮かべ、今度こそ振り返らずに去ってしまった。
僕はこのとき真利に愛の告白をするべきだったのかもしれない。
結果的には振られていたのだとしても、これが真利に想いを伝える最後のチャンスだったんだ。
しかし、僕はそうすることができなかった。近くに人はいなかったけど、あまりにも突然の出来事だったし、こんな帰り際の駐輪場で告白をする気にはなれなかった。
いや、それもただの言い訳かもしれない。いずれにせよ僕にはそんなことをする勇気なんてものはなかったのだから。
結局、真利への気持ちはそのまま行き場を失くし、僕の心の深層をいつまでも彷徨うことになった。
真利が健斗と結ばれたのはその後の春休みのことだ。
僕は健斗の家に呼び出され、あいつの部屋で二人きりになり、その話を聞かされた。
告白したのは健斗の方だった。
真利に惚れていたことを今まで黙っていた点に関しては一応謝っていたものの、基本的には嬉しそうにそのことを僕に話した。
まあ、それも当然だ。健斗は、僕も真利のことが好きだったなんて思いもよらなかっただろうから。
僕は正直、正気を保つだけで精一杯だった。あのときのことは今でも思い出すと辛い。とにかく気を強く持つことだけを考えていたと思う。
せっかくだから春休みはできるだけ二人の時間を作るといい、僕と遊ぶのはいつでもできるんだから。
僕は健斗にそう言った。健斗も僕の提案を受け入れた。もしかしたら僕の様子がおかしいことに気付いていたのかもしれない。
「そうだな、お前は会わなくても大丈夫な奴だからな」
健斗は笑ってそう言った。真意は今でもよく分からない。でも、その言葉はなぜか僕の記憶に深く刻み込まれている。
とにもかくにも、僕たちはそんな風にして一旦距離を置くことになった。
それから半年後、真利の妊娠が発覚して籍を入れたというメッセージが健斗から届いた。
そのとき僕たちはまだ大学一年生で、ようやく大学にも慣れてきたと思い始めた頃だった。
二人ともそれぞれの大学を辞め、健斗は親のコネでどこかの会社に就職した。
僕はまたもや激情の嵐に飲み込まれた。
もしかしたら、いつか健斗と真利が別れたらチャンスが巡ってくると心のどこかで期待していたのかもしれない。
しかし、巨大な竜巻のようなものが僕の周囲にあるありとあらゆるものを巻き込んでいき、僕は何もない荒野で独り取り残されることになった。健斗と真利は僕を置いてあっという間に大人になってしまったというのに、粛々と学生生活を送ることしかできなかった。
さらに半年が経ち真利の出産が近づくと、健斗が予定日を教えてくれた。
そして、子供の名前は「みりか」に決まった。この名前は真利が考えたらしい。
健斗は、みりかが生まれて落ち着いたら自分の家に来てほしいと言った。
大学生になってからは健斗と一度も会っていなかったけれど、あいつが明確に会いたいと言ってくれたのはこれが初めてだった。
でも、僕はどんな顔をして彼らの子供に会いに行けばいいのか分からなかった。
いまだに現実を受け入れることができていないのかもしれないし、健斗と真利とみりかが家族三人で幸せそうにしている光景を見てしまったら、今度こそ自分の中で何かが壊れてしまうような気がした。
幸いといっていいのかは分からないけれど、結果的にはそうならなかった。
真利の出産予定日の朝、目が覚めると僕の視力は完全に失われていて、何も見えなくなっていた。
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