みりか⑥ 痛い
幸せな時間が一転し、私は混沌の海へと放り込まれた。祐樹の告白は簡単に受け入れられるものではない。
祐樹がママのことを好きだったって?
私はその事実に対し、何と言えばいいのか分からなかった。体が汗ばみ、息が苦しくなりそう。
「君の両親と僕が同じ高校だったことは知ってる?」
私が何も言わないので祐樹の方から質問をしてきた。私はなんとか指を動かそうとした。
【みりか】それは知ってる
「健斗とは幼稚園も小学校も中学校も同じだった。真利とは高校一年のときに知り合ったんだけど、そのとき僕と真利が同じクラスで、健斗は別のクラスだった」
祐樹は過去について語り始めた。私はそれを黙って聞くことにした。
「真利と健斗は僕を介して知り合い、いつからか三人で遊ぶようになった」
ここまではよくある話だ。何の問題もない。
「高校卒業後すぐ、真利と健斗が付き合うことになった。健斗の方から告白したそうだ。でも僕は真利のことが好きだったんだ、一年のときからずっと。卒業してから半年くらい過ぎた頃、真利は妊娠して二人は結婚した」
祐樹は今どんな顔をしているんだろう、ふとそう思った。
どんな気持ちで、好きだった人の娘にこんな話をしているんだろう。良い感情ではないのは確かだ。
私は最初、好きな人の好きな人が自分の母親だったという異常さに戸惑った。
でも、やがて祐樹の悲しみに共鳴し、自分まで胸が痛くなった。
「だけど、結果的にはそれで良かったと思っている。君たち家族は幸せに暮らすことができているから」
【みりか】それは運が良かったから?
私はやっと返信を打つことができた。
「そう、真利が健斗を受け入れたのは幸運なことだった」
それは、ママが祐樹と結婚していたら幸せになっていなかったという意味なのだろうか。
「ごめん、急にこんな話をして。みりかには話さなければいけないと思った」
【みりか】大丈夫だよ
私の気持ちも少しばかり落ち着いてきた。もう一つ訊かなければならないことを訊くことにした。
【みりか】ママは知っているの?
【みりか】祐樹がママのことを好きだったってこと
「真利は知らないし、健斗も知らない」
【みりか】つまり、祐樹の他には私しか知らないということ?
「そうなるね」
私は呆然とした。何と言えばいいのか分からず、俯いてしまう。
それから、ほとんど無意識のうちに祐樹のいる方向へ手を伸ばし、気が付くと彼の髪に触れていた。
「話してくれて、ありがとう」
暗闇の中で、そっと囁く。祐樹には聞こえやしないのに。
「誰にも言えなくて、辛かったよね」
それ以上は何も言えなかった。じっとしたまま、指先で祐樹の髪を撫でた。
彼も黙っていて、何を思っているのかは分からない。
この部屋に漂う時間が、私の指先と同じくらいゆっくりと流れた。
やがて冷静さを取り戻すと、私は次の問題と向き合わなくてはならなくなった。
それは、祐樹はなぜ私にこんな話をしたのかということだ。
誰かに話したかったのだとしても、娘である私に言うのはリスキーすぎる。それは彼の望むローリスクローリターンとはかけ離れていることだ。
もしかしたら、と思った。
祐樹はやっぱり私の気持ちに気付いていて、自分のことを諦めさせるためにわざわざママのことが好きだったなんて言ったのではないだろうか。
それは私にとってとても受け入れ難いことだけど、考えれば考えるほどそうとしか思えなくなった。
祐樹から離れ、今にも震えそうになっている手でキーボードを掴む。
【みりか】わかった
【みりか】誰にも言わないから安心して
そんな強がりを言うだけで精一杯だ。
【みりか】それはそうと、今日はまだマッサージをしてないよ
なんとか頭を切り替えたくて、話を逸らした。
返事を待たずにベッドの上で横になり、足を伸ばす。
祐樹もベッドから腰を浮かせ、私の足の前に移動する。そして足を掴み、ツボ押しで足指の付根のあたりを思いっきりしごいた。
いつものように激痛が走る。しかし、声を上げずに我慢した。
痛い、痛いよう……。
顔を見られないように、両腕で隠した。もうほとんど泣きそうになっている。心は涙でびしょ濡れだ。
けど、それでも私は耐えた。
洞窟の中で嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように、あらゆる種類の苦しみにじっと耐えたんだ――。
それから何秒経ったか分からないけれど、祐樹が手を離した。
「終わったよ。よく我慢したね」
祐樹に褒められて、ちょっと嬉しくなった。
【みりか】目良くなるかな?
「大丈夫、きっと見えるようになるよ」
自分でもそうかもしれないと思った。
いつかは、どんなことでも目を逸らさずに受け入れられるようになるかもしれない。
【みりか】ご褒美に良い子良い子して
「調子に乗るんじゃありません」
ちぇっ、やっぱりしてくれないんだ。
でも、やっと微かに口元を緩めることができた。
私たちは、少なくとも表面上はいつも通りの二人に戻った。
夕方になるとママがうちに帰ってきて、祐樹も自分の家に帰っていった。
「何かあったの?」
祐樹が玄関から出たあと、いきなりママがそんなことを訊いてきて心臓がひっくり返りそうになった。
「別にないけど、なんで?」
「いや、なんか元気なさそうだから」
「大丈夫だよ」
なるべく動揺が悟られないように答えた。
さっきまでここにいた男に、昔ママのことが好きだったと打ち明けられたなんて、まさか脳裏を掠めすらしないだろう。
「ならいいんだけど」
そう言ってリビングに入っていった。
私も自分の部屋へ戻り、晩ご飯が出来るまでの間、ずっと祐樹のことだけを考えた。
祐樹は昔ママのことが好きだったと言っていたけど、
ふと、そんなことが頭をよぎった。
次の日は、比較的穏やかな一日だった。
まず形式通りに足つぼマッサージを受けた。
昨日は最後まで我慢できたけど、今日はなぜか五秒しか耐えられなかった。もしかしたら体調や気分によって変わるものなのかもしれない。
そのあとは部屋で適当に時間を潰し、お昼ご飯にはチャーハンを食べた。
午後になると、以前から観よう観ようと思って放置していた映画のDVDを二人で観た。
内容は、巨大カメレオンの親子が人間界で弁護士として活躍するという社会派ドラマだった。さすがに恋愛映画を観る気にはなれない。
私には音声しか聞こえず、祐樹は映像しか見られないから、互いに状況を教え合いながら鑑賞した。
カメレオンの親子は保護色の力で依頼人に有利な証拠を集め、相手に慰謝料をわんさかと払わせていた。
今日が終わってしまったら祐樹の訪問は残り一日になってしまうというのに、こんなアホな映画を観ていていいものなのかと思ったけれど、やっぱり祐樹と一緒なら何でも楽しかった。
映画を観終わったあと、私はふと疑問に思った。
【みりか】祐樹の目が見えなくなったのはいつ頃のことなの?
昨日聞いた話からは、祐樹は子供の頃、目が見える普通の子供だったような印象を受けた。
なんで今この話を思い出したのかは分からない。見えないカメレオンに翻弄される人々の姿をイメージしていたら、なぜかこの疑問が浮かんできたのだ。
祐樹は何かを考えるように少しの間を空け、やがて答えた。
「僕が盲目になったのは、真利と健斗が結婚したあとのことだ」
やっぱり昨日の話は視力があった頃の出来事なんだ。そのあと一体何があったというのだろう。
私はまたもや嫌な予感がした。
「実は僕の目は、ある日の朝、目覚めると急に全く見えなくなっていたんだ。それが、真利の出産予定日と聞かされていた日だった」
「えっ!」
驚きのあまり叫んでしまった。
【みりか】つまり、私が生まれた日ってこと?
「そう、みりかは予定通りその日に生まれた」
【みりか】どうしてそんなことが起こったの?
「原因は結局分からなかった。でも出産日と重なったのはただの偶然だと思う。だから、みりかは気にしなくていいよ」
これが偶然の一致だって?
私にはそうは思えなかった。絶対に何かがあるはずだ。けど、それが何なのかは検討もつかない。
【みりか】わかったよ
とりあえず今はそれしか言えない。それ以上は問い詰めず、残りの時間は他愛もない雑談をしながら過ごした。
祐樹が帰ったあと、私は部屋で膝を抱えながらその話について考えた。昨日の話も加味しつつあれやこれやと思いを巡らせ、一つの仮説のようなものを立てた。
そしてそれが生まれたとき、これまでとは別の気持ちが心の片隅に芽生えていた。
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