みりか⑤ 好きな人としたいことランキング

 私がまだ学校に通っていた頃、前の席の眼鏡の友達に「好きな人としたいことランキング」というのを訊かれたことがある。ただしエッチなこと以外で、という条件付きで。


 その友達は確か、第三位がベランダでキスをする、第二位が砂浜でキスをする、第一位が観覧車でキスをする、だったはずだ。

 お前はキス魔か。そう伝えると友達はニッコリと笑った。


 それに対し、私のランキングはこうだった。


 第三位、公園でデートする。

 第二位、下の名前で呼び捨てにして呼び合う。

 第一位、一緒に花火を見に行く。


 私のはなんだか子供っぽかったし、友達にも手話でそう言われた。

 でもいいの、実際私はまだ子供なんだ。恋人にもなっていないんだから、キスやその先のことは考えなくていい。


 昨日は祐樹にーちゃんと公園に行き、ランキングの第三位を達成することができた。

 彼はそんなつもりじゃなかったとは思う。しかし誰が何と言おうと、血の繋がらない男女が二人で公園を歩いたらそれは公園デートなのだ。反則だけど腕だって掴んでいたし。


 今日は祐樹にーちゃん訪問の三日目。公園には行かず、家でまったりと過ごしていた。家デートではなく訪問マッサージだというところが悲しいのだけれど。


【みりか】祐樹にーちゃんって打つの面倒だから祐樹って呼んでいい?


 漫画本を読んでいるはずの彼に不意打ちでそう尋ねてみた。けど、返事が聞こえない。


 理由付けしているとはいえ、積極的すぎたかな。打つのが面倒なのは本当だけど。ああ、でも馴れ馴れしいと思われたらどうしよう。


 期待と不安に高鳴る胸を抑えつつ待っていると、ようやく返事をしてくれた。


「別にいいよ」


 私は心の中でガッツポーズをした。そして、光の矢のような速さでキーボードを打った。


【みりか】祐樹


「何?」


【みりか】呼んだだけ


「はいはい」


 そっけなく返されたけど私は満足した。

 これで「好きな人としたいことランキング」第二位の「下の名前で呼び捨てにして呼び合う」を達成することができた。第三位の公園デートに続く快挙だ。祐樹にーちゃん……じゃなくて、祐樹は元から私のことをみりかって呼んでいたし。


 残るは第一位の「一緒に花火を見に行く」。欲を言えば、自分の声で告白なんてできたら最高だ。

 だけど、もうシーズンが終わっているし、そもそも私たちじゃ実現できないので、とりあえずなかったことにしておく。


 それから、私は自分が小さい子供だったときの話を聞くことにした。昨日、一緒にブランコに乗っていたという話を聞いて、他にもエピソードがないか気になったのだ。物心ついたときから祐樹がいたという記憶はぼんやりとあるけれど、具体的にどんなことをしていたのかはあまり覚えていない。


「そんなに面白い話があるわけじゃないよ」


【みりか】そうなんだ


 確かに、難聴だった私と盲目だった祐樹の間で起こることなんて限られている。分かってはいるけれど、ちょっとガッカリした。


「そういえば、みりかが僕の左手の薬指にオモチャの指輪を付けたことがあったな」


 え。


 油断しきっていたところに強烈なエピソードが来てしまった。

 いや、小さな子が意味も知らずにそうしていたというだけの話なんだけど、今の私にとってはあまりにも重大な出来事だ。


【みりか】へー、そんなことがあったんだ


「みりかは意味を分かっていたの?」


 せっかく冷静を装って答えたのに、祐樹は珍しくグイグイ追究してきた。

 もしかして私の気持ちに感付いているのだろうか。だとしたら、嬉しさと恥ずかしさで気絶してしまうかもしれない。


【みりか】記憶にございませんな


「ふーん」


 謎の紳士キャラで押し通そうとしたら、あっさり流されてしまった。別にそれほど気になっていたわけじゃないのかもしれない。私は少々拍子抜けした。


【みりか】ところで祐樹は結婚願望はないの?


「僕が?」


【みりか】君が


 結婚指輪の話で思い出した。

 ずっと不思議に思っていたのだ。障害があるとはいえ、イケメンがなぜずっと独身でいるのかを。浮いた話の一つや二つあってもおかしくないはずだ。


「全くないな」


 別にないとか、今は考えてないではなく、「全くない」ときたか……。

 私は少なからずショックを受けた。別に結婚まで考えているわけじゃないけど、好きな人にそういうことを言われるのは、やっぱり寂しい。


【みりか】なんで?


「誰かと一緒に暮らしたいという気持ちがないから」


【みりか】それは、目が見えなかったから?


 メッセージを送信した瞬間、しまったと思った。

 デリカシーのないことを訊いてしまった。祐樹を傷つけてしまったかもしれない。

 焦りが一斉に体中を走り出した。


「いや、そういうわけじゃないんだ。別に障害がなくても僕はそう思っていたと思う」


【みりか】ごめん


「大丈夫だよ」


 私はホッとした。とりあえず怒ってはいないようだ、たぶん。

 しかし、彼の孤独癖はどうにかしたい。


【みりか】でも誰かと一緒のほうが幸せになれるかもしれないよ


「運が良ければ幸せになれるし、運が悪いと不幸になる。ハイリスクハイリターンだ」


 もしかしてその「運が悪い」には、私のような障害を持った子供が生まれるというケースも含まれているのだろうか。

 いや、考え過ぎだ。祐樹がそんな当て付けみたいなことを言うわけがない……。


 急に不安になったけど、できるだけ心を強く持とうとした。そして会話を続けた。


【みりか】そりゃそうだけどさ


「けど僕は別に幸せになりたいわけじゃないんだ。ローリスクローリターンがいい」


【みりか】どうして?


「幸せは役に立たない」


 その言葉に眉をひそめる。

 


 今度は驚いた。祐樹がそんな物の考え方をする人だとは知らなかった。

 けど、だからといって不快に思ったり嫌いになったりしたわけではない。


 私はと思った。

 物心ついたときから祐樹のことを知っていても、結局彼がどういう人間なのかということはちっとも分かっていなかったのだ。こうやって話をすることで、人が人と深く関わることで初めて見えてくるものがある。私はそんなことすら分かっていなかったんだ。


【みりか】でも障害者だったらパートナーがいた方が色々と助けてもらえる


「仮に愛する人がいたとしたら、その人に苦労をさせたくない」


 ああ言えばこう言う人だ。まあ、その気持ちは分かるけど。


 でも、と私は思った。


 それは、相手が健常者である場合の話だ。私なら、相手が私なら話は違う。

 私たちは持たざる者同士、お互いに助け合い、苦労をかけ合いながら歩いていくことができる。昨日一緒に公園へ行ったときみたいに。それなら公平だ。祐樹は何も気に病む必要はない。


 私はそう言ってやりたかった。言葉が指先から溢れそうになった。けど、今はそれを伝える勇気がない。


 代わりにこの行き場のない衝動を別の形でぶつけた。


【みりか】今彼女とか好きな人がいるの?


 正直、これを訊くのは怖い。だが遅かれ早かれ確かめなきゃいけないことだ。前に進むためにはこれくらいの勇気は必要だ。


「今はいない」


 それを聞いて安堵した。どこか引っ掛かる言い方だけど、別に昔彼女がいたところで今現在付き合っていないなら私には関係ない。


【みりか】そうなんだ


「昔は好きな人がいた」


 何か嫌な予感がした。

 この人は、


 言い知れぬ怯えのようなものが、悪い虫のように背筋を這うのを感じた。部屋の中は暖かいのに、寒気がする。


 そして数秒後、私はこの予感が最悪の形で的中するということを思い知った。


「それは、君のお母さんだ」

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